こんにちは。PGです。

前回、「Sorry」の言葉の効果についてやイメージについてなどなど、お話しさせて頂きました。

前回の記事は以下からどうぞ!

SorryはThanksに匹敵するほどにポジティブなワードだと思います!・・と、いうお話しでした。

引き続き、Sorryについての効果をみなさんと一緒に考えていきたいと思っているのですが・・・

その前に、普段何気なく聞いていただけの話しが、実は私たちの意識に働きかけているかもしれない?という話しから、はじめていきたいと思います。

「Sorry効果」については、このお話しの後に改めて続けていきますね!

さて、突然ですが、私たちの身の回りに、なんとなく昔から耳に入っているような言い伝えって沢山ありますよね。

例えば、3秒ルールってありますよね。「食べ物をこぼしてても、3秒以内に食べればOK!」みたいな、あれって、どこから来て誰が名付けたルールなんでしょう。気になりますね。(笑)

でも、普通に考えたら、こぼしたものは、こぼしたものなんで、もちろんそんなルールは実際には正しくは存在しないと思うので、「もったいないから食べようね」と言ったところの、少しの気休めの言葉から来たのかなあと、勝手に思ったりすることもあるのですが。もちろん、再び食べれる範疇の場所に落とした場合、ですけども。

なんの根拠もないんだけど、本当かなあ?と思ってしまうような「謂れ」って世の中に沢山ありますよね。

他にも、悪い事をしてると天国に行けずに地獄に落ちるよ!とか、嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれるぞ!とか。こういう話しって、子供の頃に大人から聞かされて自然に私たちの耳に入っていますよね。

これって、私たち日本人だけじゃなくって、世界各国、その国、その国によって、沢山の言い伝えや、大人たちから言い聞かされた事ってあるんでしょうね。

例えば、イギリス人の慈善精神。その原点は実は、大人たちが繰り返し子供に話していたことが大きく影響しているかもしれない、という、興味深い話しもあります。

イギリス人の慈善好きは、子供の頃からの習慣にも要因がある?

このサイトの他のトピックでも少し触れてるんですが、イギリスでは、とにかく募金箱を見ると小銭を無意識的に入れてしまうという人が多いんです。

もちろん、路上生活の人やバスカーに向けても同じで、小銭を投げ入れる場所には思わず入れてしまう・・という人、結構多いんですよ。もちろん、全員が全員というわけではありませんが、本当に多いですね。

この謎を紐解くべく、仲間たちにリサーチをしたところ、彼らイギリス人は、子供の頃から「人に良いことをしたり、人を助けたりすると、必ず自分に戻ってくる。自分が他人にしてあげた分だけ自分が幸せになれる」と、親から、これでもか!というくらいしつこく聞かされて育ったんだそうです。

そんな風に答えるイギリス友人が多かったですね。あくまで個人リサーチなので念のため。

そして、彼らは幼い頃から親に「募金箱に小銭を入れる練習」をごく自然にやらされてたそうです。

例えば街中で募金箱を見かけたら、親は子供に小銭を渡し、「あの箱の中にこの小銭を入れるのよ!」と、半ば初めてのおつかい風に、子供に一人で募金箱に向かわせます。

無事、小銭を募金箱に入れた子供が親のもとに戻ってきたら、

「Good Boy!あなたはきっと幸せになれるわよ!本当にいい子ね!」

・・・と、褒めに褒めに褒めちぎるのです。

子供は当然ながら、再び親に褒められたい、そして幸せになりたいと、その行動(募金)を親の前で繰り返すようになります。

それが、大人になっても習慣化されているのだとか。

なるほど、納得ですね。

「だから、僕らは慈善好きなんて言われているけどね、実は自分のためにやってるだけなんだよ。まわりにまわって自分が幸せになると思ってしまうんだよね。」

そんな風に、彼らは笑いながら話します。

その話しを聞いて、素晴らしいなあと思いました。

自分のためだっていいと思います。だって、人間、所詮は自分のために生きてるのですから。

他人を救うことで自分が救われる、あるいは、自分を救うために他人を救う。

どちらにしても、自分も相手も幸せに近づきますよね。

例えば、著名人がチャリティー活動をしたとして、その際に私たちは、周辺からふた通りの意見を耳にする事になります。

「あの人は素晴らしい行いをする人だなあ」と言う意見と「売名行為だ」と言う意見です。

結論からして、理由はどちらでもいいと思います。だって、結果としてその行為を行なっているのですから、その原点にある理由は、その人が選んだ理由であり、我々が気にする事でもありません。その結果が間違っていなければ問題ないですよね。

チャリティー活動の行為に対し、ネガティブな意見を言う人よりも、ネガティブな批判を浴びたとしても、それが自分のためであったとしてもチャリティー活動を行なった人の方が、人のためになっています。

