改めまして、こんにちは。
前回のイントロダクションにて、「言葉」と「行動」について軽くお話ししました。
今回は、それらについて関連のある、私の実体験(嫌な出来事)の話しを綴らせていただきます。
音楽家を目指してる女子の方、参考にしてくださいね。
今更ながらですが、私は音楽をやってます。
アンダーグラウンドシーンで軽くやっているだけですけども、主にはレコーディングワークを中心に、イギリスやイタリアで現場製作を行ったりしていますが、世界各国からコンタクトがあり、ネットで作業を進めることもあります。
日本にも、少ないですが音楽の知人はいます。
それはあくまで、イベントの共演者だったり、昔からのレコーディング仲間であったり、スタジオでお世話になった人であったり、リアル社会での知人なのですが・・・
ある日本人のミュージシャンから回りにめぐった人伝てにコンタクトがありまして。
オリジナルの曲を完成させるのに、歌入れや歌詞、アレンジなどに協力してほしいというものでした。
もちろん、大喜びで手伝いますよ、だってそれが私にとって一番楽しい仕事ですからね。
データのやり取りを繰り返し、スタジオで仮録音をし、ネットを通じてその音源を確認し・・という作業をかれこれ、半年以上もやっておりまして。
当然ながら、曲のベースはすでに何曲も出来ており。やりとりの合間に、私が東京に出向ける際に、実際にスタジオでセッションしたことも。
無名の人ですが、演奏のスキルや作曲能力などもレベルが高い方で、これはいい作品ができる!と、私も楽しみにしてたんですよ。
ただ、その長い長いやり取りの中で、不思議に思うことが3つ。
まずひとつ、時間がかかりすぎる。
ふたつ。提案、行動に賛同してこない。(話しが進まない)
みっつ。ミーティングをしたがる。
このみっつ目に付属して、貴重な短い会える機会を無駄に会話だけで過ごそうとする。
かねてより、不思議でした。つまり、違和感がありました。
日本での共同製作のテンポの標準は私にはわかりません。
ですが、これが私の知る限りの音楽仲間であれば、すでに出来上がってる曲はあるのですから、「じゃあ、会おう!」となった時に、すぐに録音をするか、ビデオなどの素材を作るか、ライブで披露するか・・・実際に会える際には、出来る限りの事をやるわけですね。
1日でもあればかなり多くの作業ができます。もちろん、お互いに「そのために」時間を作って会うわけですからね。
仮に、国外在住同士でなかなか会える機会を得られなかったとしても、例えばデータやり取りで録音を完成させて、映像を各自で撮ってビデオを作って配信するなど、どんなことでも出来るわけですよ。音楽始めたばかりの素人ではないわけですから。
これは、外国人の仲間に限らず、日本の仲間でも同じ。
かれこれ何年も会ってない友人と、共同制作した楽曲を少し前にリリースしましたが、彼は日本人ですが、実際に会ってミーティングするわけでもなく、Skypeなどのツールで特に直接会話をするわけでもなく、ネットのやり取りだけでパパパッと作業が完了します。
それが、その知人の知人伝てを通じてコンタクトをくださった日本人の方の場合は・・・仮にAさんとしましょう。Aさんの場合は、曲ができました、はい、次にこういう展開はどうですか?と提案を投げると、その返答は無しで、長らくの沈黙。
しばらく経つと、共同製作中の作品の提示のあおり有り。ああ、生きてたのねと、私は即、データを返します。
次に、次回に会える機会に、ライブはどうですか?レコーディングしますか?などと提案を投げても、やはりそう言った提案に対する返答は無し。
追求すると「まだお互いをよく知らないので、もっと会話(ミーティング)を重ねてからじゃないと、お互い信用もできないだろうし、音楽を一緒にやる実感がわかないなあ」と、言うのです。
全くを持って意味不明ですね。
こういった意見は中学生みたいなもので。
