前回に引き続き、奇跡についてのお話しです。

小さな奇跡を願うなら、まずは感謝をしてみてはどうでしょう!?と言うことを、私個人の経験から語らせて頂きました。

感謝の気持ちを持って行動してみたら、小さな奇跡を見つけることができた、それってすごく嬉くなりますよね!

でも、その奇跡って、突然やってきたのでしょうか?

感謝で心を洗い、奇跡を探し、訪れてきた小さな奇跡。

何もないところから、突然、空から奇跡が降ってきたわけではありません。

そこには必ず、自分が行動を起こしたと言う前提があるはずです。

前回の記事で話した通り、人間そうそう強くはないので、簡単に自分の意思で行動を起こすことはできません。

しかし、感謝をする事や、奇跡がそこにあると願う事で、自己暗示にかかるわけです。一歩で良いから、と動いてみて、奇跡を探そうと言う目で周りを見る。そしたら、些細なことが奇跡と思えた!奇跡が起きた!・・・と、これでまた、暗示にかかります。

人間は脳の指令に従って体を動かしているわけですが、そこに情報を送り込んでいるのは、私たち自身の思考であり、そして周りの情報でもあり、社会背景でもあるのです。

辛い環境にいると、受け取る情報も辛いものばかりかもしれません。

しかし、無理やりでも笑って、無理やりでも小さなことに感謝してみて、そして、無理やりでも奇跡を探してみる、そうする事で、徐々にその行動が習慣化されていき、次第に素直にありがとうと思えるようになってきます。

自分だけでなく、周りにとってもよい事ですよね。

明らかに言えるのは、自分自身が辛くなるような情報を無理やり送ってくるような相手とは、関わらない事です。環境は我々に大いに影響を与えますから、いくら自分自身が毎日感謝をして、毎日ポジティブな思考になろうとしていても、ネガティブなワードを毎日送り込んでくる人が身近にいるのでは、そちらの世界に引き込まれてしまいます。

これも人間面白いもので、普段はさっぱり人の話しを聞かずに好き勝手やれる癖に、人生で重要な選択時や、思い悩み苦しんでいる時には、他人の話しや情報をすぐに受け入れてしまいます。

本当は(自分はこうしたい!)そう思っているのに、周りが「それはやめたほうがいいよ」と言う。すると、(やっぱりやめた方がいいよな)と、あっさり思ってしまうのです。

すごい不思議ですよね。まあ、私もそうなんですけどね、つまり、情報に頼ってはいけません。

決断も人生も自分だけのものです。

なのに、本当に大事な時に、あっさり第三者の意見を受け入れてしまい、迷いが出てくる。

でも、冷静に考えてみると、それって本当に、正しいのでしょうか。それがどんなに的を得ていて常識的な意見であったとしても、自分自身がその意見を聞いて、(でも・・)なんて少しでも思うようなら、それは、自分の心で納得していないかもしれない意見ですよ。

その第三者は、自分の気持ちや展望や将来、はたまた過去の努力や、あるいは後悔などを知った上での最良のアドバイスなのでしょうか。で、あれば、その意見をあっさり受け入れるのも良いかもしれません。

その第三者はもしかしたらエスパーかもしれません。人間の心や未来が読めるのかもしれないのですから。しかし、そんな事は本当に可能でしょうか。

実は、その第三者の意見は、あなたのためだけの意見ではなく、自分の願望を踏まえた上で、知らずにあなたの決断を誘導させんとする言葉を発しているのかもしれません。

よく考えてみると、私たち皆がそうなんです。誰かに何かを相談された時。その時に、それが物凄く身近な人だったらどう答えますか?