あと、人助けっていうのは、本当に大変だと私はつくづく思うのです。

昔私もチャリティー活動を行なったことがありますが、肉体的にも精神的にも大変きつかったです。

と、いうのも、私自身が余裕の無い中で行なったからというのもあります。(笑)

それでも最後に自分自身が救われたのは、「最後まで行なった、やり遂げた」という事実と、その集めたお金が無事に相手方に届けられた、ということ。有意義な時間を過ごせたと思えました。それによって心の浄化が出来たこと、そこでようやく自分の心に余裕が出来て初めて、これを自分が行なったことで人の役に立っていたらいいな、と思えました。

人のためにと思って始めたことが、活動している最中は余裕がなくて、とにかく自分を奮い立たせることに必死だったのです。

以前知人に「他人を救える人は、自分自身を救えるだけの余裕がないと、なかなかできることではない」と言われたことがあります。

その意見は本当に正しいと思います。

例えば自分が明日のパンを買うにも買えないような状況で生活していたとして、周りに同じような境遇の人がおり、その時にその人を助けられるか。

自分が持っているわずかな食料を分け与え、心で支え合えることはできます。

しかし、現実的にはそれで全てが解決するわけではありません。下手をすれば共倒れになる可能性も。

勿論、自分がどのような状況でも相手を助けるというのは人間として正しい選択です。

しかし、現実的に考えると、借金抱える友人に、自分が借金をしてお金を貸してあげるようなもの。そこを自分が借金せずに友人を支えるには、自分が寝る間も惜しんで働き続けてその全てを友人に捧げ続けるという事になります。

それで自らの生活や健康が保たれなくなっては、本末転倒です。

著名人だろうが自分のためであろうが、それが誰であろうが、世の中のためにパッと行動を起こせる人を私は本当に尊敬します。

小さな力が集まって大きな力になる。何気ない習慣が、やがて人を救うこともある。

私たちの力は大変小さいもので、余裕の無い人間が自分一人で誰かを救おうと思っても、なかなか出来ることではありません。

しかし、小さな力でも、その力が沢山集まれば不可能ではなくなる。

小さな子供が母親に持たされた1ポンドのコインを募金箱に落とす。

その小さな力が沢山集まって、いつか大きなものに繋がる。

幼い頃からの募金の練習、そして、募金をした子供を褒めちぎるという教育。素敵ですよね。

ちなみに、この募金の練習は、私たちバスカーの前でもよく行われるんですよ。

私たちの足元のギターケースにコインを落とした子供が、その母親もしくは父親の元に戻った時、本当に嬉しそうにしてますね。だって、親がとにかく子供の頭を撫でて褒めに褒めちぎってるんですもの。

そんな幼少の頃の記憶が、大人になった彼らを募金箱に向かわせてしまうのかもしれません。

さて、話しが遠回りしてましたが、「子供の頃から、人にしてあげた分、自分が幸せになると聞かされてたから」と、さらっと話すイギリス友人。

何の根拠があるわけでも無いんだけど、そうだと信じていたから、という事。

私たちの身の回りに沢山あります。

冒頭で触れた、天国や地獄もそうです。

誰が見たのか、行ったことがあるのか。誰も真実を知りません。

それでも、「悪いことをしたら地獄に行くかも」と、子供の頃から何故か自然に脳にインプットされていて、それがふと頭によぎるということは、多少なりともそれを信じてしまう自分がいるということ。それは、人間のネガティブな行動を無意識的に抑制していると思うのです。

神様はきっと見てるよ、ご先祖様が見てるよ、なんていうのも同じ。

もし本当に見ていたら・・・本当に悪いことって出来ませんよね。(笑)

ただし、これらを全く気にも留めない人がいたとしたらどうでしょう。欲望は止まることなく溢れ、悪いことも良いことも、本能のまま動くようになります。

私たちが子供の頃から耳にしているような、昔話しのような言い伝えや、年配者から語り継がれているような話しなども、私たちにインフルエンスを与えてきた環境のひとつであり、またそれが自然と意識にあるという事も、立派に私たちの生き方を支えているのではと思う時があります。

3秒ルールは、どうかな。(笑)

まあ、状況によっては信じない方がいいかもですけどね。でも、信じてしまう人が多いということは、周りで多く語られている事や、言い伝えられている事、周りから何度もしつこく聞いた話しというのは、それだけ人間の意識に働きかけるということです。

言葉を投げる方も、それを受け取る方も、何も考えていないつもりでも実は無意識的に、与え、受け取ってる、という事を改めて考え直してみると、その言葉のキャッチボールも明日から変わったものになるかもしれません。

それでは、次回は改めて「Sorryの魔法の効果」について、お話ししたいと思います。

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