こんにちは。
今回は「ソーシャルメディア(SNS)やるべき?やめるべき?②」です。
前回に続けての話しになりますので、これより以前の話しに関しては、以下リンクの「①」の方へ、宜しければお立ち寄りください。
前回の結論としては、ここまで世界中に、そして社会全体の様々なシーンにまで入り込んでいるソーシャルメディアことSNSですから、やる、やらないの論争自体がナンセンスかもしれない、あって当たり前となりつつある中で、「絶対にやらない」と決めつけるまでもない・・・
しかし、SNSをやる事によってエネルギーを浪費してしまうならば、それはやらない方が良いのでは、と、いうことでした。
- 興味がないなら、やらない。興味がないことにエネルギーと時間を使うのは無駄なので。
- やった方がいいかどうか迷うなら、多分それは今は必要ないかもしれない。
- だけど「気になる」のであれば、とりあえず面白くなるまでやってみれば?
- 社会が今、SNSを中心に動いているという現実、これを考えると、とりあえず「絶対にやらない」と決めつけない方がいいんじゃないかしら?
上記のようなお話しでございました。
今回は、上記の結論について、さらに「Yes / No」をはっきりさせて行きたいと思います。(笑)
社会、時代背景が必要としているSNS
SNSをやらない事で時代に取り残されるだけならまだしも、上記リンクブログ①で述べさせて頂いたように、社会のシステムに対応できなくなると厳しいですよね。
まさに、そんな感じになってきています。今やSNSは必須。
頑固頭で「絶対やらん!」と意地を張っていても、既に避けて通れないような環境が出来上がってきています。
何らかのプラットフォームを使わざるを得ない社会になっている事は、時代背景のせいにするしかありません。
ここは、頑固頭をちょっぴりお酢に浸すイメージで柔軟になり、少しずつ生活に取り込んで行かないと、時代に取り残されていきます。メールの時代に伝書鳩を飛ばそうとしているようなものです。
私はLINEはやらないのですが、その理由は、自分のコミュニティーでは必要のないツールだからであり、iPhoneのText送信だけで十分だからです。
しかし、困るのが、最近は日本の企業窓口にLINEを備えていたり、プロジェクトの進行状況の報告等の簡易メールが、LINEのグループ機能を用いているようなことも増えていること。
日本ではおそらくLINEは主流のコンタクトツールですよね。これを強要されると、ちょっと面倒くさいとなるんですが、まさにこれが現代の社会構造。
日本で生活する、もしくは日本の方々と円滑にコミュニケーションを図るには、友達のみならず仕事でもLINEは必要不可欠と推察いたします。
みんながやってるからという理由でLINEをやる必要はないと思いますが、本当に仲の良い友達や大事な家族がLINEをやっているならば、そこに合わせてあげることも大事なのかなあとも感じます。
ヨーロッパの仕事仲間の間では、もしメールやText機能じゃない方法でやり取りする場合でも、最低限、SkypeかWhatsAppさえ持っていればOKって感じなので、その他を使うに至らないのですが、日本とやりとりするとなると、「LINEは?」って流れになります。
「いや、LINEはやってないから、WhatsAppは?」「Messengerは?」とか、色々相談していれば、なんとかかんとかコンタクト手段はあるのではありますが・・・
もし、どちらかが何のプラットフォームも駆使できない状況で、「それじゃあ国際電話で。」なんて言おうもんなら、それはもう、ただの面倒くさい奴ですよ!(笑)
10年前までは、格安回線に感謝しながら国際電話していた頃もあったんですよね。便利になったということでしょうか。
「SNSやらない」なんて言いつつも、やっぱり私たちは、何らかのプラットフォームにお世話になっているわけです。
そして、今後はさらに、競合や統合を繰り返し、それらが主流となってくると、「絶対にSNSはやらない!」「アプリなんか入れない!」って言ってても、状況に応じて取り入れざるを得ないかもしれません。
悔しい?ですが、こちらが折れて(笑)社会に合わせていくということも、必要です。
昔の人たちだって、着物を脱いで洋服を着たわけですから。そんな中にも「日本人は着物だ!」と、最後まで脱がなかった人だっていたんではないでしょうか。
しかし、いち早く洋風を取り入れた人がハイカラと言われたのも確かなのです。
ものすごい希少な人物で「携帯電話を持っていない」という知人がいます。(笑)
固定電話しかひいてません。つまり、その知人の家の電話番号にこちらが連絡した時に在宅されているか、あちらからかけて頂くかしか、連絡の取りようがありません。
これはすごいですよ!
