バスキング(路上ライブ・ストリートパフォーマンス)に「不必要なものとは?」をテーマにして語り始めて、第4回目となります。

前回では、プロモーションを海外での路上(不特定多数の人)へ向けて、無作為に行うことには、ポジティブなつもりでも実は違う危険も潜んでいる・・・というお話しを中心にさせて頂きました。

このテーマも長いので(笑)、ご興味のある方は、第1回からぜひ、目を通してみてください。

2回目から今回までは「不必要であるもの」の、ひとつ目である「自分売り込みグッズ」、つまりプロモーションや営業姿勢などについて、海外ならではの視点や、文化背景の違いなどを織り交ぜながら、ご説明させて頂いています。

いやあ、でも。こんなに「自分売り込み」のキーワードから展開する話しがあるとは思いませんでした。(笑)

話しの内容が、文化やマインドやらに絡みまくっていますが、何卒ご愛嬌にて。

第1回の記事は、以下のサムネイルより、どうぞ!


さて、前回は、プロモーション姿勢となり、推し推しで向かう事が、プラスではなく、マイナスになるときもある、というお話しをさせて頂きました。

あえてこちらが、目立とうとも、営業かけようとも、名前をアピールして覚えてもらおうと思っても、バスカーの音楽を聞いている通行人の皆さんは、そういうところに意識は働いていません。

良いものは良い、悪いものは悪い、好きか嫌いか、それだけという事であり、どちらかというと、その音楽そのものを覚えている、そこの記憶を頼りに「またあのバスカーの音楽が聴けたらいいな」なんて、思うのです。

バスキングには、自分売り込みグッズ、そして、奇抜な衣装や名刺もいらない・・・と、前にお伝えしましたが、奇抜な衣装とは、なんでしょう。

音ではなく、見た目については、通行人の皆さんからは、どう思われているのでしょう。

意外と見られていない、バスカーのルックス

通行人は、バスカーのルックスは見ていません。

その音楽を気になる人がいたとしても、見るのは(覚えるのは)、民族、つまり、何系の人種であったか(どこの国の人だったか)、男か女か、くらいです。あとは、アフロだった、金髪だった、などくらいでしょうか。

場合によっては「あっ、あの男性、好み!」くらい思う人はいるかもしれませんが。そうなると音楽とは全く別問題ですよね。

そのバスカーの見てくれや装飾物には何の反応もしないのが、海外の通行人達です。

ですから、自分の名前がでかでかと入ったポップを立て、小さなバスキングスペースに自身のグッズや写真を立てて装飾しても、そこまで見ていません。それだけ準備をしても、周りに広げた私物を通りすがりに取られないよう、気ばかり張って、本末転倒です。

皆が考える以上に、人々がバスカーのルックスなどには気をとられることは、ないのです。年齢や服装も同じです。それでも、8歳くらいの少年が演奏していたり、裸で演奏していたら別ですよ!それはまた、別の見方が発生しますので・・・

ちなみに、裸で演奏してたらすぐ捕まりますので、これは物の例えです。(笑)

奇抜な衣装を着ていたとしても、(フーン)といった感じで、特に驚くこともありません。ロンドンの地下鉄に、全身ペインティングや、全身タイツで乗車している人なんかも普通にいますので、珍しいことでもなんでもないです。

逆に、エンターテインメントの領域で、奇抜な服装をしているということがマイナス評価になります。「ああ、いるよね、こういう人、はいはい。」と、いった感じですよね。

実際に、バスカー仲間にもいるのですが、主に新人に多いんですよ、とんでもない格好とか、身体中にライトを巻きつけるとか。

普通にスルーされて、突っ込まれることもなく、逆にヤジだらけになったり絡まれたりして、やった人のほとんどが凹んでいました。

このサイトのエッセイページにバスカー風景を書いているものもあるんですが、そこに、普段はピエロの格好をし、クリスマスにはサンタの格好をする仲間のバスカーが登場します。

