こんにちは。

 

前回とってもポジティブなお話しをさせて頂きましたが、今日は少し、ネガティブインパクトを含めるかもしれない?お話しをしても・・良いでしょうか?(笑)

 

ちなみに前回は、自分が少しでも悪いと思った瞬間「Sorry」を言って、一日でも早く新たな人生を切り開こう!的な内容を更新させて頂きました。

 

 

突然ですが、皆さんはストレスってありますか?

 

誰でもありますよね。(笑)

 

日常の些細な事から、仕事の大きな悩みまで、ストレスが尽きる事はありません。それが普通だと思いますし、私も、ストレスだらけですよ。(笑)

 

だけど、そんなストレスをあからさまに人前には出しません。だって、そんなのロックじゃないですよね。(笑)こちらのストレスは、他人には関係ありませんから。

 

いかにもストレス~みたいな顔をしてても、周りにとっては迷惑なだけ。

 

しかし、ココは自分の広場?なので、時々毒を吐いた文章なんかも書かせて頂いてますが、すみません。

 

基本的には、日常的な誰もが持ってる些細なストレス(例えばどの仕事から片付けていこうか・・面倒くさいなあ!とか、お金のやりくり大変だなあ!程度の。笑)くらいしかないのですが、最近、なんだか妙な感じのストレスに襲われてます。

 

まさに小さなストレスかもしれないのですが・・

 

 

 

今現在、超ストレスの源となってるのがソーシャルメディアです。

 

そう、SNSです。

ちなみに、SNSでは外国人には伝わらないので、外国人のお友達と話しをするときは、Social Mediaと言った方がベターです。

 

基本的には外国人は略文字は使いません。FBやPC等も伝わらないので、という話しはさておき。

 

謎なんですよね。Social Mediaって。

 

宣伝や仕事の一環として、自分をプロモーションするためとか、身近な人との未来型コミュニケーションツールとかね、そういうものですよね。うん、とてもわかりますし、同意です。

 

私は著名人でもなんでもないので、当然ながら、身近な人(つまり実際に顔を知ってて関わり合いのある人)しか繋がってませんし、必要最低限のアカウントしか持っていません。

 

繋がりの申請も、よくある、限定受入型です。(笑)友人の友人であるとか、あるいはリクエスト後の許可型とか。

最近ではそういうタイプで利用している人が多いのではと思います。

 

教えて!知らない人との繋がりのメリットはある?

 

海外だと、Facebook、日本だとMixiあたりから始まり、Social Mediaが一般的に普及し始めて10年以上経ちます。

 

誰もがそこにどっぷりハマった時代は既に過ぎ、2010年代も終わりを告げる今は、それらと、どう上手く付き合っていくか、という時代に入っているように思います。

 

誰彼と受け入れたり、公開する時代でも無くなりましたよね。有名人や、とにかく友達が多いとか、たくさん繋がりたいという人以外は。

 

それで、どうして何故に私が妙なストレスに襲われてるかというとですね・・・

 

最近交流が増えた方と、Social Media上でもお友達になったんですよ。

 

それまでは、顔見知り・・程度だったんですよね。ここ最近、仕事を通じて身近な友人になりまして。で、私がフリーの受入許可設定をしてなかった(見知らぬ人からのリクエスト不可にしてた)もので、先方様が検索しても私が見つからなかったようで。

 

仕事のアカウントではありません。プライベートなサイトの事です。仕事の場合は別に公開しても受入れ差し支えないですので。

 

そして、先方様からメッセージもらって「ぜひ繋がらないかな?」と言われましたので、当然ながら喜んで、私からリクエストを送ったのです。

 

それは良いのです、近しい人とはメールよりもさらに身近な連絡を取りたいですし、相手が忙しいのかどうかとか、そう言った近況がSocial Mediaによってわかることは有難いので。

 

問題はその後で・・・

 

「私とその方がお友達になった」という事で、その方が既に繋がっている「その方のお友達」も私にとっては受入OKになるわけですよね。途端にリクエストが増えるわけです。

 

それもいいのですよ!(笑)自分が存じている方々ならば。

 

その方が結構オープンにSocial Mediaをやっている方のせいか、やたら世界各国に友人が多いみたいで。「えっ、あの人と知り合いだったんだ!」みたいな、自分と共通の知人がいたりするわけです。

 

そこで、改めて連絡を取りたかった知人と再会出来るというのも、Social Mediaの良いところではありますよね。

 

ただ、頭を抱えてるのが、その中に、全く知らない人が紛れているという事で・・・

 

