さて、海外でバスキング(路上ライブ・ストリートパフォーマンス)を始めるにあたって、「準備の必要のないもの」は何か?続けていってみましょう!

前回の記事「バスキングに必要だと思っていた不必要なもの〜その壱〜」は、こちらをご覧ください。

前回は、内面的な部分で不要なものをひとつ、お話ししました。

では、「実は不必要なもの」ふたつ目です。

これ、結構、準備が大変なものなんですよね。

何だと思いますか?

音楽活動を始めるにあたって、皆が用意しなきゃ!と考える、活動の事前準備的なものです。

それの何が大変って、持参する事や、その意気も大変だけど、それらの備品を準備するのにも、あれこれとデザインしたり、メディアを焼き増したり、お金を使ったりもします。

日本では路上でパフォーマンスする際だけでなく、ライブや人との出会いでも「持っていればベスト」的な、新人にとっては必要不可欠なものです。

バスキングに「自分売り」は要らない!

さて、前回からここまでお話しして、勘の良い方なら、それ(必要と思われるものだけど、実は不必要なもの)が何なのか、なんとなくお分かりになりましたよね。

海外のバスキングで、準備の必要のないもの、それは・・・

自分売り込みグッズです。

具体的に言うと、自分が誰か、名前をわかりやすく見せるようなディスプレイやポップ、ライブ告知のフライヤー(海外で日本ライブの告知をしても意味はないかもしれませんが、渡したいですよね!)、CDやグッズなどの物販、意識したような衣装、など。

実は、海外のバスキングには全部不要です。

なんなら、名刺も不要です。

もし仮に、バスキングであなたを見かけて、「仕事してほしいなあ」「取材したいなあ」なんて方がいるかもしれない、その時には名刺も必要だ!なんて思うかもしれませんが、心配ご無用です。

大抵は、相手の方が、インターネットなどで勝手に探してくださいます。(笑)

実際に、私が受けたご依頼でも、ほとんどがそうでした。

なので、自身のサイトを持っておくと言うのは必要不可欠と言うのが前提ですね。そこに、名前で検索できなくてもサーチで引っかかるよう、「Busking」「Japanese」と言うワードと、行った日時や場所を入れておくことを忘れずに。

大抵が、場所と時間、その民族(見た目や男や女かなども)を頼りに、あなたのことを(気になれば)探してくださいます。

えっ?何だか偉そうじゃない?って?

自分がチャンスが欲しい(売り込みたい)のに、依頼主などの相手の方に自分を探してもらうって、何か偉そうじゃん・・・って、日本人なら思いますよね。

いえいえ、実は全然偉そうなことじゃあなくって、実はイギリスではごく普通の事なんです。

この理由には、文化背景の違いというものがあります。

音楽というエンターテインメントの世界は、「夢」です。それは世界共通です。しかし日本では、その夢が世間から認められるのは、成功を手にした者だけです。

そうでない者にとっては、世間から見れば、ただの夢追い人。「まともな暮らしもできずに、好きなことをやって」と、なんとなく白い目で見られなくもありません。ミュージシャンとしてその名が売れるまでは、ひたすらに世間体というものを若干気にしながらも、その夢を貫き、努力を続けながら、ご近所の目や噂話にも耐えていかなければなりません。

その先の栄光が約束されるのは一部の人間だけです。

それが何故なのかと言うと、芸術の世界は、一般的に「遠い世界」であるのが、日本だからなのです。実際に、売れた者とそうでない者、ここには高い高い敷居があります。

イギリスでは、音楽や絵画などをはじめとする芸術は「遠い世界」ではありません。常に身近にそこにある存在なのです。また、世間一般の人が「身近にそこにある存在にするため」の環境も整っています。

イギリスで、お金を払ってミュージアムに訪れたことがありますか?