それは、いいんです。

通行人が笑顔になるような、喜ぶような格好や、そのバスカーの個性にあったもの、その音楽に関連するものであれば、それは、統一されたコンセプトがあるので良いのです。

例を出せば、スコットランド人が、タータンチェックのキュロットスカートを履き、バグパイプの演奏をしていたら、それは奇抜な衣装ではありませんよね。

つまり、奇抜な衣装とは、下品なものや、狙ったもの、明らかに目立とうとしているもの、自身の持っている何かを利用したような衣装、という、明らかに音楽に関連せず、その下心や意図が見え隠れする服装のことです。

一発でその意図を見抜かれて、引かれます。(引かれるというより、無視されます。笑)

セクシー極まりないお姉さんが、ビキニで演奏しているとか、カウボーイハットに70年代ばりのサイケルックスに目がチカチカするような色の衣装、ジミヘンでも演奏かと思いきや、ラップを歌い出してギターは持ってるだけ、とか、まあ、意味不明ですよね。普通(の格好で)演っていた方がいいです。

母国の文化で現地(海外)の人を100%掴むことは難しい。現地では現地に馴染むことの方が近道

私も着物で演奏したことが何度もありますが、三味線なら良いと思うんですよ、でも、なんだか和製離れしたギターを持った金髪の洋風かぶれ風貌のアジア人が、着物を着てビートルズ歌ってても、「だから?」という感じなんですよね。オウ!キモノ!って反応してくれる人なんか、いません。

はっきり言って面白くないんですよね。(笑)肝心な音楽はどうなの、という。

私が通行人だったらそう思うな、と、少し第三者の立場で考えてみると、その答えがわかります。

一番最初に着物で演奏することを試みた当時(やはり新人時代でした。笑)、そこにはやはり、下心があり、日本人女性が着物を着ていること、そこで目を引くとチップが増えるかな、と思ったりもしたわけです。

確かに一瞬の目は引きますが、そこで反応が増えるというのは皆無です。はっきり言って、短パンにTシャツで演奏した方が、よほどチップが入りますし、声援をもらえます。

今でも、着物を着て演奏することもありますが、それは全くそう言った意図は無しで着ていますね。気分転換、だとか、暇つぶしに、とか、正月だから日本人らしく。とか。

そうすると、不思議なもので、普通にチップが入ります。つまり、オーディエンスには、その奏者の心の奥というものが、すごく伝わるのです。きっと、音や表情に現れるのだと思います。

着物を意識的にウケようと思って着ているときは、着物を着てきたのに、なんでウケないんだ!?と、焦っているのが音にも現れている、つまり、奏者が、演奏よりも着物に意識がいっているからなのです。

着物は別にウケ狙いではない、そんなときは、当然、着物に意識が働いてないわけですから。通常通りの演奏をしており、それが良かったか、どうかと言う評価のみ。

あとこれは余談ですが、海外から見た日本は、憧れる人や観光に行きたい!と言う人も多く、和食に興味津々の人だって多いです。しかし、世界は広いのです。外国人の、全員が全員、日本が大好きで日本に興味を持っていると言うわけではありません。

私の経験で言うと、例えば、日本人の私が日本語の曲などで日本をアピールしながら、一日に6時間バスキングをして(万単位の人に会ってると思います)その間に「日本」と言う部分に興味を持って立ち止まってくれたり、声をかけてくれるのは1〜5人くらいです。

そして、日本語で歌っていることにヤジを入れる人(英語で歌え!などと言う人)がいるとしたら、上記の5人がポジティブ反応として、その3倍のヤジは入ります。

日本に訪れる人たち、つまりインバウンドには需要と供給のバランスが成立しているわけです。好きで訪れているのだから、日本を見せれば見せるほど、興味を持って頂けて、それが印象に残ります。