全く知らない人からのリクエストが増えたわけです。

私も結構単純なので、私が友人として繋がった方の知人がリクエストをくれたって事は、自分が会った人なのかな?名前を聞いてなかった人かな?と、思うわけです。すると、その後、

 

「Thanks for add(受入れありがとう!)僕は〇〇の友達です、よろしく!」

 

・・・と、メッセージが入り、そこで初めて「知らんやつかい!」と、気づく私。(笑)

 

会った人をしっかり覚えてない私も悪いんだけど。

 

でも、情報がよくわかんない人のアカウントに友達申請するかなあ?という疑問もあるんですよね。例えばインフルエンサーのアカウントなら別だと思うんですよ。

セレブ感たっぷりの写真や、ためになる情報を満載に公開アップしてて、自分の得になりそう?と思える人なら、それもあると思うんだけどね。

 

こちとらただの凡人アカですので・・・

 

最近やたらと多いこの出来事が少し、頭を抱えてしまうのです。

どうして!?

 

どうして知らない人にリクエストを送るのだ!?

著名人や情報発信しているアカウントならわかるけど、何も更新してないような(笑)知らない人と繋がりたいですか?!

 

このストラグルを解決できる素晴らしい答えを持ってる方がいたら、ぜひ、ご回答くだされば有難いです。(笑)

 

情報は右から左から。受け取り側が選ぶ事はできない時代。

 

やっぱり自分の身近な人の状況って気になりますよね。

 

そんな時、自分の身近な人の状況を知りたくてアカウントを覗いたのに、その、誰だかお互いわからないまま繋がっちゃったようなフレンドの状況が、ザザザーっと出てくる。しかも、かなりどうでも良い内容だったり、ネガティブなものであったり。

 

一気にネットの世界から離れたくなる瞬間です。(笑)

 

同意の方っていますかね。半々くらいかな。

 

私個人の意見では、Social Media(基本的にはこういったブログも含まれるのでしょうけど)、その中でも情報が一斉送信されるものに関しては、やはり、アナログな繋がりの可能性も含めた友人に留めていた方がいいと思います。

 

例えば、このブログでも、他のブログでも情報でも、そこまで足を運んだ人や、その情報を欲している人が得る情報ですよね。

 

そこで、その情報を見つけた方が良いと思った情報であれば、それが他の人が知り得る情報であっても良いと思うのです。

 

ただ、自動的にその繋がり全てに流れてしまう情報というのは、全ての人が欲している情報ではありません。

 

こちらが探していない、欲していない情報でも、その繋がり全ての人が受け取ることになります。

 

こちらがポジティブに投稿したつもりでも、受け取った人がネガティブであれば、それは不愉快な投稿以外の何ものでもないですし、必要としてない人にとっては、無駄な情報です。

 

脳みそだって、パソコンのデータと同じで、それを見るだけでキャッシュやクッキーなど、不要な情報が知らないうちに自然に溜まっていき、ストレージがフルになってしまうと、大事な情報を受け入れるスペースが足りなくなります。

 

極端な話しではありますが、ちりも積もればで、例えばそれが知りたくなかった情報であれば、その情報に気を取られてしまい、肝心な時に起動しなくなっても困りますよね。

 

しかし、ビジネス上で万人と繋がらなければいけない状況もありますし、とにかくいろんな情報を知りたいという方だって沢山いると思います。

 

せめて、自身が投稿するときに、ある程度制限してくれたらなあと、思いますね。(笑)

 

本人がオープンで、「いや、自分は全く気にしないから。」という人もいると思うんですけど、いえいえ、違うんですよ。

 

こっちが気になるんじゃあ!(笑)

 

情報過多の現在、こちらが情報を受け取らない!という昭和親父的思考(私もそうですが)を持っていようが、そんなのは今や無駄です。

 

情報は、右から左から、前から、そして背後から、こちらが不要としていても耳に入ってくる時代です。

 

そして、その中には自分にとっては正しくない情報だってあるかもしれない。

 

テクノロジーからのインフルエンスから逃れるには、テクノロジーを捨てるか。(しかし、それは無理ですよね)・・・ですので、インターネット上の影響以上に、リアル社会で受ける環境を整える事しかありません。

 

 

例えば、英語を学びたいけど、ネット上では日本語の記事や日本人のSocial Mediaばかり覗いてしまう・・・

 

そうであれば、日常で、英語が喋れる友達を作るとか、英会話の学習に触れるとか、海外に住んでみるとか、リアルな場面で、テクノロジー以上のインフルエンスを受ければ良いのです。

 

それが、私たちが出来る対策ではあるのですが、一番簡単な解決法としては・・・

 

