幾千もの人々が行き交う路上で歌っていると、いろんな人に会う。
様々な職業、様々な年齢層、様々な人種、様々な性別。
そして彼らも、忘れちゃいけない、私の大事なオーディエンス。

路上で暮らす人達が居る。

時々、彼らは演奏を聴きに来る。私のオーディエンスだ。

英国では一般的に、路上で寝泊まりする人をBeggar(ベガー)と呼ぶ事が多いのだか、ニュアンス的に何となくネガティブに聞こえてしまうので、これを使用しない。あくまでポジティブな面で、彼らの話しをしたいと思う。

ロンドンの街を歩いていると、路上に座り込んで
「チェンジプリーズ(小銭を下さい)」
とつぶやいている人を、至る所で見かけるかと思う。

彼らには、自分が戻れる場所や仕事もなく純粋に人々の助けを求めている者も居れば、ジプシーと呼ばれる世界各地を転々と放浪する人達もおり、中には、帰る場所があれどもあえてサバイバーな生活を求めて、定まった宿を持たずに旅している若者達もいる。
時には、その立場を悪用し、通行人の慈悲を乞うため、互いの犬や赤ちゃんを貸し借りしてまで、路上に座る人も残念ながら中にはいるらしい。

それぞれの事情があっての路上暮らしだろうと思うが、お国も彼らのために、そして彼ら自身もお国のために解決して行かなければならない問題もきっと山積みであろう。

しかしながら、彼ら路上で生きる人々が、ロンドンで暮らす皆と上手く共存して行けるのも、イギリス人の慈善を施す国民性と、身の周りで繰り広げられるどんな出来事もユーモラスに受け止め、笑いへと繋げて行くイギリス人の気質が、実は大いに関係しているのではないかと思う時がある。

ロンドンに住む者ならば、こんな風景を見かけた事がないだろうか。
地下通路を歩いていると、その先に男性が、毛布に包まって座っている。すると、自分の目の前を歩いていたビジネスマン風のイギリス人が、彼に

「ヘイ、元気かい?」

と、笑顔で声をかける。声をかけられた男性は、

「今日はとても寒いんだよ、だから今夜はトンネルで寝ようと思ってる。」

等と答え、そのまま二人はまるで知人かのように会話を続ける。
そして、最後にビジネスマンは快く一ポンドコインを彼に渡し、笑顔で手を振り去って行く。

一見、普通のやり取りにも見えるこの風景だが、私は何度も何度もこういった風景を目にし、心が暖かくなるような気がしてたまらなかった。

自分に置き換えてみたならば、私はきっと彼らに笑顔で話しかけたり、快くお金を渡すす事は出来ない。素通りしてゆくか、声を掛けられても苦笑いしてすぐさま立ち去るかの、どちらかだろう。

彼らがどういった事情でそこに寝泊まりして居るのかは分からない。人間、助け合わなければいけないのかもしれない。とは言え、笑顔で会話をして手元のコインを渡し、颯爽と手を振る事は私には到底できないと思うのだ。

そう、それが、バスキングを始める以前までの私だった。

日本から英国に訪れて来た知人が過去に何人か居る。そんな日本の仲間とパブやカフェ等で会話をしていると、「路上に人がいた」と私に怪訝な顔で伝える者が何人か居た。そんな話しを聞くと、私は何故か不愉快になったものだ。

実際のところは、私だってそう思った時代もあったのだ。しかし、今までロンドンで目にして来た多くの風景により、そのような思いは消えてしまった。ネガティブな一言に片付けられてしまう事が納得がいかない思いにかられてしまう。

しかし、現実問題として、目に見て聞いて感じた事というのは、人の考えに大きく左右する事は間違いない。それらが自分の想像し得ない世界であれば、それに賛否をつけるのは個人の自由なのである。そして、私もきっと同じなのである。物事や人を、自身で感じたままの色眼鏡をかけて見てしまうのである。それが人間と言う生き物なのだろう。

彼らに対して笑顔で言葉を返せるようになったのは、バスキングを始めてからではないかと思う。

我々バスカーは政府の管理の元、路上で演奏を行っている公式のパートタイムデュークボックスである。しかし、路上に立ち、チップを受け取りというスタイルは、彼らと全く同じ立場であると言える。

初めてバスキングという舞台に立った時は、コインをギターケースに落としてくれる人が居るという事が本当に信じられず、とても感動した。そして、そんな日々を繰り返していると、人間の本当の暖かさに気付く。