しかし、海外には、日本に興味を持っている人ばかりではありません。興味がない人がほとんどなのです。これは、日本に限らず、他の国でも同じです。

私たちの立場で言うと、こうです。日本在住の不特定多数の日本人がいます。イギリスが好きな人は、そこにイギリス人がやって来たら、すごく興味を示します。そして、その周りの日本人にもイギリスの良さを伝えようとします。しかし、イギリスに興味のない人にとっては、ご飯が不味くて天気の悪い国、としか思いません。

クラスで、イギリスが好きな人!と手を挙げさせて、全員が手を挙げるでしょうか。「いや、僕はアメリカが好きだから」と言う人は手を挙げません。

アメリカが好きな人もいれば、アフリカが好きな人もおり、中国が好きな人もいれば、イタリアが好きな人もいます。逆に、イタリアが嫌いだって言う人もいます。しかし、イタリアの現地で知り合う日本人は、皆が皆、イタリアが好きです。好きだから、そこに移住したり、旅行したりしているのです。

インバウンドの外国人に接することの多い日本の友人達は、我々日本人に興味を持っている外国人しか知りません。日本人であることがどれだけ海外で有利であり、どれだけ外国人に興味を持たれるのだろう、と、興味津々です。しかし、それは全くの誤解なのです。

日本でも、移民問題に対して、ポジティブな反応よりもネガティブな反応の方が多いですよね。それが世界共通の現実です。

また、イギリスの友人曰く、英語圏の人は他国の言語に対して「不安定な」感情を抱くそうです。ですから、やはり日本語の歌を聴くよりも、母国語である英語の曲を聴いた方が、安心すると言うのもあるんですよね。

これも、私たちが自分に置き換えてみて、逆の立場で考えてみればわかります。洋楽を聴く人よりも邦楽を耳にする人の方が圧倒的に多いです。そして、英語以外の言語、例えば韓国語やポルトガル語など、英語よりもその言語が理解できる人口が少ない国の言葉ほど、日本人で耳にする(好んで聴く)人数も、少なくなっていきます。

よく、留学生で、黒髪で前髪パッツンの日本人形のような髪型をしている女性を見かけますが、それを意図的に(留学を機会に)チャレンジしてる人も中にはいまして。しかし、アジアンビューティーに興味があるのは、日本に興味がある人です。黒髪パッツンだから海外でモテる!と、言うわけではないんですね、これもあるある的な誤解のひとつです。

日本という国や日本人、そしてその文化や言語やファッション、それらに興味を持ってくれている外国人は沢山います。しかし、それが全員ではないということです。

母国の精神と誇りは持ちながらも、海外では自らが少しだけ変わり、現地に寄り添う努力をする

日本に興味を持ってくれている方以外に、ほとんど興味がない方や、特に好きも嫌いも意識したことがない方、そして悲しいことに、あまり好感を持っていない方や、差別対応をされる方も実際にいるのです。

そして、「興味を持ってくれている人」の割合が一番低いのです。その割合は、日本在住の日本人で「イギリスへの留学経験がある」という人数と同じくらいだと思ってください。(イギリスは例えなので、それがアメリカでも中国でもいいです。ただし、”ひとつの国”でイメージしてください)

日本全体で、イギリスへ留学している方は沢山いらっしゃると思いますよ。「集合!」と、イベントなどで声をかければ、ザクザクと集まることでしょう。

しかし、その辺を歩いてて、あっちもこっちも、イギリス留学経験者だらけ!なんてことは絶対にありません。突発的な街頭アンケートで留学経験者を50人集めるには、どれだけ時間がかかるかわかりません。

そう考えると、万人が行き交う路上で、着物や日本文化的な外見に反応し、日本語の歌が聞こえて喜び、立ち止まる人がどれだけの割合か、わかりますよね。

残念ながらそこは武器になりません。なるとしても、一瞬の珍しさだけです。

私が日本人なので日本で例えましたが、日本だけなく、それがどこの国でも同じです。

誰もが、自分の生まれ育った国を一番愛しています。他国にどれだけ憧れようとも、イギリス人ならイギリス、アメリカ人ならアメリカを一番愛し、懐かしく思い、大切に思っているのです。そこのリスペクトは忘れてはいけません。