この域にいくと、すでに尊敬、神かもしれません。
やるならば、そこまでやるべきですかね。
知人ご本人は全く不自由してないのですが(それもすごい)、しかし、周りが困っています。(苦笑)
ですから、SNSをやるのが嫌だけどやる、という大義名分として、「周りの利便のために付き合ってやるか」という風にポジティブに考えても良いかもしれませんね。
日本の盛り上がりの凄さ
私個人は、前回のブログ「①」でお話ししたように、テクノロジーの産物と仲良くお付き合いをしているのは、ブログやサイト運営のみです。
でも、一応、メインストリームのSNSと呼べるプラットフォームのアカウントだけは持っています。
ほとんどがIDキープ目的のアカウント設置だけで終了してるのですが、中には結構大事な友人関係の繋がりがキープされてるものもあるので、たまに覗きますが・・・
それでも、活用できていないです。
嫌なわけではなく、「①」に書いた通り、そこに到達するエネルギーがないだけです。
しかし、そんな自分を、SNSを駆使して更新やLikeをマメにして現代に馴染んでいる友人と比較しても、全く無意味。
自分に合うのは、ブログなどのマイペースな発信のものだけ、他のSNSは連絡キープ用として「使えるもの」として有り難くアカウントを持ってるだけ。
自分でわかってやっているので、自分が更新してないSNSで他の友人同士がやり取り進展していても、全く気になりません。だって、元々そこに使うエネルギーがないのに日常的に使ってたら、疲れちゃいますから。
割と、外国人仲間(主にイギリス人やヨーロピアンですが)には、同じような感じの友達も多いので、気楽です。
外国人には結構多いんですよ、マイペースすぎて機能してるんだか(そこに居るんだか)してないんだかわからない感じの人。もちろん、マメな人だっていますけどね。
でも、日本人の場合は、どうしてもある一定のラインで同じものをやらないと疎外感を感じてしまいがちなので、SNSのストラッグルに陥ってしまうような気がします。
私も日本人だから、やっぱり、たまにSNSを覗いて日本人の友達が壮絶なるポスティング合戦や、やり取りをしているのを見ると(置いて行かれている感半端ないわ。汗)って、思ってしまいますね。人間ですからね。(笑)
でも、イギリスの友人に目を向けると、本当に千差万別。マメな人もいれば、全く存在すら忘れていたのに1年に1回くらい気まぐれで投稿して思い出す人もいるし。
全く投稿も何もしてないのに、メッセージだけは来る、って人もとっても多いので、私と同じように、連絡ツールや安否確認ツールとして便利だよね、程度に捉えて維持してる人が多い感じですよ。
これが日本の場合ですと、投稿から時間が空けば終了です。(笑)
友好なSNS関係を望むのであれば、マメなコメントとポチりは必須。こうなってくると、やっぱり面倒に思ってしまうから嫌になるのだって仕方ないですよ。
でも、世界全体で言えばそれはわずかな輪だと思って開き直り、自分の気持ちいい頻度でやれば良いと思います。
SNSは、携帯電話と同じ。それくらいの気持ちでいいと思います。
コメントしない友人が悪いのか、求める側が悪いのか・・・
SNSの投稿で、ものすごく驚いたことがあります。
それは、私の繋がりの中にある1人の投稿でした。
「SNS上でコメントやり取りできない方とは繋がる意味がないので、この度、一気に50人ほど人員整理します。」という、何とも恐ろしい投稿を見たのです。
そしてある時に、自分も人員整理されてた1人だった事に気付きました。(笑)
投稿やコメントをしない私は、整理されちゃいました。
わずか数ヶ月の繋がりだったような記憶・・・
で、あれば、何のために繋がりリクエストしてきたんだろうと謎です。(笑)
その方はただの顔見知りの人だったんで、特に傷つくこともなかったです。
元々私はSNSを活用してないので、自分から相手にアカウントの有無を聞くことはありません。なので、その方から「SNSやってる?」と聞かれ、「持ってるけど活用してないですよ」「いいよいいよ、繋がろうぜ!」というような流れで始まったので・・
何だかなー。微妙な感じですね。(笑)
かなり年上の、普通に会うと良い雰囲気の会社員の方なんですが、もうびっくりでしたね。
「人員整理」って。会社のリストラじゃないんだから。
生身は嫌な感じの人でも何でもなく、至って穏便で平凡な方だったので、その恐怖の行動はちょっと驚いて「実は他にも同じ考えの人がいるのかしら?」なんて思うと、怖くなったのが本音。
うかうかと横着してられない気分にもなるけど、コメント強制されるのはご勘弁。そんな思考の方からはリストラされてよかったですよ。(笑)
だけど、「人員整理」されなかった人も、あのような投稿を全員見てるわけです。その人の「人となり」を垣間見てしまって気持ち悪くなったんじゃないかな。それが、SNSのネガティブ面でのリアルな本音であったとしてもね。