批判的な言葉を投げつける者も居る。コインや荷物を盗もうとする輩も居る。しかし、その一方で、暖かい言葉をかけてくれる人達も沢山居る。

寒い日には自分のマフラーを置いて行こうとした通行人も居れば、寒いでしょう、と、わざわざホットチョコレートを買って持って来てくれた人、自分が食べるために購入した買ったばかりのサンドイッチ等を置いて行った人も居る。

一体誰が、自身のために買った物を路上で出会った他人に与えようとするだろうか。一体どれくらいの人が、見ず知らずの者のために自ら時間を割き、飲み物等を買いに行こうとするのだろうか。

私には絶対出来ない。

しかし、一期一会の彼らへの恩を、私は忘れた事が一度もない。そして、私も出来る限りの努力をし、見ず知らずの人でも優しい心を持って接したいと、自分がバスカーになって路上で出会った人達のおかげで思うようになった。

バスキングをする生活を繰り返していると、私は、我々バスカーがある意味路上で生きているということと同じく、路上で生きる彼らの事を他人事として切り離して考える事は出来ない。
同じようにこの世界を、そして同じ時代を生きてゆく仲間だと思っている。

だが、手を差し伸べる事もできず、ただそう言っているだけでは奇麗ごとと言われても反論はできないし、私がこの目で見て来たような、笑顔で彼らと向き合うイギリス人のようには、中々なれそうにもない。
そして、イギリス人全てがそうなのではなく、それらに批判的な人達だって多く存在する。

路上で暮らす人達の中にも、様々なタイプがあるが、イギリスで最も目立つのは、陽気で明るい人達だ。もしかしたら、ヒッピー風のスタイルをしているだけなのか、本当に戻る家が無いのかが全く読めない。それ程に彼らは前向きで明るい。

私が演奏するバスキングのピッチは、駅構内、いわゆるホームに向かうまでの通路やエスカレーター付近以外にも、駅によっては改札を出て地上に向かう通路や、おもむろに外に面した場所等にもある。

ピッチは、国が予め設置しており、何処の駅にもある訳ではなく、又、何処で演奏していいと言う訳でもない。必ず、決められた場所、決められた時間に行わなければいけない。

その場所の中で、「改札を通らなくてもよい場所」にピッチがある駅では、路上で暮らす人達もよく遊びに来る。彼らはチップをくれる訳ではないが、勿論私のチップを取るわけでもない。

彼らは、暇を潰しに我々の演奏場所へと遊びに来るわけだが、私も、延々と歌ってばかりも暇なので、彼らが訪れたら喜んで会話を交わし、世間話等を少しばかりの時間、楽しませて頂いている。

彼らは我々バスカーに向かって優しい言葉をかける。

「寒いのにご苦労さん、明日食べて行けるお金はできたかい?」

金銭を奪われる危険は一切無い。中には危険な場合もあるが、それは相手が誰であろうと同じである。路上で暮らす彼らは、逆に、彼ら自身が人々から恵んで頂いた大量のコインを私に置いて行こうとする者も居るくらいだ。

時々、自分達が頂いたサンドウィッチやバーガーなんかを、半分に割いて私の元へ持って来てくれる人も居るのだが、さすがにそれには困っている。

「No, thanks」と笑顔でお断りするのだが、中には私が本当は遠慮しているんじゃないかと、

「いいから食べなさい、食べないと今日一日を頑張れないよ」

そう言って、しつこくサンドウィッチの半分を私に差し出してその手を引っ込めない人も居る。

先日は、バナナを一本持って私の目の前に立ち尽くし、何も言わずじっ、とこちら見ているだけの人が居たのだが、あまりに、じっ、とコチラを見てるだけなので、少々不気味な感じにもなった。

どうやら彼はビートルズのファンであったらしく、私がビートルズのナンバーを歌い出すと、いきなり体を揺らし喜び始めた様子で、私の演奏に合わせてビートルズを熱唱した。そして、手に持っていたバナナを私に手渡し、無言で去って行った。

彼らは主に、改札より外、駅敷地内の出口付近など、寒い風が遠慮なく吹き込んでくる場所で演奏している時に会う事が多いのだが、時々ではあるが、改札内の演奏ピッチで出会う人達も居る。

そんな時、一番に不思議に思うのは、「どうやって改札内に入ったのだろう」と、いう事ではあるのだが、これはいまだに謎である。何故なら、彼らは電車に乗るわけでもない。音楽だけ聞いて、また改札を出て行くのだ。

