【これまでのお話し】

ロンドンの都市伝説、それは、東西南北の地域によって盛んな音楽ジャンルがあり、とりわけ、東(イースト)はテクノミュージシャン、南(サウス)はジャズマンが集うという。

東に住む者達は自らを「イーストエンダー」と呼び、南に住む者達は誇りを持ってこう言う。「I'm South.(アイムサウス)」

サウス・ロンドンを愛するジャズの歌姫ヴィタは、サウス・ロンドンで行われているジャムセッションを渡り歩き、今日もその歌声を磨きながら男を探す。

ジャズという音楽を共に奏で、共にサウスに住み、共に人生を歩むことができる運命の男を・・・

(前回のお話しはコチラからどうぞ)

ロンドンの都市伝説とJAMセッションルール 〜東vs南編〜

ヴィタ(仮名)は、ジャズのジャムセッション会場の華であり、顔である。

ジャズを愛し、サウスロンドンを愛する彼女は、ジャムセッション会場でより良い演奏を求めると同時に、好みの男性と共にステージに立つことが出来るよう、今日もオーガナイザーへの「リクエスト」を欠かさない。

彼女にとって、サウス在住である事と、ジャズ畑であり、腕の良いアフリカ系のミュージシャンである事はパートナーとしての必須条件であるのだ。

そう、ジャムセッション会場には、音の共鳴、音の出会いだけではなく、そこには人と人との出会いも存在する。

ヴィタがジャムセッションとオーガナイザーへの根回しを繰り返していた、ある日曜の午後のことであった。

チャーリングクロス・ロードという通り沿いにある「Spice Of Life」というパブに向かった。このパブで、アフタヌーン・ジャズと名打ったセッションがあるというので私は足を運んでみたのだ。

日曜の昼間から行われているジャズのセッションは珍しい。そして、やはり、ジャズ・ジャムの顔であるヴィタ嬢もその場に現れた。

どのセッション会場でも、男性ミュージシャンで埋め尽くされる事が多いのだが、この日は珍しく、沢山のディーバ達が現れていた。その中には初めて見る顔も多かった。そして、セッションが始まった第一ステージ目。新顔の女性が「チェニジアの夜」を歌いあげた。私はとにかく驚いた。何が驚いたかというと、そのルックスが素晴らしいのである。

顔はラテン系の女優のようなエキゾチックかつ整った美形であり、体系は小柄で華奢であり、胸元が少々寂しい感じではあったが、黒髪のさらさらのストレートヘアに、天使のような笑顔。その愛らしいルックスに見惚れたミュージシャンは私だけではないはずだ。

彼女の名前はセナ(仮名)。トルコ人だ。

ステージで歌い終えたセナには、歌に対して過大とも言えるほどの拍手が送られた。その拍手の9割は、ルックスへ送られたと言っても過言ではない。しかし、私は人々が幸せになるのであれば、ルックスもステージの評価になって良いと思う。笑顔で歌う事で人々を幸せに出来る事は、大いにあると思うのだ。

「新顔」である彼女は、ジャズ・ジャムの「お局」であるヴィタや、私が座る席の方にやってきて、フレンドリーに声をかけてきたので、その後のドリンクを共にした。

セナは終止笑顔も絶やさず、本当に愛くるしかった。しかし、化けの皮が剥がれたのはその後である。

パブの洗面所にてすれ違ったセナ。つい先程、ドリンクを楽しみながら会話したばかりなので「Hi」と私は笑顔で声を掛けた。ところがセナは、

「フン!」

と、おもむろに嫌な顔で私の声かけを無視したのだ。

(あれ?無視された?それとも気づいてない?)