自分にとって被害になるものでない限り、自分も同意しての繋がりを削除したりするのは、正気の沙汰ではありません。
それは自分の承認欲求を満たしてくれない相手として切り捨てただけ。
気軽にリクエストしたかと思えばブロックしたり、コメントやLikeがなければ催促したり、そういう人は、あくまで「友達(繋がり)」は、自分を盛り上げてくれる相手としてしか見ていません。
人と人との縁を、自我のために「人員整理」なんて世界に発信するような人がいるのがSNSということだけは、理解しておきましょう。
もしそれが仕事仲間や近い友達だったら大変なところでしたよ。(笑)
でも、本当の友人であれば、そんな強要はしませんから、SNSが苦手な方や、あまり更新しないという方は、必要最低限の人たちとだけ安否を取り合い、もし上記の例のような変な人が出入りしてきても、「鳩のフンが落ちてきたけど、自分から去っていったのでフン終了」と思ってスルーしましょう。
投稿や更新をしなければ、SNS上の友情感にブランクができてしまったように感じるのは、仕方がないことです。
それで距離が空く人がいても、それは当然でもあるのです。
仕事でも同じと思うんですよね。少し休めば仕事に大きく遅れをとったり、その席があっという間に埋まる。話題にも遅れをとる。
半年留学して復学したら、クラスの友達関係のバランスが変わっていたり仲が良かった子がちょっと遠くに感じたり。
SNS含め、中が変化してその枠が埋まってしまういう間隔は、ヨーロッパに比べ、日本はかなり短く早いのは違いないです。
音楽で例えれば、日本のバンドが1〜3年で1枚アルバム出すところを、ヨーロッパは普通に5〜8年かけてるバンドも多いですから。時間かけるというより、時間を気にしていないだけなんだろうけど、そのポジションをキープすることにあんまり興味を持ってないバンドが多いのも確かです。
時間や世の中から認識される自分の位置付けよりも、自分がアルバムで何をやりたいか、自分が納得するまでやってるだけなんだと思います。
日本はいろんな面で、流れや移り変わりが凄まじく速い国だと思います。
自分が常に、情報の発信や受信の最先端でいたい、ネット上の繋がりで一番の人気者でありたい、もしくは仲間とリアルタイムな情報を共有したい。そう思うなら、SNSはマメにやるべきです。
やめたいなあ、嫌だなあ、そう思うなら、別にやらなくてもOKだと思います。日常的に生活する上での交友関係において、何のマイナスもありません。
むしろ、プライベート感を出さない分、余計な詮索もされないので精神衛生面ではプラスです。
ただ、嫌だからと無理やり全て削除して、スマホを捨てるまではしなくていいと思いますけどね。(笑)
最初に書いた通りに、時代が時代ですので、そのツール上でしか連絡が取れない友人やビジネス関係が今後もどんどん増えてきます。
日本のSNSへのエネルギーはある意味では異常です。
これがプラスに働けば、かなりのものとなるでしょう。
世界発信を狙って、あくせく英語でビジネスすることに奔走するヨーロピアンよりも、日本人は恵まれているのです。
日本人であれば、母国語で勝負し、慣れ親しんだカルチャーをベースに国内マーケットだけを狙っても、1億2,000万人の規模。
それが上昇してつながりが増えて行けば、ビジネスとしても成立するわけなので、元値ゼロで何かのきっかけに繋がるかもしれないSNSは、誰しもが得られる可能性のある場所なのかもしれません。
しかし一方では、その異常なまでの熱気や反応に、中には「もう降りられない」ような状況になっている人もいます。
そして、そんなにものすごい頻度で追われるように投稿している人の中にも、ビジネス目的の人だけじゃなく、本当にごく普通のお勤めの方だったりすることが日本で見るSNSには凄く多い気もします。
外国人の場合は、追われるような数の投稿している人は最初からビジネスありき。
トータルして皆が皆、投稿を連続しているように見える(比率として高い)日本人は、やっぱり、更新頻度が外国人とは全然違うんですよ。
一般の生活に「SNSをやって投稿しなければ」というような風潮が浸透してきている感じがするのが、少し怖いような感じもします。
皆が皆、楽しんでいるのであれば良いのだけど、実は、少々面倒に思いながらも続けている方もいるような気がしてなりません。
インフルエンサーや著名人として、対価を得ながらSNS投稿をやっていても、このバッシングがはばかる世の中ではキツいはず。それが何千万、何億の利益となっていても、人格否定や投稿否定が繰り返されるのは、苦しくないわけがありません。
一攫千金のチャンスを狙いたい、有名になりたい、そういう確固たる目的があれば、それ相応の心づもりで挑んでのSNS活用なので、ポジティブな面も多くあると思います。
しかし、そうじゃない人の場合、あえて頻繁にSNSで我が身を晒す必要があるのでしょうか。
ましてやプライベートなんてもってのほか。リスクしかありません。