そして、音楽を聴くためだけに、ロンドンの高い地下鉄の切符代を改札を通るためだけに払うとは思えないからだ。しかし、そこは考えても無駄なのでスルーしよう。

ロンドンのセントラル圏の某駅にて、改札を入ってホームまで向かう長く狭い通路、そこに私が好んで予約を入れるお気に入りピッチがある。

そのピッチで、夜22時以降に演奏すると、大体50代前後くらいであろう男性二人組によく会う。路上で暮らす人たちだ。

彼らは、私を見つけると、私の演奏場所より約三メートル先の離れた場所にあぐらを組んで座る。私が歌いだすと、じっ、と喋らず静かに聞き、一曲歌い終わる毎に拍手をしてくれる。

三メートル程先に座る、というのが何ともいじらしい。私の目の前に立つと、狭い通路では他の通行人の邪魔になる。そしてピッチの真隣に座っていても私の気を散らすかもしれない。彼らの気遣いが伝わってくる。

そして、大体、四~五曲くらい演奏が終わった頃、私に挨拶をするために近くに寄ってくる。

「今日もありがとう!これから僕らはハイドパークで野外コンサートがあるから聴きに行くんだよ。おかげで気分が上がってきたよ。」

「ハイドパークのコンサート鑑賞?」そう、彼らに問いかけると

「ま、チケットなんて当然ないし、僕達はその公園で寝るだけなんだけどね!いいだろう、音楽がこう、聞こえてくるんだよ、星空を眺めて音楽を聞きながら眠るのさ。」

彼らはそう言って陽気に去って行った。

そんな彼らには、その駅で演奏をする度に何度も何度も会った。彼らが現れない夜は、今日は来ないのかな、今宵は何処に向かうのだろう、どこで眠っているのだろう、なんて心配になってしまう時もあった。

ある日の事、いつものようにいつもの駅で、白いビニール袋を手に下げた二人の例の男性が現れ、いつもの定位置に腰を下した。

彼らは、到着時には声を掛けて来ない。笑顔でこちらを見て、あぐらを組んでくつろぎ始め、何やらビニール袋から出した食べ物を取り出し、それを食べながらバスキング鑑賞をする。そしてその日も、四~五曲程演奏が終わったらこちらに話しかけて来た。

「ハロー、サー。今日はこの後どこへ行くの?」

私は彼らに訊ねた。すると、「メリルボーンだよ。」彼らはそう答えた。

メリルボーンは、セントラルよりやや西に位置するエリアだが、ほぼセントラルと行って良い。オックスフォードストリートという目抜き通りまで徒歩圏の、大変ポッシュな高級エリアである。

ポッシュというのはイギリス人が大変よく使う表現で、お金があり、なおかつ上品、格好いい、洒落た、等という意味であり、それらの人や場所、物の事を指す表現である。
日本人的に分かり易い言葉で言えばセレブという表現に近く、より上流階級的な、という意味合いが強い言葉である。要するに金持ちである事は必須である。

このポッシュと言う言葉を、私も周りのイギリスの友人達も、「お金持ち的なニュアンス」を出したい時に、飽きる程に連発してよく使うワードなのだが、ジャーナリストを職業としているイギリス人曰く、単純に、ポッシュ=金持ちと言う意味ではないそうだ。

類語でリッチという言葉があるが、ポッシュとリッチでは意味が全く違うそうである。

実際のところは、金持ちでいくら高級エリアに住んでいようとも、外見が極めてノーマルな人や、庶民の考えを理解できるような人は、例え桁違いの金持ちであろうとも、ポッシュとは呼ばず、それはただの「リッチな人」なのだそうだ。

例えば、私はロンドンの地下鉄でのバスキング中に「ポッシュなマダム」や「ポッシュなジェントルマン」からチップを頂く事がよくあるのだが、ジャーナリストの友人曰く、その人達は「ポッシュ」とは呼ばないそうである。彼曰く、

「ポッシュな人ならば、絶対に大道芸人に声はかけないだろう。何故ならば、ポッシュは地下鉄には乗らない。」

要するに、ポッシュと呼ばれる人達は、完全に住む世界が違う人達であり、間違いなく地下鉄等は使わない。しかしながら、桁違いの金持ちの方でも地下鉄を利用する人も居るわけであるが、そうなるとリッチ、という単語がふさわしいと言う。

金持ち、そして時々地下鉄も使うわよ、という人であればリッチ。

しかし、桁違いの金持ちであり、なおかつ外見もクールで庶民離れしている人を限定で使われるのが、本来の正しいポッシュの使い方なのだそうだ。

例えば、もしも私が宝くじに当たって大金持ちになり、ロンドンで一番の高級エリア、メイフィアに大きな屋敷を構える有名なバスカーになったとする。そして、イギリスのタブロイド紙等に取材を受けたとしても、その記事には「ポッシュなバスカー」とは書かれず、「リッチなバスカー」と呼ばれる、と言う事である。