まず出だしがネット上の細かなやり取りから始まっており、その時点でお互いを知る情報は音源とデータに委ねているわけで。すでに互いの音とスキルをわかっているところで、今更「お互いを知らない」というのは、何を言うとんのじゃ、という話しです。(笑)
また、データやり取りというのは、とても大事な作業です。誰にとっても作品は、例え1小節の曲であろうと、一行の詞であろうと文章であろうと、知的財産のひとつなのです。
*余談ですが、知的財産のひとつである著作権というものは、作品が生まれた時点(殴り書きを含め)からその本人に自動的に発生しており、物理的な証明をどこかの機関から得たから権利が自分にある、というわけではありません。
その作品を送る、受け取るという作業、これらに双方同意して作業を進行しているということは、すでにお互いに権利を慎重に扱うことを前提とし、誠意を持って信用ある行動をしなければならないのです。
なので、データをやり取りする時点で(私だけでなくAさんがデータを送ってきた時点で)すでに仕事は始まっているわけで、散々作業を進め、自らが先にデータを開放しておいて、信用ができないも何もないわけで。
そういう意見は、こちらも怖いですね。「えっ?まだ信用したらあかんかったんかい?」みたいな。そういう話しは、物を作る前にいうことですよね、百歩譲って。
また、行動に移す提案に乗ってこないと言うのも不思議です。
じゃあ、行動を起こすのは10年後ですか?と言いたくなるのですが、こう言った方は、10年経っても行動を起こさず、せっかくいい曲を持っていても、誰にも聞かせることがなく終わってしまうのです。
やるやる、いつか、と言うだけの人は、結局何もやらずに終わる
留学3ヶ月説、というのがありまして、留学サポート業界では、「留学する」「海外に行く」と言って、3ヶ月経っても行動を起こさない人は「行かない」と言われているそうです。
例えば、相談アンケートなどで「留学予定:具体的には未定、1年か2年後くらい」などと書く人のほとんどは、実際には留学しないというわけです。
本当に留学したいと思っている人は、ある程度のお金を貯めて、ある程度の行動を起こせるような状態になってから、そういった仲介会社に相談に行ったりするんですよね。
私も、実際に、渡英を決めたのが2005年の9月、それに向けての行動を始めたのが10月、実際に渡英したのが翌年の1月です。
それと同じですね。行く行く、やるやる、いつか、というだけの人は、結局やらないのです。
で、前述は結果までの流れのご説明でして、では、何に対して嫌な気分になったかというと。
その、進展の機会です。
実際に、じゃあ、次の機会に会いましょう、具体的に何か進展させましょうと双方合意でその流れになったのですが・・・
様々な提案はいずこへ。相手から相談もなく、一方的に「スタジオ練習と飲み会」の決定の連絡が来たのです。
練習は、それぞれが出来る事。近くに暮らすバンド仲間ではありません。また、仕事で出向いているのに、友達でもないのに、先に飲み会の提案をするなんて言語道断です。それは、仕事が終わってから時間があればの話しです。
貴重な時間です、せっかく時間を割き、遠方から金を使って出向いても、練習だけでは・・と、少し呆れましたが、ここは大人ですから、「承知しました、練習しましょう!」と。
ただ、私は他にも予定が多く忙しかったもので、「飲み会関しては、そんなに遅くまでは付き合えないですが・・」と、やんわり事前にお伝えしたんです。
正直に言って、なぜそんな必要があるのか、お断りしたいと思ったのですが、そこも大人対応でピシャリとは断らず、遅い時間は無理だけど、多少は大丈夫ですということを伝えておいたのです。
もし、会話を長くしたいようであれば、ランチミーティングも可能ですと。
そしたら、なぜか怒りに満ち溢れた文体の連絡があり。