ないですよね。イギリスの美術館などはすべて無料。

クラシック演奏会だって、ミュージカルだって、15ポンド(約2000円くらい)から鑑賞できます。余談ですが、オペラの本場イタリアでは、10ユーロ(1300円くらい)からオペラ鑑賞ができます。(会場によりますが、基本そういった価格帯の席にはドレスコードもありませんので、デニムでもOKです。)

つまり、お金のない学生だって気軽に観る事ができる。高いチケット代を払えるセレブな人だけが、生のクラシック音楽を聴くことができる・・なんてことはないのです。

すべての人が平等にそれらの芸術に触れることができるようになっているのです。

ジャムセッションの多さや、それに参加する人々の年代や職業の幅広さも、それを物語っています。音楽演奏は、ミュージシャンだけのものではないんです。誰もが、音楽に参加したい!歌いたい!演奏したい!そう思った時に足を運ぶのは、カラオケではなく、生演奏のジャムセッション会場なのです。

そして、そういった会場にも敷居はありません。

定年後のご高齢者でも、参加ウェルカムな空気が流れています。歌いたい!演奏したい!そう思うこと、それが、当たり前だからです。

そして、そんな会場には、大物のロックミュージシャンや、大物歌手のバックバンドが紛れていることもしばしば。

昼間公務員をやっている方と、音楽業界で名が知れているミュージシャン、それらの人々が肩を並べてセッション会場でドリンクを楽しみ、同じステージに立てるのです。

そんな国では、自分が良い、オファーをしたい、と思ったら自分からバスカーに声をかけます。声をかけるチャンスがなければ、記憶に留めておき、その人物を探します。

無名、有名なミュージシャンに関わらず、良いと思ったらそのミュージシャンをリスペクトし、「うちのイベントに出演してくれないか?」と、依頼主から声をかけるのが普通です。

声をかけようかな、そう思ってくれている人に、「自分はこういう者です!」と推し推しで向かうと、(いやあ、ギャラを交渉して、出演をお願いしようと思っているのは、コチラなんだけど・・・)と、逆に相手も違和感を感じてしまうのです。

他人が追う夢を応援することはできる。でも、もしそれが自分の生活なら、夢を追いますか?

音楽を生涯演奏をする夢のために、定職につかずにバスキングをしたり、バーなどでひっそりと演奏を続ける、そんな5、60代くらいの無名ミュージシャンが日本でいたら、どう思いますか?

きっと格好いいと言われると思います。でも、そう言われながらも、一般的には会社員と比べるとその評価は低いと思う方がいてもおかしくはありません。

イギリスでは、そんな人でも堂々と暮らせる環境があるのです。成人であれば、借りれる不動産だって沢山あるのです。ミュージシャンというのは無名だろうが、年齢が子供だろうが年配者だろうが、ミュージシャン。売れてるかどうかは大きくは関係ありません。

逆に、幾つになってもその夢を貫いている人をリスペクトするような風潮すらあります。

日本でも、実際のところは「幾つになっても夢を追ってかっこいい!」と、夢追い人を見た会社勤めの方が、半ば昭和の時代の「寅さん」に憧れるような、そんな気持ちを抱くこともあると思います。でも、じゃあそれをあなたはやりますか?と聞かれたら、ほとんどの人はやりませんよね。

何故なら、それをやってしまうと、暮らしていけないからです。世間で認めてもらえないからです。ああ、若い頃に戻ってやり直せたら音楽もやってみたかったなあ・・・と、そんなことをぼんやり考えるくらいです。

昔、まだレコーディングワークもほとんどやっていない頃。私が一時期「本当にバスキングのチップだけ」で生活をしていた時のことです。

イギリスに駐在する、多くの日本人駐在員さんに日々日々声援を頂き、「格好いいね!」「路上演奏だけで生活するなんて、尊敬するよ!ぜひ、貫いてほしい!」なんて、言われていました。

すごく嬉しい言葉ですよね。本当に励みになりました。

しかし、そこ(バスキング)ばかりをやたらと褒めることには、違和感も少々覚えており、「バスカー」という事を強調されるのが、本当に嫌になったのも確かです。日本人として、年末の某有名音楽番組に出演しているような歌手と、路上で歌っている歌手。どちらがすごいと思うのか。正直なところ、バスカーではないですよね。

あまり頻繁にバスキングをやっていると、イギリス人は「そろそろバスカーを辞めて、違うステップに進めば?」と、言います。バスキングというジャンルが確立されているとは言え、それは決して生涯楽することができない、先の展開が無い仕事だという事を知っているからです。