しかし、そんな細かい違い等は考えず、ゴージャスな人やシチュエーションを指す際には頻繁にポッシュと使うのがイギリスである。なので、あまり深く考えすぎず、「恰好いいじゃん」そう思った時には、皆さんも是非ポッシュという表現を使って欲しい。

余談ではあるが、イギリスで「Ms.ポッシュ」と呼ばれているのが、ヴィクトリア・ベッカムである。どのダブロイド誌を見ても、「ヴィクトリアさん」ではなく、Ms.ポッシュと書かれている事が多い。

余談が長くなったが、メリルボーンという場所もまた、一括りにポッシュと呼ばれるエリアである。

メリルボーンについては、音楽好きの方達のために分かり易くいうと、1964年公開のビートルズの初主演映画「A Hard Day’s Night」こと、当時の邦題「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」のロケ地として有名な駅がメリルボーン駅である。

そう言われてもどんな場所なのか、どんな映画なのかピンと来ないならば、ビートルズが劇中で走っている姿をとにかく思い出して欲しい。その有名なシーンを撮影した場所が、メリルボーン駅である。

この駅の最寄りのウェストミンスター登記所(旧メリルボーン登記所)では、ポールマッカートニー他、オアシスのリアムギャラガー等も婚姻届けを出している場所である。

こう言うと、メリルボーンはどちらかというと比較的裕福な方達が多いエリアと言える事が何となく伝わるのではないかと思う。

さて、その男性二人に今夜の行き先を訊ねたところ、彼らはメリルボーンに行くという。どこに泊まるのか、興味深い。高い場所なのではないのか、宿はあるのかと、私は再び二人に訊ねた。

「心配するな、スクワットなんだよ、はは!でも、メリルボーンだよ。便利な場所で嬉しいよ、僕らはポッシュだ。ははは!」

スクワットというのは、所謂廃墟の建物の事である。

イギリスには廃墟の建物が沢山あり、その怪しい外観を活かし、クラブやアートホールとして活用されている所もイーストロンドンあたりには沢山あるが、廃墟のまま放置されているスクワットも多い。

スクワットは、電気やガスは使えないが、水道が使えるため、路上で暮らす人たちがこっそり住み着いている所もある。

どうやら彼らは、メリルボーンに新しいスクワットを発見したようだ。ちなみに、わりとすぐバレて追い出されるそうで、ロンドンの東西南北のスクワットを、仲間で情報収集し合って渡り歩いているそうだ。

彼らは本当に陽気で気のいい人たちだ。戻る家もなく転々としているのだろうけども、人それぞれその人の背負った人生、生き方がある。悲しい目をして下を向いたまま歩いている人ではなく、こんな風にいつも陽気に笑って生きている。私には持てない強さがそこにあると感じる。

「今日もありがとう!おかげで今夜も楽しめた。いつも、この駅で演奏する君に会えて嬉しく思うよ。」

彼らは私に、そう伝えた。そろそろメリルボーンへ移動するらしい。

「こちらこそ、いつも笑顔をありがとう。君たちの幸運を願っているよ。」

私は彼らにお礼を伝え、お別れの挨拶をしようとした、その時だった。

突然、イギリス人の夫婦がその間を割って入って来て、二人を私から引き離すかのように話しかけて来た。

「ヘイ!あなた!いつものあれ、日本語の曲を歌って!」

奥様の方が、私の肩を叩きながら言った。

私はまだ二人に、ちゃんとお別れの挨拶をしてない会話途中の状態であったので、えっ!?と、少しためらった。しかし、その夫婦が、彼らと私の間に立ち、その場を離れず、強くリクエストを続けるので、

(申し訳ない!演奏続けるね!)

そんな風に、彼らに目配せをし、演奏を再び始めた。彼らは、「Bye!」と言った動きをして私に笑いかけ、早足で通路を離れて行った。

ところがその夫婦は、私の歌が始まってワンコーラスと終わらぬ内に、ポンポンと私の肩を叩き、「大丈夫だった?」と一言だけ残し、あっという間に去って行った。

夫婦が居なくなると、一度この場を離れた彼ら二人がこちらに戻って来た。

「すまない。君に迷惑をかけてしまった。」

一人が私にそう私に謝り、続けてもう一人の男性が続けて私に言った。

「イェー・・・きっと通行人の皆が、僕らが君と話しているところを見て、君の邪魔をしていると・・・僕らが君に悪い事をするんじゃないかと・・・皆が君を心配してるんだよ。」