イギリス人が日本でタレントになるなら、日本語を喋り、日本人の心を持ち、ワビサビを知り、日本の笑いを知り、日本食を愛する人の方が、日本のユーザーに受け入れられますよね。私たちが海外でどのように暮らせば人々に受け入れられるのか、それと全く同じことです。

自分の母国の文化や民族衣装が、海外(現地)に暮らす、万人に必ず受け入れられるというわけではありません。

私たちも、逆の立場で考えても同じかと思います。

誤解を解くために言うと、母国の文化を広めるために活動していることは、それはポジティブな表現であり、今私が話していることとは全く別問題です。

自分の持っている母国の文化の強みや伝統芸能。それを極めている人であれば、それは例えバスキングの場所で披露しようとも、コンセプトが合致しています。

その文化を知らない人へ向けて、知ってもらう。そのために文化や伝統芸能を発信する。これは素晴らしい事です。

しかし、その国出身であるから、と言う部分だけで勝負し、それを人々に広めようとすることは、果てしなく無謀です。100%のうちの、5%くらいの人へ向けて伝え続けると言うことになります。

現地では、現地に馴染むような工夫を加える事が重要です。日本で伝えているラーメンの味を守りたい!そう思って、全品、日本のメニューのままで挑むよりかは、その数多くの伝統あるメニューの中にひとつだけ、(少しこちらが妥協して)「スパイシー・ミソ・チキン・ラーメン」みたいな(現地人に馴染みそうな味の)一品を加えるだけで、現地のお客さんが増えることもあるのです。

これが自分だから!と言って、自分を変えないのは場合によっては良いことではありません。あくまで、よその国へ出陣しているわけなので、その現地に歩み寄ること、自分が現地の人に受け入れられるように変わることも大事です。

バスキングで、自分の曲を披露するより、通行人が喜びそうな曲を披露する方が良い、と言うことにもつながります。

バスキングをやる際の衣装でも、そういった狙いを持った「掴み」は皆無であることを、念の為、例を挙げて伝えさせていただきました。

ライブは、オーディエンスがお金を払って観に来てくださる場所です。お金を払って頂いた分、楽しんでもらう努力が必要で、それは演奏だけでなく、視覚(衣装やセットや照明など)で楽しんでもらう事も、重要な事です。

しかし、バスキングは、そこに対価が発生しない場所であり、全く見ず知らずの人たち、その中には全く音楽に興味も無いかもしれない人たちもいます。

そんな人たち、通行人の気持ちを、彼らが向こうからやって来てバスカーの前を通り過ぎるまで、そのわずか数十メートルの間に、こちらに向けなければならないのです。

その気持ちを掴むのは、やはり視覚ではなく、聴覚。ルックスではなく、音楽、芸なのです。

バスキングでプロモーションする意味を間違えない

着物を着て演奏をしようが、奇抜な衣装で人々の目を引かせようが、実際は皆がその「芸」しか、見ていません。

つまりは、ルックスはそこまで見てないけども、その芸はしっかり見ているということです。

バスキング中は、誰かに立ち止まられる事なくどんどん通行人が行き交うわけですが、それは聞いてないわけでも、そのバスカーの芸を見てないわけでもないのです。

実は、通行人はその音を聞いています。通路の向こうから、50メートル先から歩いてきてくれているその時からすでに、バスカーの声や音は届いているのです。

バスカーの場所を通過するまでの、その数十メートルの距離で、チップを落とすべき音楽(芸)かどうかを査定しているわけですね。

視覚なんかには騙されない、というよりも、興味があるのはその中身だけ。実際に、通行人がどう思ってくれたのか、それを自身でどう判断するかというのは、そのチップの量を見れば、それが良い演奏だったのか(受け入れられたか)否か、一目瞭然です。