ほとんどの人が、まずは、「その人の、その行動が、自分にとってどうか」と言うことを無意識的に考えているのです。つまり、相手のことを勿論考えてもいるけども、自分のことも考えた上で意見をしているのです。

ものすごく仲の良い友達や恋人が、海外で暮らす!もう帰ってこない!そんな風に言ったら、何だかんだと意見をして引き止めます。だって、自分がさみしくなりますから。

仲の良い同僚が、仕事を辞めて夢を追いたい、そう相談してきました。「でも、この会社ほど待遇のいいところはないよ、辞めて再就職したいと思った時に歳とってたら、どうするの?」「それでもいいんなら、好きなことをやったほうがいいよ」と、応援と同時に、余計な注意を吹き込んでしまいます。でも、実際は、自分が寂しいのです。あるいは、会社の事を考えているのかもしれません。

しかし、人間はその「注意」の方に耳が傾いてしまうのです。身近な人間であればあるほどに。

実は、私たちが受け取っている情報も、私たちが相手に送っている情報も、まわりにまわって、自分(相手自身)のことを視野に入れた上で意見をしていたりするのです。

当然ながら、親身になって意見をしてくれる人はいます。本当に間違っている!と思ってくれているからこそ、反対意見を出してくれる人だっています。一概に相手の意見を聞くなと言うわけではなく、注意には耳を傾けるべきです。

しかし、私たちが気をつけなければいけないのは、それら周囲からの意見や情報に身を委ねてしまいがちと言う事です。

それは時に自分自身の魂に背くのです。〇〇が言ってたから、こちらの方が正しいから、誰がどう見てもこうする方がいいから・・・などと言う確固たる理由づけや辻褄合わせをして、その場の自分を納得させるのです。それは、万が一、その選択に失敗した時に、「自分が決断した事」と言う事実に直面する事から、知らずに逃げているのかもしれません。それが、人間の弱さなのです。

自分の心の内は自分しか読めません。第三者や、一般常識や情報の、何があなたをわかっているのでしょう?

家族、配偶者や親や兄弟はどうなんでしょう。もちろん、家族ほどに自分を想ってくれる人はいません。厳しい意見も、応援してくれる意見も聞くべきです。

ただし、そこにも若干の注意が必要なのです。

だって、一番に影響を与える存在ですからね。

本当に「伝えて」いますか?

親も子も、感情や自分の意見の押し付けや、世間体、そう言うものを取り払って、相手が何を考えているのか、どう言う世界を持っているのかを知る努力をした上で、向き合って話すべきだと思います。

なぜ、就職せずに音楽の道に進む!と息子が言ったのか。

そんな無謀な冒険なんてして欲しくない、そう思うのは当たり前です。しかしその前に、息子さんの音楽を聴いたことがありますか?息子さんの好きなものは何か、何をしている時に一番笑顔になっているか、ちゃんと向き合ったことはありますか?

ビートルズが好きだからバンドやりたいって言ってるけど、全然わからんなあ・・・と、そう言う前に、ビートルズを聞いてみましたか?その何が好きなのか、息子さんの話しを聞いたことはありますか?わかろうと言う努力はしましたか。

息子が選んだ道の、何が気に入らないのか、きちんと伝えましたか。ただ駄目と言うだけではなく、何が駄目だと思っているのか伝えましたか。

親に、「東京に出てビッグになってやる!」と捨て台詞を吐いて、ギターを持って家を飛び出してしまった、全然俺の気持ちをわかってくれない!と、そう嘆く前に、なぜそうありたいのか、何が本当にしたいのか、何に一番喜びを感じてるのか、その本音を親に真剣に伝えたことがありますか?

気がつけば、自分の欲だけを貫いて、親の意見を無視していませんか。真剣に話して「しっかり勉強して大学を出たら好きなことをやっていい」なんて親に言わせれば、立派なものです、大学へ行ってください。育ててもらってるんだから、親の願いも少しは叶えてあげてください。

あるいは、親がびっくりするような人生計画表でも作成して、プレゼンテーションでもしてみましょう。

人間は情報に弱いです。ある程度の事でも、しっかり考えていると言う思考をわかりやすく書面に起こして情報提供する事で、相手を誘導できるかもしれません。手間暇かけて説得しようとしている姿勢が、本気度を感じさせるかもしれません。錯覚してしまう事だってあるのですから、そう言う手を使ってでもYESと言わせてしまいましょう。