情報を受け取る側ではなく、情報を発信する側が配慮をする以外にないと思います。

 

 

情報発信の制限は自分のためではなく、あくまで大事な人のため。

 

あと、私がよく思うのは、女性や子供の写真。

それが仕事の場合は別です。プライベートの場合。

 

これは鍵掛けておかないとマズいですよ。

 

パブリックでバンバン出している人がいますが、ものすごく危険に思えます。百害あって一利なしではないでしょうか。

 

実際に、投稿した写真が良からぬサイトで悪用されていたという友人もいます。

 

大人であれば、その女性をあげたのが本人や身近な人であれば、まあ、自己責任でアップしているわけなので、大人の判断でどこまで出すかだけの話しですよね。

 

少し気の毒に思うのが、子供は自分の意思で投稿できないですよね。自分の知らないうちに、世界中にその顔や行動が発信されているわけで、後々、その子が大人になったときにどう思うのだろうと。

 

記録は、例え後になって削除したとしても、どこかにその記録は残っているものです。

 

即日削除したとしても、近所の奥さんが保存しているかもしれません。

 

子供の成績自慢をし続けていたら、将来受験に失敗。あそこの家の誰々ちゃんは、子供の頃は成績が良かったと親が自慢してたのにね、と言われるかもしれません。

 

新しい彼が出来て、過去の写真を全て削除しても、あなたの元彼が鍵をかけて仲間に投稿しているかもしれません。

 

今の彼が、もしどこかで、その仲睦まじい過去の写真を見てしまったら、不愉快な気分になるでしょうね。普通の神経であれば。彼女本人も、その当初は新しい彼ができるなんて思わなかったわけですから、幸せの記録を自分の意思で残したわけです。過去を見せてもおそらく本人は大丈夫なのかもしれませんが、今の彼がどう思うか。これは第三者のマインドになってしまうので、その胸の内はわかりませんよね。

 

本当につくづく思うのが、Social Mediaでオープンに生きている人って、相当な強靭な精神を持っていると思いますよ。

 

それが本当の性格でしたら尊敬に値するし、もし、オープンにしてる人や、またはオープンにされている人のどちらかが無理をしてるなら、しんどいだろうなあと思います。

 

 

個人的には、オープンにしてない人の方が興味が湧きますけどね。(笑)人間、そういうものじゃないかなと私は思っていたんですが、時代は変わっていくのかなあと思います。確かに、とにかく公開したい、公開されたい、知って欲しい!という人が増えているのも事実だと思います。

 

しかし、そのただの個人の公開は、いくら自分が制限していたとしても、限定相手がパブリックに再転送してしまったら無意味になります。なんらかの形で世界中がシェアし得るものである、出した時点でそれは世界に情報提供しているという事を理解し、そのリスクは心得るべきです。

 

インターネットはトリックだと思います。

 

限りなく真実を語っても、受け取り方によって、その真実が歪むことがあります。

 

自分が良かれと思って投稿した事でも、相手が、なんて酷い!と思うこともあるかもしれません。

 

写真もそうですよね、最近は、純粋に自分の思い出のために友達と写真を撮っても「この写真って、アップするの?」と、聞いてくる友人が増えたように思います。(もちろん逆に撮られた際には私も必ず聞いてしまいます。)

 

意識せず、パッパッと勝手に撮ったり、それをアップする方が多いですからね。写真を撮られる事や、プライベートを晒すのが嫌だという人間がこの世にいることを忘れてはいけないと思います。

 

ですから、プロの職業の方も一般の方も、この投稿や写真が、相手にどのように受け止められるかわからないという事を前提に、逆をいえば、ある程度ちがう角度で取られちゃっても仕方がない、という諦めの気持ちも多少含めて、アップデートするべきだと思います。

 

 

ちなみに、私の場合は、プライベートでSocial Media上にアップする事はほとんどありませんが、時々あげるのはナンセンスなものか、あくまでビジネス上で相手合意の上のものだけです。友人に、生きてるよ〜!安否確認してね!という意味合いですかね。(笑)

 

インターネットは、その世界に何かを置いた瞬間、それは自分だけのものではなくなり、その瞬間に、他人のものになると思うのです。

 

置いた写真も、その瞬間に相手がコピーして所持するかもしれません。それを無断で転用したり悪用すれば侵害となりますが、個人で持たれてても自分たちにはわかりません。

 

自分のプライバシーも、その出来事を置いた瞬間に他人が共有し、その事実を知ることになります。

 

自分の大事な友達の写真を見て、悪く言う人だっているかもしれません。楽しいディナータイムを見せることで、そのディナーに陰でケチつける人だっているかもしれません。

 