本当にね、今日の演奏はひどいなあ!と、自分で思うときは、ほとんどチップが入らないんですよ。(笑)反対に、今日はすごくよかった!と思うときは、それがチップに反映されています。

奇抜な衣装で登場し、それを人々がまざまざと見たとしても、そこにチップを落としていただくことができなければ、それは不合格を出されたという事であり、見られていたのは、珍しがられたり、面白がられていたり、下手すれば笑われているだけ、という事になります。

名前なんか、その場で気に留めたりはしません。通行人が興味があるのは、バスカーの名前ではなく、バスカーの奏でる音楽や歌です。

海外の人はシビアですよ。

ちなみに、私も何度も着物で歌ったことがあると先ほど言いましたが、喜んでくれるのは、日本人観光客だけですね。(笑)

自分の売り込みには力を注がず、ある意味で自分を売りたいのであれば、一度目の前を通り過ぎていった通行人が、もう一度、通路を戻ってきてくれて名刺を落としてくれたり、その演奏が記憶に留まることを目指しましょう。

プロモーション資料も、人々に印象付けるような服装も、必要ありません。ビーサンに短パンでもOKです。

ありのままでいいんです。

プロモーションをやる必要はない、自分売り込みグッズも必要ではない、目立つ必要も全くない。バスキングで演奏をしていると言うことが、すでにプロモーションにもなっているのです。

しかし、そのバスキングの場所を使ってプロモーションをやろう、そう思って挑むこそが、根本的に間違っていると言うことになるのです。

演奏するためにそこ(路上)にいるのだから、自分のありのままの姿で、できることを一生懸命演奏する。スキルではありません。とんでもなく素晴らしい技術でプレイをしていても、面倒臭そうに演奏しているバスカーにチップは落ちません。

下手でも、チップは入ります。喜んでもらえます。最低限、人前で演奏や歌うことができると言うことは必要です。しかし、細かな技量の上手い下手ではありません。スキルだけで言うと下手なバスカーなんて沢山います。そんなバスカー達は、人の心を掴んでいるのです。

一生懸命やっているかどうか、その音楽(演奏)が成り立っているかどうか、そして、それを本人が楽しんでいるかどうか。それが、通行人の皆さんに伝わります。

そして重要なのは、ヤジを入れられようが、嫌がらせのような言葉を浴びようが、通行人のどの人に対しても、決して笑顔を忘れないこと。

ピースフルな雰囲気が、ピースフルな演奏や歌を生み、ピースフルな空間を作ります。

以上、自分売り込みグッズや営業は不要!と言うトピックでした。

前回、そして今回の記事では、少し現実的で重い話しも交えてしまいましたが、決して否定的には受け止めないでくださいね!

人間にとっては、好きなものを大事にすること、好きなことを行うことこそが、自分にとって一番良いのです。人がどう言おうと、最終的には自分の人生は自分で選ぶことです。

もし失敗してしまったら?

失敗しない人なんて、いません。しない方が怖いです。もしその失敗で後悔したとしても、好きなことを我慢してやらなかった失敗の後悔をするより、好きなことをやって失敗してしまった後悔をする方が、絶対良いと思いませんか?

人間はなんだかんだと、欲が多いんです。成功しても、失敗しても、何をやっても、ああすればよかった、こうすればよかった、あっちがよかったかな、と思うのが普通。今の選択よりもっと素晴らしい選択があったのでは、と自問自答を続けていくのです。

後悔しない事など、無いのですから。

音楽の仕事がうまくいかなかった事や、音楽を続けなかった事を後悔することはあるかもしれません。でも、音楽をやった事を後悔することって、無いと思います。

次の記事では、まだまだある!「バスキングに必要だと思っていた不必要なもの」を続けて語りたいと思います。

それでは、また次回お会いしましょう!

Enjoy your busking!