でも、日本人は、自分ができない事をしている人をみると、面白いとは思う、格好いいとは思うのです。でも、それは他人であるから。正直なところは、それがもし身内であれば、違います。

日本で多く存在するタレントさんや、面白いメディアニュースや、読み物としての記事と同じですよね。面白いマテリアルがあれば、メディアはそれをユーザーに提供し、そこで一般人は、瞬間的な感動や興奮を感じ、それを楽しみに思うようになります。需要と供給があればそれは続きます。しかし、需要がなくなれば、それは消えていく。

もしかしたら今だけが旬かもしれない話題や人を、娯楽として楽しめるのは、それが「向こう側の世界」のことであるから。

消えていくと、その消えた話題や人はどうなるか。その後の生活は続きませんよね。それが他人であれば、その話題が記憶から消えるだけです。自分や身内のことであれば、他人事ではありません。

もし、その夢や希望の光を失った時、その後の生活が保証できるような環境は、残念ながら日本にはありません。ですから、日本でエンターテインメントの夢を追うということは、ハイリスク、チャンスのその先を掴めなければノーリターンなのです。

意地悪な私は(笑)、ある時、同じような声援を送ってくださったある駐在員の方に「では、もし、お嬢さん(娘さん)が私と同じようにバスキングで生活をしていたら、どう思いますか?同じように、尊敬する、バスカーを貫いてほしい、そう思いますか?」と、質問を切り返しました。

「えっ・・・」と、言葉を詰まらせたその日本人男性は、その後続けて、「いや・・・うーん、君のように一人でやれる強さがない子だから・・・その・・うちの娘は、どこかの会社に就職できれば儲けもんだよ、はは。」と、言葉を濁らせながら、言いました。

そりゃそうですよ、会社勤めをして安定した生活を送ってほしい、そう思うのが普通です。

格好いい、そう思う気持ちはあれども、それはやはり「夢」なのです。実際に、自分がそれをやるか、身内がそれをやるか、となると話しは別。日本では夢だけでは暮らしていけないですよね。

不思議なことに、イギリスでは「70歳、バスカーです」そんな方でも、イベントのオファーが来たり、バスキングの映画の出演依頼が来たり。バスカーでない方でも、地元のバーやパブで演奏依頼が来たりと、これがまた、爆発的なブレイクがないミュージシャンでも、なんとかやっていけるんですよね。

もし、イギリスで一躍脚光を浴びて、それに需要がなくなり、無名になったミュージシャンがいたとします。それでも、その後の仕事はあるのです。私の知人に、2007年に日本でも「期待のUKバンド」と鳴物入りで洋楽リリースをし、UKメディアでも脚光を浴びたミュージシャンがいますが、彼のメディアからの注目は一瞬で消えました。

しかし、2019年のいま、彼は全くメディアに出ることもなく、注目されることもない無名ミュージシャンながらも、ミュージカル出演やライブツアーなどを続け、その当時以上の収入を得ており、生活には全く困っていません。


どちらが良い、悪いではない。文化背景の違いなのです。

「ミュージシャン」という職業が、「会社員」というのと同じくらい、世間にとって一般的で何ら不思議ではない、それがイギリスであり、ミュージシャンという職業が認められるのは世間に認知されてから、というのが、日本なのです。

その文化背景が、私たちの意識の中にも自然と根付いているのです。

日本では、新人や無名のミュージシャンは、まずは「演らせていただきます!」というところから入ります。

「演らせて頂く」には、まずは自分から営業をかけて、頭を下げ、認めてもらって、そして舞台に立つ。そうして、実績が伴い、名前も売れてくると、ようやく「〇〇さん、ぜひ、出演してください」と、晴れて先方からお願いして頂けるようになるのです。

これがイギリスですと、逆になるのです。

新人だろうが、無名だろうが、その人自身が持っているタレント性(才能)や、特化した何か(魅力やスキルなど)を持っていれば、名前は関係ありません。

「ぜひ、うちの店で歌ってくれないか」と、向こうから「演ってくれないか」という声がかかるのです。そこで、こちらも、(決して偉そうに”演ってあげますよ”ではなく)謙虚に、「ぜひ、演らせてください!」と、有り難くそのオファーをお受けするわけです。