日常の交流や情報収集の一環として、備忘録として、友人とのやりとりとして、その度合いでSNSとお付き合いしているのならば、周りがどんなにヒートアップしてLike(いいね取り)に走ったとしても、自分は自分のペースを崩さずに気楽にSNSとお付き合いするべきです。
嫌になったり、追われているように義務感となって苦痛になるようなら、それは自分に合ったペースでやっていないということだと思います。
また、いわゆる「リア充」のような方の投稿、そのプライベートには、若干のフィルターがかかっている事も多いわけですよね。
「あ~あ、今月もまた赤字だわ」と、家計簿を公開する人はいません。
実はクビになっただけなのに「起業目指して頑張ります!」と投稿する人もいるかもしれません。
実生活ではめちゃめちゃ嫌われているのに、SNSではすごく人気者かもしれません。
写真を撮るためだけに借金して旅行しているのかもしれません。
しかし、見栄を張ってゴージャスな生活を投稿したのに、それが返って陰で友達から反感を買われてしまっている人もいるかも?しれませんよね。
あるいは、全く会ったこともないつながりの人であれば、そこに何かの裏があったり犯罪のリスクがある可能性だってゼロとは言い切れません。
SNSで投稿されている「顔」が、どれだけ素です、プライベートです、と言おうとも、着色が必ずされている事は知っておくべきです。
それを真に受けて、自分は正直にプライバシー部分までうっかり晒してしまったり、周りと同じようにしようと無理したり、SNS上の肩書きや投稿を信じて仲間を作ろうとするのは、良い使い方ではないと思います。
SNSを使うことが、良いことか、悪いことか。
やったほうがいいか、やらない方がいいか。
この問題については、永久に賛否が続いて解決することはないと思います。
確実にリスクは存在するのがSNSです。
しかし、社会が必要とするものとなっている以上、残念ながら避けては通れません。
近い未来には、「SNSを使ってた時代もあったなあ」と、振り返る日も来るだろうと思います。
しかし、その時には、今よりももっと強烈な(笑)テクノロジーの産物が現れているはずです。
今よりも楽で、今よりも頭を使わず操作できて、そして情報筒抜けのツール。
残念ながら、現在「SNSってめんどくさいなあ」と思いながら、適度にお付き合いをしている私たちが、もっと「めんどくせー!」って思うような物を駆使して、他人とコミュニケーションを取ったり、社会と適応する必要がある時代が来るでしょう。
現在、私たちが嫌々使っている(笑)SNSツールは、そのための予行演習。準備期間と考えましょう。
携帯電話すら持っていない私の知人の話しをしましたが、その知人がもし今、いきなりスマホのアプリ機能を使わざるを得ないような状況になってしまったら、如何にもこうにも立ち行きません。
まずは、携帯電話について、メールの打ち方について、ひいてはキーボードの説明から始まることになるのです。
そうなると、もう原始人として生きていくしか道はありませんよね・・・
ポジティブに捉えるなら、SNSは未来への伏線、友人との連絡が昔よりちょっと楽になったツール、くらいに気楽に考えましょう。
それらと共存する方法は各個人のエネルギーの使い方によって、マイペースにやれば良いと思います。
まあ、個人的には、「固定電話で過ごし、絵葉書を出し、辞典で暮らす」という10代を見てみたいですけどね。
「SNSはやるべき?やめるべき?」まとめると、こんな感じかな。
- SNSは時代の産物。現代で暮らす限り避けては通れないツール。
- この先、友人交流や自己アピールの場に限らず、社会で共存するために必要不可欠な物になる。
- 但し、SNSを義務化することや、SNSを中心に生活することはやめた方がいい。
- SNSをまだ使ってないなら、必要になった時にアカウントを作ればいい。
- アカウントを持っているなら、急いで削除して「やらない」と決める必要もない。放置して見なければいいだけ。もしも「害」となったら、削除しましょう。
- 備忘録投稿するだけ、ただの連絡ツール、ただの安否確認、など、自分の中で気持ち良いSNSとの付き合い方があるなら、開き直って付き合う。
- SNSを駆使している人たちにもSNS上での顔がある。感化されないこと。
- ビジネス上で使う場合以外は繋がりに固執しない。繋がりを増やす理由は発信者の自己承認欲求のため。相手を気持ちよく盛り立てる事ができない場合は切り捨てられることもある。
- 将来的に、SNSに代わるもっと面倒くさいツールを使う時代が来る。
- SNSを嫌々維持しているだけでも、未来の発展したテクノロジー時代への予行演習になっている。
光が世界を網羅した時代になろうとも、やはりリアル社会は一番大事です。
どんなにテクノロジーと深いお付き合いをしようとも、対面でお互いの温度を感じながら会話し、笑い合うようなリアルな空間だけは絶対に無くさないように意識したいですよね。
お付き合い頂き、ありがとうございました。