「それで、さっきの人達は、僕らを君と遠ざけるために、君に話しかけたのさ。」

そう語る二人の姿は、先ほどまでとうって変わって、肩を落とし頭を垂れ、とても悲しそうな表情になっていた。

「何言ってるの!もし本当にそうだとしたら、あの夫婦は間違っているよ!」

私は二人にそう言い返した。しかし、彼らに笑顔は戻らず、

「本当にすまない。」
「君に迷惑を・・・・。」

何度も何度も私にそう言った。私はとても悲しくなった。

「お願いだから謝らないで!私は、あなた達が来てくれて嬉しい。そして、今日も会話ができたことを嬉しく思ってる。周りの人達がどう見ようとも、私が嬉しいんだからいいじゃないか、私とあなた達が友達なら、それでいいじゃないか!」

私は強く彼らに伝えた。誰がどう感じようと関係ない。そこにある心からの笑顔は何よりの真実ではないか。

しかし、彼らは暗い表情のまま、口を開いた。

「でもね、きっと彼らは皆、僕たちみたいな者を嫌いなんだ。僕らが君の近くに居る事で、君に迷惑がかかってしまう。それは僕らにとってとても悲しい事なんだよ。だから、君に一言謝りたくて戻ってきたんだ。でも、僕らに親切な言葉をくれてありがとう。君の歌を聞きにくるのが楽しかった。良い時間だったよ。本当にありがとう。」

二人は寂しそうな笑顔でそう言うと、私の手を取って握手をし、しょんぼりとした背中をこちらに向けて去って行った。

「See you soon!また絶対に、聞きに来てね!」

私は大きな声で彼らの後ろ姿に叫んだ。

また遊びに来てくれるだろうか。また三メートル先に腰を下ろしてあぐらを組み、笑顔で数分間、私の歌を見守って欲しい。

CCTV(監視カメラ)が至る所にあるイギリス、当然ながら地下鉄構内にも無数のCCTVが構内をとらえており、駅のオフィスでスーパーバイザーが常時監視している。

もちろん、バスキングピッチで演奏している私の姿も、その周辺もばっちり映る。

通路に長く座り込んでいる人を見つけると、すぐさまスタッフが事情調査にかけつける。体調を崩している人なのか、又は酔っ払いや不審者なのか等調べに来る。

怪しい行動を取っている人の元にもすぐ駆けつけ、会話をしながら上手く駅構外まで誘導したり、危険な場合はポリスがすぐに駆けつけてくるなど、その管理と対応の速さは目を見張るものがある。

通常であれば、通路に何分も座り込んでいる二人組、しかもバスキングピッチの近くともなれば、スタッフが駆けつけてくるか、見回りのスタッフが声をかけて何をしているかなど、必ず訊ねるはずであるのだ。

しかし、彼らがバスキングのオーディエンスとしてやって来てくれた日に、駅のスタッフが我々の目の前を通り過ぎた事は何度もあるのだが、一度として、立ち止まって注意等をしたことがない。追い払ったことはもちろん、一度もない。

むしろ、スタッフは笑顔で我々の様子をちらり見て通り過ぎてゆく。彼らが、私の歌を純粋に聞きにきてくれているだけだということが、わかるからなのだ。

駅のスタッフは、皆が、その空気をわかっている。どのような身なりをしようとも、どのような外見であろうとも、それが善人なのか、悪人なのか、駅構内の安全のために長年、常に駅を見回り、とりわけトラブルが多いバスキングを監視している彼らには、その空気がわかっているのだ。

私と彼らのやり取りの様子からも、彼らの雰囲気からも、きっとそれを感じ取っていたのだと思う。

バスキングが終了すると、オフィスに行き終了のサインをして駅を出なければならない。勿論、始める前にはサインインが必要だ。

その夜も、何だか悲しい気持ちになったままバスキングを終え、終了のサインをするため、駅のスーパーバイザーの居るオフィスに入った。

椅子に腰掛け、CCTVに映っている駅構内の様子をモニター越しに監視していたスーパーバイザーが、その椅子ごとくるりとこちらを向き、笑顔で私にこう言った。

「今日も来たね、あの二人。君の歌はきっと、彼らの子守唄なんだね。」

私は先ほどの経緯は話さず、笑顔でスーパーバイザーに返した。

「また、来てくれるといいな。」

あれから何ヶ月経っただろう。
あの夜以来、私は彼らの姿を見ていない。

子守唄
いつもの駅で聞いた後
何処へ行こうか 考えてみる

(おわり)