身近な人に応援してもらう事、そして助け合える事。これが人生の成功への近道だとは思いませんか。

家族の関係性は、互いの人生にも大きく影響します。自分の主張だけでなく、相手を知る努力をした上で相手に意見をし、そして、互いに認めるべきことは認め、本当にこうしてほしいと願うことは、全身全霊で相手に伝えるのです。

親子だから、家族だからと甘えたことを言ってはいけません。他者の思考を相手が解読することは不可能です。

家族だから全員が同じものを愛し、同じものを好きと言うことはありません。もしそう言う家庭であれば、それは最大の協力者がすぐ身近にいると言うことであり、幸せなことです。生まれ持ってひとつの「環境」が整っているわけですから。

しかし、家族であろうと親友であろうと、先ほど言ったように、何を良いと考えるか、悪いと考えるかは、人それぞれの価値観であり、生き方です。それを勝手に植えつけたり、解釈する事、それはその人間そのもののパーソナリティーを否定しかねない時もあります。

人はそれぞれに個性を持って生まれてきています。

しかし、自分の主張や意見を相手に押し通す事、それは自分の個性を周りに合わせてもらうと言う事でもあります。状況によっては、相手の個性を消す行為になりかねません。大事なのはその個性を互いに承認した上で共存していく事。

人間、手に取るように相手と分かり合えることはありません。分かり合う努力をして、信頼を積み重ねていった結果として、相手のことがほんの少しわかるようになってくるのです。

大事なのは、「自分と相手は違う」と言うことを理解した上で、相手に自分の思いを必死で伝え、そして自分も相手を必死でわかろうとする事だと思います。まずは、そこからです。

「察する」なんてアホらしい言葉は私は嫌いです。そこにはミステイクが多いからです。

私の懺悔も含めてお話ししていますよ。(笑)

皆が皆、相手に言ってるだけ、相手を分かっている風に思っているだけで、実際は皆が、何も相手のことを分かっていないのです。

だって、「伝えていない」のですから。

そして、あなたが「伝わってるだろう、わかっているだろう」と思っていることも、実際には私には伝わっていません。だって、伝えてくれていない限りは、あなたの真意は私の憶測でしかありませんから。

互いの推測が合致する確率なんて、誰にも計算することはできません。

どうしてこう、私たちは不器用なんでしょうか。本当に言いたいことやわかってほしいことを、相手に伝えることができません。

感謝も同じです。

それが、相手の目を見て言えるようになれば、心の底から思って伝えることができるようになれば、それは、人間のひとつのゴールであると私は思います。

本当に大事なものや、大事な人にそれができないから、なぜかどうでもいい第三者の意見を聴いてしまったり、第三者に委ねてしまったりする。そして私たちはこの世界で迷い続けるのです。

そして、小さな奇跡を見逃してしまいます。

気づけば、不安や苦悩ばかりを考えて時間を過ごしてしまいます。

そんな事を考えていても、明日何が起こるかわからない。ましてや、地球が怒ってしまったら、世界中が束になったとしても私たちは自然には叶いません。

身近な人に感謝や愛を伝えることが恥ずかしいならば、生きている事、何とか暮らせている事、まずはそれだけに感謝をしたいものです。


まずは小さな奇跡の実験から

そこで、小さな奇跡を起こしてみましょう!

簡単な事から始めてみましょう、まずはそこのお父さん!