そう思った私は、再び大きな声でセナに声をかけた。

「Hi Sena!」

セナはこちらをちらっ、と見て、再びプイッと違う方向を向いた。

やはり、私は無視をされていたようだ。日本はおろか、イギリスでもなかなか経験した事もない事だ。

私はパブの席に戻り、続けてセナも戻ってきた。しかし、先程の態度が嘘のような天使の笑顔に戻っている。そして、私の顔を見るなり、

「Hello, you!」

どうやら彼女は、性格に裏表のあるタイプらしい。

そして、再び席に着けば、新顔にも関わらず、終止男性ミュージシャンが周りに寄ってくる大モテ女子、セナ。ヴィタ姉さんはどうも気に入らない様子である。しばらくすると、

「私はもう帰るわ。このジャム、来週もあるみたいだけど、もう私は来ない。」

ヴィタはまるで中学生のような嫉妬丸出しのセリフを、セナを取り囲む男性ミュージシャン達へと吐いた。

「私達、来週は男をチェックしに別の店に行くのよ、ね!」

ヴィタは私にそう振って、私を巻き込んだ。ちなみに、私は男を探しにジャムに行っているわけではない。誤解を生む発言をやめてほしいと思った。

その時、男性ミュージシャンの中の一人の、アフリカ系イギリス人が、ヴィタを引き止めた。

「ヘイ、この後、僕はブリクストン(サウスロンドンで一番活気があるエキサイティングな街であり、若干治安が悪いと言われているエリア)のジャムに移動するんだけど、ヴィタもどうだい?」

彼の名前はルーファ(仮名)、ジャズのサックスプレイヤーだ。褐色の肌、長身に甘いルックス、そして素晴らしいサックス吹きであるルーファは、実はヴィタの一番のお気に入りの男性である。つい数秒前まで鬼瓦のような顔をしていたヴィタは、

「いく♡」

そう即答し「私はまだ帰らないわ!さあ、これからサウスエンドへ行くわよ!」と、再び私を巻き込んだのであった。

「じゃあ、僕の車でこれからサウスへ行こう。ええと、君に、そしてヴィタに・・・車に四人乗れるから、あと一人誰か誘えるなあ。」

白々しい台詞をルーファが吐いたその時であった。彼はこともあろうに、セナを誘ったのだ。私はすぐにピンと来た。ルーファは、セナを誘いたかったのである。つまり、ヴィタはダシにされたのだ。

殺気立ち始めたヴィタの姿をよそに、セナはその誘いを快諾し、四人でサウスロンドンの街、ブリクストンに、第二のセッション会場を求めて向かう事になった。

しかし、女という生き物は中々鋭く、怖いものである。セナは、自分に好意を寄せているルーファの気持ちを察したのか、彼の気持ちに甘えるような態度になった。先ほどまでの天使の様子とは打って変わって、突然わがままになり、車まで向かう途中も、わざとかと思うほどに、とにかく歩くのが遅い。そして突然ご機嫌斜めになり、

「ねえ。アタシ、疲れたから珈琲か何か飲みたい。何か食べたい!」

セナは私達にそう言った。我々がこれから車に乗って向かう、ブリクストンのそのセッション会場は、フードの充実したパブらしいので、ルーファは彼女に向かって、「ジャムセッションのスタート時間もあるし、まずは移動をして会場でゆっくり食べよう」と提案した。しかしセナはお構い無しである。

「ねえ!ブリクストンまで(お腹が)持たない!パブフードなんか食べたくないわよ!珈琲とかあ、スウィーツな物が今食べたいのお。このままジャム会場まで直行は疲れる。この先の”アマート”って店に行きましょ。アタシ、疲れてるのよ!」

現在、昼の三時。夕方五時頃にスタートするブリクストンのジャムセッションの時間が迫る。寄り道している暇はない。

しかし、私は苛立つ気持ちを抑え、友人であるルーファの恋を応援するために、アマートへ行こうよ、行けばいいじゃん、と、ルーファとヴィタに伝えた。ヴィタは、他の女性に魅かれているルーファには既に冷めてしまったようで、

「まあ、いいわ。行きましょ、アマートに。」

そう言ってヴィタも渋々ながらも了承した。

場所は、ロンドンセントラル、SOHOにあるカフェ、アマート。なかなかお高い店である。

セナは注文したスウィーツを約一時間かけて、のんびり、のんびり平らげた。とにかくこの女は食うのも遅い。そして、ルーファが必死に話しかけて盛り上げようとしても、セナは常にスマートフォンをいじっている。

ふと気づくと時間は既に二時間を超えようとしていた。次のジャム会場でのセッション開始時間まで僅か。これから向かっても既に出遅れての参加になる。

ルーファは「そろそろ行こうか」とセナに伝えた。すると彼女はまたしてもふざけたことを言い始めた。

「ねえ、これから友達がここに来るって。どうせなら皆でお茶しない?」

そう言っていた矢先、セナの友達だと言う五人のハンサムな男性達がアマートに現れた。セナは突然天使の表情へと変わり、嬉しそうに男性達を手招きし、珈琲のお代わりを頼みたいと言い始めた。さすがにセナ狙いのルーファも、演奏が恋しくなったのか、彼女に諦めがつき始めたのか、