逆に、こちらから、「よろしくお願いします!」なんて意気込んでいたり、何とかコネクションを広げようと頭を下げて回ったりしていると、舐められます。ちょっと言葉が悪くてすみません。

でも、わかりやすく言うと、そんな感じです。

こちらの方は、そのミュージシャンが特にバックグラウンドを持っていなくとも、バックアップがなくとも、必要であれば声をかけるのです。それが、当たり前の事なのです。そこを、やたらとお願いばかりしていると、「何だか面倒なやつだな」なんて思われてしまいます。下手すると「自信がないんだろうか」と、思われてしまう場合だってあります。

外国人が、YES or NO をはっきりと答え、言いたい事、主張を伝えない限りは相手にそれが伝わらないという事や、曖昧な表現や、日本のように本音や建前というのは通用しないとは、よく聞く話しだと思います。(イギリスの場合は、遠回しの表現も多いですが、それはまた別のお話しとして)

極端に言えばそれと同じで、実はオファーすると言ったけどまだ検討中で君次第かな、とか、熱意に負けた、その意気込みを評価してチャンスを与えてみよう、とりあえず試しに使ってみようか、というのは無いのです。

必要であるから声をかける、声をかけているということは、そこの返事に対して、やるかやらないかだけで良いのに、それ以上のアピールをしていると、YESではないのか、それとも自信がないのか、やる気がないのか、相手も不安になってきます。

日本人としては、礼儀と誠意を尽くしての表現のつもりが、シンプル&イージーな明瞭回答を求める外国人にとってはトゥーマッチになるんですね。

逆を言えば、必要でないにも関わらずアピールをされても、NOがYESと動くことはないのです。推して営業かけたところで、社交辞令でも返事は来ません。時間の無駄です。

もしお声がかかったら、余計なアピールはせず、とりあえずは自信満々でお受けする。お声がかからなかったら、気にせず流しましょう。

謙虚さや人格の良さは世界のどこであろうと必要だと思います。仕事が続くかどうかは、ミュージシャンの中身も重要。でも、その入り口は、その演奏や歌が「好きか、嫌いか」「良いか、悪いか」だけ。

好きであれば、チップを落としてくれたり、ネット上で探し出してくれたりします。

好きになってもらおう!と思って、とにかく目に留まろうと意識ばかり働くのは、逆効果です。「オマエ、肝心の芸がなってないやん!」と、より厳しい目で見られることに。

まず、バスキングという、何千人、何万人と、無数に人が行き交う中で、それらの人々にアピールをしなきゃと思うのが無理なことですよね。

欲を出して良く見せよう、目立とうと思わず、誰かひとり、自分が自然に笑顔になれるような存在である身近な人を思って、その人のために演奏したり歌ったりすればよいこと。気持ちにもう一つ余裕のある方でしたら、「イギリスの皆さん、楽しんでくださいね!」と、大きな心で演奏してください。

実は、みんなのために!みんなに曲を届けたい!・・・そんな思いというのは、蓋を開けてみると、自分が有名になりたいという思いの方が勝っていたりするものです。それがまさに、我です。

バスキングでは、これが命取りになります。

相手のために演奏しているつもりが、自分を知ってほしいという自己顕示欲の方が(夢を叶えたい思いがあるが故に)強くなってしまい、聞いてくれー!聞いてくれー!というような、自我の塊の音になってしまうのです。

すると、通行人はどんどんと引いていきます。それに気づかない自分ではありません。なぜ聞いてくれないんだ!なぜチップが全然入らないんだ!と、負のループに陥り、最悪の演奏に。

それは避けたいですよね。

どうしても、自分の音楽を聞いてほしいと思うのは、誰だって潜在意識的に働きます。

なので、そこは意識的に、「ライブとバスキングは違う」と心がけ、演奏全体のバランスの捉え方を変えることで、人々の音の受け取り方も変わってくると思います。

次の記事では、続けて、自分売り込みグッズ持参のNG理由についてと、海外の路上で必要以上にプロモーションをする事の、意外な落とし穴について語りたいと思います。

See you next page!