私はあるトリックに長年気付かなかったのだが、イギリスで美味しく暮らすには、金かアイデアのどちらかが必要不可欠であると言える。

所詮金か、そう言う声が聞こえて来そうだが、そう、所詮金なのである。

思い切って四十ポンドのランチを日本食レストランで食べた時。

この料理は、日本で食べる日本食よりも数倍美味しく感じた。以来、イギリスは食の外れが多い、という考えから、イギリスで高い料金を出して食べる料理に外れはない、という考えに一変した。

考えてみると、多少財布に負担をかけた外食や、イギリス人と同等のレベルで外食のコストを使うと、あまり外れが無い。

ポンドを日本円でレート換算して使っていると、いちいちせこくなる。

貧乏外国人丸出しで財布の口を閉じ、現地の大人達のレベルに合わさずに、独自で外食をするとろくな事がない。現地の人達と一緒に食べる事だ。

そしてここはひとつ、自分もイギリス人と同じレートの上で生活していると考え、一ポンドは百円相当の価値なのだ、と思い切ってしまおう。人間、諦めが肝心だ。

そしてもう一つ、アイデア。

その事に気付いたのは、日本に一時帰国をした際、友人に手料理を作ろうと考え、買物に出かけた時の事だ。

イギリスでは十ポンド、現レートだと約千八百円程で済む食材のコストが、日本では何と五千円近くを使ってしまったのだ。

これは、イギリスでは20%という馬鹿高い消費税が存在するものの、生活に必要不可欠な(ジャンクなもの、体に害を与えるもの以外の)食材は、非課税であるという事実によるものである。

要するに、食材を購入するにあたってはイギリスの方が確実に安く、そして数倍便利に買物が出来るのである。

より安く、そして各国の要素を取り入れた多くの食材を購入できるおかげで、様々な料理を作る事が可能なのだ。

魚や肉も、良い物を買おうとするとそれはイギリスでも高い買い物になる。しかし、ミンスと呼ばれるひき肉やチキン、ベーコンや卵。また、スパゲティ等の炭水化物もかなりの安さで購入出来る。

何より、野菜は本当に安い。安い上にその量がとても多い。

自分自身のアイデアで、食べたいと思うものを食べたい時に自分で作る。それが出来る環境は日本よりも身近であり、逆に、コンビニエンスストア等の普及により、二十四時間美味しい物がいつでも食べる事が出来る日本よりも、夜早くにスーパーは閉店し、二十四時間のコンビニエンスストアも無く、外食事情もままならないイギリスでは、手料理を作ると言う事がごく当たり前のように出来るようになる。

外食よりも栄養のバランスが取れ、料理の腕も上がる。その上に食材のコストも安く節約になる。願ったり叶ったりだ。

それでもイギリスが不味い、と言う方は今すぐ自炊生活に切り替えて欲しい。



最後に、イギリスは不味い不味いと皆が口に出して私に伝えてくるが、イギリスの食卓で不味いのは、何もテーブルに並べられた料理だけではない。

あちらからしてみれば、我々の方がもっとまずい、と思われる時だってあるのである。

それは、私がイギリスの友人とイタリアンレストランで、スパゲティを食べていた時の事だ。

日本で食べるイタリアンと、何ら変わらぬ作法でそのスパゲティを口へと運んだ私に、

突然友人が皮肉たっぷりにこう言ったのだ。

「オウ、何てことだ。アメリカンみたいじゃないか。」

この、アメリカンという表現を使う事を、アメリカ人の方へお詫びすると共に、何卒勘弁して頂きたい。クラシックなイギリス人ゆえのただの皮肉、軽いジョークであるので、どうかひとつご愛嬌にて。

さて、一体何が問題であったのか。

私はその時、右手でフォークを持ち、スパゲティを絡めて口に運んだのだ。

イギリスでも、そして本場イタリアでも、日本のようにスパゲティの皿に、スプーンとフォークが添えられる事はない。そこにあるのは、ナイフとフォークである。

我々日本人は、フォークを右手で持ちそこにスパゲティを絡めて、そのスパゲティーに左手で持ったスプーンを添えて食べるというのが、一般的なイタリアン・パスタの食べ方であるかと思う。

イギリスやイタリアでスパゲティーをオーダーした時、その皿の隣にスプーンが無い事に若干違和感があるものの、そこにフォークはあるわけなので、通常と変わらず右手でスパゲティーを絡める事に、我々は何のためらいも無い。

しかし、ヨーロッパはナイフとフォークで食事をする国である。我々が日常の食卓で箸を使うのと同じように、彼らが両手に必ずナイフとフォークを持って食事をするのは、何もフォーマルな席での事に限らず、日常の食卓で当たり前のように行われている事なのである。

彼らのその使用の様子を見ても、見事にナイフとフォークを使用してスパゲティーを平らげ、そして時に、ハンバーガーやサンドウィッチすらナイフとフォークを巧みに使い、美しく切り分けて食べるイギリス人が多い。

ナイフとフォークが両手でスマートに、そしてごく自然に使われる国で、いい大人がフォークを右に持つのは大変マナーが悪い事と見なされる。

彼らがそのテーブルマナーに関して注意する時、長年、英語という言語はどちらが正しいかと争いあってきたアメリカに対しての皮肉として、アメリカ人っぽい、又は、子供っぽい、と言う表現をするのである。

ある日、この経験を日本の友人に話したところ、

「嘘でしょ、右手でフォークを持たないとスパゲッティーを巻けないでしょ。」

「右に持った方が食べ易いんだから、右で持つでしょ。」

そう笑って交わされたのだが、よく考えてみて欲しい。

間違えてはいけない。フォークとナイフの歴史は、我々よりもイギリス人の方が長く、そしてまさに本場なのである。逆を言えば、箸の使い方についてイギリス人と日本人が論争した時、一体どちらの意見が正しいと人は思うだろうか。

彼らに言わせれば、左手でフォークを優雅に使いこなせないのは、ただの経験不足なのである。

楽だから、と右手で使うのは子供だけであり、両手でシルバーを持つ事に慣れている人間ならば、スパゲッティーを左手に持つフォークで食べるのも、さほど難しい事ではないのだ。

我々が、イギリスの料理は不味いなあ、と心の中で思っているその席で、実はイギリス人達も我々の事を、まずいなあ、と思っているかもしれない。

(終わり)