「話しが違うので、今回はやめましょう。」と。Aさん自らが一方的に決めた日時と予定を、一方的にキャンセルされました。いわゆる、Aさん自爆というやつなのでしょうか・・・
どうやら、飲み会に遅くまで付き合えないというのが気に入らなかったらしいです。・・・と言う文面でした。
えー!?音楽でしょ?そのためのスタジオでしょ。
練習しようと言ってるのに、それこそ、多少なら時間も大丈夫だけど?みたいな様子見的に返してるのに、遅くまで飲みに付き合えない部分にキレるって・・・意味不明です。
また、その予約したスタジオのキャンセル料金を払って欲しいとも言われ。
そこは、私はキャンセルもしてないし、さらに言えば予約の同意もしてないところを相手が勝手に押さえて、勝手にキャンセル申し出たわけなんで、私に払う理由はないので、流石に言及しようかと思ったのですが。
様子を見ていた限り、何度も1人ツッコミのメールがありまして、一人で勝手に妄想して突っ走ってテンパった感じですね。
特段、こちらからは文句の連絡も一切入れていませんが、ただ、次回からのやり取りはご遠慮したいと思います。
音楽のために予定しておいた時間を放棄するなんて、ミュージシャンシップのかけらもありません。
真剣に音楽をやっているこちらからしてみれば、怒りたいのは私です。
しかし、気持ちに行き違いがあった・・・と言う結果があるわけなので、それに対して私に非がある部分もあったのでしょうし。例えば、「飲みに行ってコミュニケーション取りたい空気を感じ取らなかった」とか?いや、知らんがな。(笑)
いずれにせよ、これは私の意見であり、先方からすれば、ミュージシャンとの付き合いの第一歩は「飲み」もインクルードと言うのが普通の意見だったのかもしれません。だから、私が怒っても、相手も相手の言い分で怒ってるんですね、きっと。
この意味不明な相手の行動を、音楽知人に伝えて第三者の意見を聞いたところ、やはり「結局、音楽目的じゃなくって、一緒に飲みたかっただけでは?」と、言うのです。
知人の誰もが、「逆にあまり親しくもなってない女性に遅くまで飲みに付き合わせようと言う方が、おかしい」と。
海外だと、明らかにおかしいのです。
ただ、実際に、日本だと、夜の食事=飲みも有り、という図式はありますよね。仕事仲間でも友人関係でも。つまりは、ご飯でもどうでしょう?という意味で、飲みに行くか!というお誘いをすることは、日本人同士ではよくあることじゃないですか。そういう捉え方もできるのかなと。
しかし、イギリスでは、夜のお食事や飲みの誘いというのは、普通の友人同士や仕事仲間の間では(1対1のサシでは)まずありません。ディナータイムという時間は、よほど親しくなってからでないと誘う方も失礼かな、と感じるし、誘われた方も少し構えてしまうのですよね。
但し、夜の時間帯でのミーティングは当然友人同士でもあるので、そう言った場合でも、「How about cuppa?(お茶でもどう?)」として誘うわけです。もちろん、その場所は、イギリスの社交場であるパブになりますが(笑)、飲み会というわけではなく、相手が飲もうがこちらがコーヒーを飲もうが、そこは自由なのです。
そんな国で長年いると、あまり親しくない人から夜の時間帯に飲みに行こうと言われると、違和感アリアリなのが、本音では思っていたのです。
また、その相手は男性で、女性音楽家との共作を切望しているものの、これまでも何度も共作者との作品完成ができず、知人に知人を巡って私に話しが来たわけらしいのですが、「つまりはそう言うことではないか」と。
ミュージシャンシップのない人とは付き合わないほうがいい、と、当然の声が上がりました。
行動になかなか移さない人と付き合うことは、時間の無駄
女子の皆さん、わかりますか。
単純に、「自分は音楽スキルがこれだけあるぞ」と言うことを盾に、無名の女性音楽家に声をかけ、実はお姉ちゃんと一緒に飲みたいだけだった、と言うことですね!
あるある、ですよ。若い子は尚更多いのでは?
