ものすごくご無沙汰してしまいました、改めてこんにちは。
気づいたらサマータイムももうすぐ終わりですよね・・・
前回のバスキング話しに引き続き更新しようかと思ったのですが、ブランクがちょっぴり空いてしまったので、今回は少し、「奇跡」について、お話しをしようかと思います。
音楽のお話しは一旦お休みで。(笑)
とは言え、私は奇跡を呼び寄せる方法の専門家ではないので、まあ、あくまで自己体験談なのですが・・・(笑)
皆さんは「奇跡」を信じますか?
見たことありますか?
私は、あります。
奇跡を何回も見たことあります。だから、奇跡を信じます。
でも、私が見たのは、ほんの小さな奇跡ですよ。(笑)
だけど、小さな奇跡でも、信じることって良い事ではないでしょうか?
何を奇跡と思うか、にもよるかもしれないですが・・・
とてつもなくビッグなドリームを夢見て、それが叶った時に奇跡と呼ぶのか、無理だと思ってた試験が合格した時、奇跡と思うのか、会いたい人に会えた時、再会できた時に奇跡と思うのか。
ハンバーグが食べたい!と思っていたら、夕飯がハンバーグだった、とか。
でも、私は、小さなものから大きなものまで、この世の中に起こっていることは、すべて奇跡だと思っています。
更に言えば、空気を吸ってご飯を食べて、生きていることが奇跡です。
だから、日常の些細な事でも、小さなことでも、(思っていたことが現実になった!)と思ったら、それは奇跡だと、私は思っています。
「たまたま、ただの偶然でしょ!」「晩御飯くらいで!」
そう思うことも可能です。でも、それではつまらなくないですか?
裕福で何の不安もない人生を仮に送っていたとしても、当たり前のように過ごすよりも、貧しくても惨めでも、小さな奇跡を喜べる事は、心に財産をもたらすと思います。
現実的には、貧しくて生きていけないようでは困るのですけどね、まあ、夢がないのでそこを突っ込む話しは無しにして・・・
例えば、惨めな時や辛い気持ちを抱えている時に何を思うか。
何か仕事や生活、人生に行き詰まっている時、悪い事ばっかり考えてしまいがちです。私もそうです。
それは仕方がない事です、現実に直面しているわけですから。
人間、そんなに強靭な精神を持っていません。皆が皆、小さなガラスのハートを持って生きています。
ですから、マイナス思考に陥っている時に、それを振り払って、次々に新しい道を切り開いていく!なんてことは、不可能です。行動を起こすにはまずは体力以前に強い意志、メンタルが必要です。
そのメンタルが崩れているから、意志が弱くなっているから、辛い思いを拭う事が出来ないのですから。
でも、ここから、小さな奇跡を起こすのに結構簡単な方法があります。
ありがとう!と叫んでみる
行動を起こすのは気力が必要。その気力を持つまで、人間はいろんな(無駄な心配事を)考え過ぎてしまい、石橋を叩く前に壊してしまいます。
だから、考えるのをやめればいいのです。
えー!?
みたいな。(笑)
そこで何をするか。
一旦は、感謝をしてみませんか。
何に?って、別に、誰かに「いやあ!ありがとう!」なんて、突然言う必要はないんです。
誰もいないところで「ありがとう!」と叫んでみてはどうでしょう。
誰もいないところが恥ずかしければ、神社仏閣や教会に行ったり、絶景のパワースポットに行って大地に感謝したり、御墓参りでご先祖様に言えばいいと思います。
神社仏閣などに行く際も、(これは私の解釈なんですが)神様にお願いをしに行く、と考えない方がいいと思うんです。
私は、心をリセットして、神様に思いや願いの後押ししてもらう場所、と考えています。
ですから、もちろん、自分の欲ばかりをお願いしてはいけないと思います。
「健康で平和に毎日暮らせてありがとうございます。」
そんな風に、手を合わせる場所なのではないでしょうか。
人間、照れ臭くって、面と向かって相手に自分の思いを伝えることができません。
憎たらしい事や余計な事はいくらでも言えてしまうのに、ありがとう、とか、本当にあなたがいてよかった!とか、そんな言葉も、SNSで軽く浅く繋がっているような友人には気軽に絵文字付きで言えるのに、一番大切な、一番身近にいる人たちの目の前に行くと、その一言が言えません。
しかし、その一言が言えないために、小さな奇跡を逃しているのだと、そんな気がしてならないのです。
「手を合わせる場所」と言うのは、そんなシャイで面倒臭い(笑)私たち人間が、素直な心に戻りやすい場所とも言えるのではないでしょうか。
神様やご先祖様の前で、下品な言葉を吐く人はいませんよね。(稀にいるかもしれませんが・・・)
まずは、部屋の中でも、寝る前のベッドの中でも、トイレの中でも、どこでも、感謝の気持ちをまずは「目の前の空気」に打ち明けてみてはどうでしょうか。
空気は空気なんですけど、これも奇跡ですから。
そうやって、改めて感謝をしてみると、(あるいは感謝をし続けていると)不思議なことに、人事を尽くして天命を待てばいいや!と言う気持ちになり、心が軽くなってきます。
そこで、小さな奇跡が起きていることに、気づくのです。
「今日は大雨の予報だったのに、晴れてる!」と。
「奇跡だ!」と。
心が病んでいたら、そうは思いません。だからどーした、となります。
しかし、感謝の気持ちを吐き出す事で、なんだか自分の気持ちが綺麗になったような気分になります。人間は結構単純です。
そうすると、普段気にも止めなかったことが、美しく見え始めます。
不思議なもので、ひとつの事を奇跡!と思って、それを見つけた!と感じたら、また違う奇跡を人間は探したくなるものです。
小さな奇跡を見つけたら、思わず「ありがとう!」と叫びたくなります。
そうすると、また何かの奇跡に出会えるような気がしてきます。
自らの心が、奇跡を探そうと言う心理に徐々に変わってくるのです。
ご一読ありがとうございました。