奥様が一生懸命作った晩御飯、そうですね、例えば煮物だとして、それを、「おいしい!おいしい!」「いつもありがとう!」と、この辺を奥様に連発してみましょう。

そして、「そういえば、君の作った餃子も美味しいよね!」なんて、さりげなく自分の好物をぽろっと吐いてみてください。

一週間以内に餃子が食卓に出てきますよ。

小さな奇跡じゃないですか!?(笑)

だって、自分の好物が食べられるんですもの。

これを聞いて、「そんなの当たり前じゃん、餃子の話しをしたんだし」なんて思いますか?じゃあ、餃子の話しをしなければ、小さな奇跡は起こらないと言う事ですよね。

では、それを伝えたのは誰でしょうか?自分です。

小さな奇跡を起こしているのは、すべて自分の起こした、たった一歩の行動であり、その結果なのです。

餃子に限らず(笑)人生において起こる小さな奇跡は、そう言う事だと思っています。

(あの人に会いたい!)そう思っていても、思っているだけでは会えません。

「あなたに会いたいんだけど、近々会わない?」「また連絡ください」と伝えるだけ。それで、もし会えなかったとしても、相手の脳の中には(あの子が私に会いたいって言ってたなあ)と、その情報がインプットされます。

もし恥ずかしくて伝えられなかったら、周りにその思いを言いましょう。「あの人元気かな、会いたいな」と。それが、いつか本人に伝わります。逆を言えば、それだけ人間の口は軽い?と言うか、情報がまわるのは早いと言う事ですけどね。(笑)

そうやって、その相手に情報を送り込んでおくと、ふとした時や、時間ができた時に、あなたのことを思い出すのです。たとえそれが1年後でも、2年後でも、5年後でも。必ずその人に会えます。(嫌われてない限り。笑)

それが、人間の情と言うもので、ただの友達であろうと職場仲間であろうと、相手が気にかけてくれていると言う情報が耳に入って、それをあっさり忘れてしまうほどに薄情ではありません。

そして、脳みそも馬鹿ではありません。お利口さんです。その次の日に忘れたとしても、必ずどこかで思い返すきっかけがあります。言葉にはそれくらいの強い力があります。例え目の前に相手がいなかったとしても、叶ってほしい事やポジティブな事はどんどん口にするべきです。

その情報、つまりその思いを相手に送るのは自分です。「向こうから連絡してこいよ!」「そこは向こうが察して、連絡してくるべきだろう!?」なんて思うならば、その会いたい人に一生会わなければいい。生涯、相手任せの人間関係を築いてください。少しでも会いたいと思う相手であれば、その気持ちを必ず「自分の方から伝える」べきです。

相手が連絡に横着な人?・・・ならば、その人をあなたの気持ちで動かしてあげてください。きっかけを待ってるのかもしれません。行動できないだけかもしれません。何か困ったことがあり忙しいのかもしれません。その理由を、自分で勝手に推測して、相手に伝える前に諦めてはいませんか?

人が奇跡を起こせないのは、奇跡を起こしたいと言う思いを、伝えないからです。

その起こってほしい奇跡が、もし(第三者・人間関係は関係なく)自分だけの目的であったりしたとしても、その思いをしかと自分の心の中に伝えないからです。

自分自身の脳みそにインプットさせるのも、言葉に出して叫んだり、願いを込めて祈ったり、そう言うのも十分に効果的だと思います。所謂、夢ノート的な感じで「書く」と言うことも、良いと思います。

まずは、晩御飯の奇跡から始めてみましょう。(笑)

一人暮らしの方は、「私、イタリアン大好きなんだよね」と、友達にたくさん伝えてみましょう。

次のディナー会やランチ会は、きっとイタリアンになりますよ。

気の利いた友達だと、すごく良い店を探しててくれるかもしれません。

それも奇跡だと思いませんか?相手が自分のために、美味しいイタリアンを探してくれるって。

そう考えると、めちゃめちゃ簡単なことですよね、相手に自分の「好き」や「やりたい」、もしくは「こうしてほしいな」の思いを、前向きな言葉で伝えるだけ。

アホくさ!と思う方は、ぜひ、無言でパクパクと奥様の一生懸命作った晩御飯を食べてください。時々、「いつまでたっても僕の好みを覚えないよね」「味が薄いよね」なんて、ケチを入れてみてください。

そして、最後に、「僕は餃子が好きなんだよね、餃子だったら良かったのに。今度餃子にしてくれる?」とでも、ぼやいてみましょう。

餃子なんて絶対に食卓に並びませんから。