もしかしたら、その方は、女性の友達が欲しかったのかもしれません。いえ、もしかしたら、本当に真剣に音楽をやるために飲み会をやりたかったのかもしれませんが・・・
練習スタジオをキャンセルする時点で、音楽家として終わってるかと。
また、そのAさんの意図については、上記のように憶測でしかないので、なんとも言えないですが、日本では、知り合って間もない仕事仲間でも、1対1での夜の食事を共にしながらミーティング、というのが割と普通になってるように思うのです。
それが決して悪いこととは言いませんし、私も(たまたまAさんにやり取り時点で違和感があっただけで)日本人同士であれば普通に誘いを受け取ることもできます。ただ、お互いにどういう意図があるのか、そればかりはわかりませんので、親しくない間柄であれば、多少の注意をした方がいいと思います。
女性なら、もしかしたら危険が伴うかもしれない、男性でも、何か女性に思惑があるかもしれない。それらの可能性が0とは、誰にもわかりません。
個人的な意見では、1対1の仕事関係の場合は、お互いをよく知るためにディナーに誘うのではなく、お互いをよく知ったかも・・という位になってからディナーなどの場を設け、それまではランチミーティングやお茶の時間などに留めた方が良いと思います。これはお互いが気を使ったり、考えすぎたりしないための配慮でもあるかと思います。
ただ、ひとつだけ悔やむのは、そのために準備した「作品」に費やした時間を返してほしいですね。
スタジオ利用やら仮録音なんかもしてますんで、少しのコストはかかってますが、そんなもんは別に、いいのです。その方から連絡がなくとも、何かしらでスタジオに入っているわけなので。
大事なのは「時間」です。
音楽をやる人にとっての一番の喜びである「新しい作品への取り組み」。これを前提にしながらの、やるやる詐欺。蓋を開けると「飲み会かーい!笑」
これは罪ですよ・・・
本当に、笑い事ではなくて、全ての音楽を真面目に愛する人たちにとって大変失礼な行為かと思います。
また、私が女性の立場でこう言った話しをココでしますよね。でもこれは個人間、私とAさんの出来事なわけで、他の方は全く関係ありません。
しかし、「そんな人がいるの?」なんて私や私の知人が思ってしまうこと自体が、真面目にスタジオ練習やミーティングを行い、真摯に女性音楽家と向き合っている多くの男性に対しても失礼です。
なので、女子のみならず、男性の方にも、そう言った「行動になかなか移さない人」や「ナンセンスにミーティングをしたがる人」と関わるだけ、時間の無駄ですよと言うことで、ここに書き記しました。
ミーティングも大事です。それはわかります。
しかし、それも時と場合によるかと思います。
今回の私のように、それが作品製作という目的であり、お互いに素人というわけでもなく、距離が離れた場所の場合、会える機会は会話なんてしている暇はございません。演奏や録音、なんでもいいからその時間を、音楽の行動に移すべきなのです。
バンドや家族のように行動を共にして活動している場合は、ミーティングも必要かもしれませんが、個人的には、あまりにもミーティング、ミーティング、とそこに拘り続けるのは少し違うと感じます。
ビジネスの詰めの商談などであれば別ですが、目的に向かっている過程では、とにかく場数を踏んでいくこと、行動を起こし続けることの方が大事かと。
会話をせずとも、ミュージシャンは演奏が会話となりますから。逆に言えば、会話がいくら合ったところで、肝心の音楽が合わなければ無意味ですしね。
私も、違和感を感じた時点でさっさと断っておけば良かったのですが、一番信頼すべきはずの私自身の直感を押し殺し、ギリギリまで作業を続けてたのは、これもひとつの情報による迷いが出たためなのです。
相手がそこそこのスキルがある音楽家であること、自分も関わって作った作品が「良い」と自負できる出来になっていた、それを完成させたかったと言うこと。この二つの情報が、私の、相手に対しての違和感ありありの本音を惑わしてしまったわけなのです。
二番目に関しては、ミュージシャンとして普通の意見だとは思うんですけどね・・・
第三者のことなら客観視できるけど、自分のことだとどうしても、考えすぎちゃうんですね。
考えすぎること、イコール、自分にとってNOであること。
身を以て実験してしまいました。(笑)
それと、好き嫌いで決めるというのは大事ですねえ。やっぱり、それが結果に出ますから。
やり方や考え方が違うなとか、テンポが違うとか、もうその時点で多分、好きではないわけですから。
さて、長い実体験の話しではありましたが、この話しからわかること。
実際に行動が伴っていないことは、いくら言葉を発しようともただの妄想でしかなく、真実にはならないのです。
次回は、この実体験を元に、「信頼とは何か」を語ってみたいと思います。
ご一読ありがとうございます。