つまり、陰で何をされても何を言われても、文句は言えないのです。自分が提供した情報なので。

 

という事は、陰で何を言われても、仕方がねえや、というくらいでないと駄目だという事ですよね。

 

なので、私は、ナンセンスなものや、双方合意のものだけを置きます。どうとでも勝手に取ってくださいね、という写真ですかね。例えば私は女性なので、男性が写っている写真をアップしてると、勝手な推測や、良からぬ事を言われるときもありますが、言われても気にしないのを載せてるんですよ、お互い合意の備忘録であったり、ビジネス上の関係やそのアピール的なものですので。言われてマズい写真は載せません。(笑)

 

これらはお互い同意という事で載せてるので、相手も自分も、もしも、その周りに何か言われたとしても、そういう意見もあって仕方ない、と思う事が前提なわけです。

 

ビジネスも同じで、ビジネス上で公開しなければならない事は公開するけど、それはビジネスなので、他人にどう受け止められても、こちらが気にしていては始まらないというわけで。

 

そう考えると、大切なプライベートの時間や人間関係をパブリックにするのは、嫌じゃないですか。自分が何か言われる分にはいいんですが。

 

もしもアップするならば、せめて自分の大事な相手のために、公開制限か鍵はかけたいものです。

 

 

あなたが友達であれば、私たちは常に敬意を示すでしょう。

 

今は未来です。

私たちは未来の世界で暮らしています。

 

しかし、それもすぐに過去になります。

 

インターネットの情報だけでなく、アナログの世界を保ちながら、その両方と共存していくことが大事なのではないかなと、個人的には思います。

 

インターネット上の繋がりだけで交友関係を保つという時代も、いつかは過去になるのではないでしょうか。

 

だって、そこに真実があるかどうか、AIにも見抜けませんもの。

 

起こした文字、あげた写真、そしてそれを受け取った幾万通りもの人たちがそれぞれに受けた印象や感想、それだけが頼りですもの。でも、その投稿や写真をあげたその人が、本当に人々が受けた印象通りの人であるのか、その投稿が真実なのか、人間にだってインターネットを通しては見抜けません。

 

その人とお茶でもした方が早いですよね。可能な距離であれば。

 

最後にもう一つ。

 

もう一つの、Social Mediaからのちょっとしたストレス。

 

ごめんなさい、上記に加え、これも一つの悩みなんです。

 

全く付き合いのない人からの頼み事のメールが最近多い!(笑)

仕事ではないですよ、仕事は別です。

 

友人として頼まれる事は、あくまで友人のために行う事です。それを友人でない人に頼まれると困ってしまうんですが、ネット上で友人になってしまってる場合、混乱するんですよ。断る方も、辛いんですよね。

 

最近、リクエストが多いのもあって、Social Mediaで少し動いているからかな。なんだか多いんですよね、知らない方からのお願い連絡。まあ、動いてると言っても、大事な近しい友達との交流くらいなのですが。(笑)

 

中には10年来、何の連絡も取り合ってなかった人、というよりも、連絡しても全く返答もなかったような人から、突然「実は友達の君にお願いがあるんだけど」と。それ、お仕事の依頼の間違いじゃないの?くらいの大きなお願いをされてしまって。

 

友達?と、少し固まりましたね。確かに、ネット上では友達の関係としてリストには載ってますが。

 

仕事上でお目にかかり、「またぜひお茶でも!」と、あるある的な会話をした事がある人なんですよ。日本では概ね社交辞令の台詞かもしれませんが、外国人は本当にお茶をする流れになるんですよ。(笑)お茶したくない人に、しようとは言いませんので。

 

当然、Social Mediaを通して即コンタクトがあって繋がったわけなんですが、面白い方だったので、ぜひお茶でも、と、私は本当に思っていたわけです。

 

こちらがフレンドシップを築こうと努力をしたけども、相手の意思は違うから返答は来ず、友達関係までに至らずに疎遠となってしまって10年・・ネット上にあるのは繋がりの名前だけ、というのが、これまでの真実だったわけですよね。

 

ところが、突然のフレンドシップ主張とヘルプの連呼。フレンドシップなんて取るどころか、レスポンスさえ一度ももらったことがないので戸惑います。(笑)

 

思わず、心の中で呟きましたよね、映画、ゴッドファーザーのマーロン・ブランドが冒頭のシーンで呟く台詞を。

 

「君が友達であれば、そんな事くらいすぐに引き受けるよ。君が友達であれば、ね。」

 

ご一読ありがとうございます。