「セナ、そろそろ行かないと。もう会場でセッションが始まってる時間だし。もう出ようよ、ね、歌いに行こうよ。」

そう声をかけた。するとセナは一言。

「え~。疲れてるしい。私は行かなーい。」

二時間もアマートの珈琲タイムに渋々付き合い、ルーファの恋路を応援したのも水の泡。セナは、いとも簡単に我々との約束と音楽のステージを捨て、五人のイケメン達を選んだのであった。

肩を落とし、しょんぼりとお会計に向かうルーファに、セナが「ちょっと待って」と走り寄った。

「ねえ、聞くのを忘れてたんだけど、あなた、どこ?何処に住んでるの?」

「・・・え?ああ、アイム サウス。」

ルーファは自分がサウスロンドンに住んでいる事を伝えた。

「ふーん。やっぱ駄目だわ。アタシ、イーストエンダーなの。サウスに住んでいる男は、私には合わないわ。」

セナはぷいっ、と背を向け、再びイケメン達の元へと帰って言った。皆の分のお会計を支払うルーファに、サンクスの一言もない。

アマートを出た我々三人。セッションの開始時間には確実に遅れている。

しかし、せめて一曲だけでも参加できればと、ブリクストンのセッション会場へと向かった。そう、それがミュージシャンではないか。

ブリクストンまで車を運転するルーファ。後部座席に座ったヴィタは、その落ちた肩を叩きながらルーファに言った。

「ヘイ、なんて悲しそうな顔なの、ルーファ。セナは可愛いわよ、でも・・・彼女は性格が悪そうだわ。あなたは最高よ、素晴らしい人よ、あんな女は、あなたには似合わないわ!」

ヴィタは切なそうにルーファを慰めていたが、その顔がにやけていたのを私は見逃さなかった。しかし、私も便乗してルーファに声をかけた。

「私も腹が立つよ、さっきの彼女の態度には。確かにセナは完璧に美しいよ、可愛くてスタイルも良い。でも・・・」

私が「でも」と言った時、ヴィタも繰り返した。

「そう、でも・・・」

ルーファは、でも、何だい?と私たちに訊ねた。

「でも・・・彼女は小ぶりだし・・」

ルーファは、何だい、何が小ぶりだって?と繰り返した。そして、ヴィタが少し声をあげて再び言った。

「彼女は・・・・そんなに豊満ではないじゃない。」

「そうね・・・ちょっと・・寂しいかもしれないわよね・・・」

何が、何の事だい、何が寂しいのだい、そう不思議そうな顔をするルーファにヴィタが小声で呟いた。

「・・・・・・・胸元が。」

ルーファはバックミラー越しに、じいっとヴィタを見て、体が一瞬固まった。

「胸元・・・・」

しばらく考え込んでしまったルーファを慰めるかのように、ヴィタは続けた。

「全部完璧な女なんて居ないのよ、彼女は完璧だけど、体が華奢すぎて豊満な方ではないわ!そうよ、この失恋はね、あなたには豊満な方が似合うってことかもしれないわ!次は真逆のタイプを狙うとうまく行くかもしれないわよ!」

「そうよ、また新しいわがままボディに出会えるわ!」

私とヴィタはルーファを励まし続けた。セナは、そのルックスは完璧であった。性格を除けば、非の打ち所がない。私たち女性は、やっかみ丸出しで、彼女の非の打ち所のないルックスからなんとか無理やり非を探そうとしていた。

遠くを眺めるように呆然とし、動かないままのルーファのその表情は、どこか胸元を思い浮かべているようにも見えて、何だかとてもせつなかった。

「ヘイ、ルーファ、彼女の事はもう忘れましょう・・・」

ルーファの肩を再度ぽんぽん、と叩きながら、そうヴィタが呟いた。そして、我に返ったルーファが私とヴィタに向かってこう言った。

「ヘイ、君たち。君たちは・・・それで、人のことが言えるのかい?」

私とヴィタは、首を落として自らの身体を見下ろした。そして、その顔をしばらくあげる事が出来なかった。

季節は5月、イギリス・ロンドンは夏へ向けてと陽が既に長くなっている。

まだ太陽が燦々と降り注ぐ午後七時。ブラザー・ルーファの恋は泡のように儚く消えてしまったのであった。

(終わり)