一部のミュージシャンの間で勝手に語り継がれている、ロンドンの都市伝説がある。

それは、東西南北の区域別に音楽のジャンルが分かれると言う事。ミュージシャンなら、自分のジャンルの街に住むべし、そんな話しらしい。

東ロンドンはテクノの街、南ロンドンはジャズの街だという。じゃあブルーズは何処?なんて訊ねると、

「I don’t know.」(わからない)

そう返ってくる。

では、ロックは?ポップスは?北は何?西はどんなジャンル?なんなら演歌は?なんて訊ねると、

「I have no idea.」(さっぱりわかんない)

どうやら、テクノとジャズのミュージシャン達による勝手な妄想あるいは偏見であったようだ。

そんなわけでこの話しは終わってしまう。

ちなみに、この、東ロンドンはテクノ、南ロンドンはジャズ・・・と言う話しは、ずいぶん長い間、一部のミュージシャンの中だけで語られ続けている。個人的な意見としては、北にはカムデンタウンが存在するので、なんなら、北はもう、パンクの街で良いのではないかと私は思う。しかしながら、27歳の若さで亡くなった、21世紀のブルーズ歌姫、エイミーワインハウス嬢は、ノースロンドンの出身であり、カムデンタウンをこよなく愛していた事で知られるため、北は、パンクとブルーズの街という解釈もできる。それを言うならば、ボンドストリートのエリアではポールウェラーがよく目撃されていること、さらに言うとオックスフォードサーカスにはカーナビーストリートが存在するため、この際、セントラルロンドンはモッズの街で良いではないか。と、なると、モッズの本拠地であるブライトンは置き去りになるのか、などと考えていると、とてもではないけどキリがないので、こんなナンセンスな話しはよそう。

あっけない都市伝説の終わりであった。

さて、気を取り直して、先ほど出た、東ロンドンについて話しを始めよう。ロンドンの東エリアこと、イーストロンドンは、ほんの十数年前まではあまり治安の良くないスラムエリアとして有名であった。今や若者で溢れ返る通りブリックレーンも、イギリスで1888年に世間を騒がせた未解決殺人事件の犯人の通称、切り裂きジャックの出没エリアとしても恐れられていた場所である。

それらの名残か、はたまた長い間貧困地域であったせいか、ハックニーと呼ばれる区域を中心に今も昔も凶悪な事件が耐えないイーストロンドン。我々日本人向けの旅行ガイドブックや留学生向けの雑誌等にも、ひと昔前では「東は要注意」「日本人は西か北に住め」等という謳い文句をよく見たものである。

それが、今や、ロンドンのホットなエリアの代表格である。

とは言え、実際には未だ廃墟風の建物なども多いため、日本から旅行に来た人をイーストロンドンへと案内すると、想像していたヨーロピアン調のイメージや、一般的な旅行会社から紹介されるウエストロンドンのホテル周辺などとはがらりと違う、その風景に戸惑う者も多い。

最近でこそ、イーストロンドンのホテルをお勧めする旅行会社なども増えたと思うが、基本的には、日本人旅行客、それも初のロンドン旅行となると、ロンドンの中心地であるセントラルロンドン、もしくはウエストロンドンのホテルに滞在する事が多いかと思う。

街を色で例えると、ウエストロンドンは白、イーストロンドンは黒やグレーといったところか。とにかく、ウエストロンドンの建物は何処もかしこも白い。白く、ヨーロピアン調の建物が立ち並ぶ場所が比較的多くその景色は我々のイメージするロンドンそのものだ。しかし一方で、イーストロンドンの廃墟風の建物や独特の雰囲気も悪くない。また違ったロンドンの顔を見て頂けると思うので、これからイギリス旅行を考えている方は、イーストロンドンも是非とも訪れて欲しい。

以前のイーストロンドンは、イギリスでも比較的治安の良くないエリアとして有名であったせいか物価が安く、一週間に60ポンド〜80ポンド程度でフラットシェアを探す事も、ひと昔前ならば不可能ではなかった。聞くところによると、2000年代前半には、一週間に50ポンド程で部屋を借りれた頃もあるらしい。

当時、その物価や不動産の安さにまず目をつけたのが、デザイナーやミュージシャン等の若きアーティスト達である。

自身のスタジオやアトリエを持つために、そして生活のコストを下げ、自身の活動への投資を増やすために、他のエリアからイーストロンドンへと、多くのアーティスト達が移り始めたのである。そして2005年頃から、イーストロンドンは、地元ロンドナー達から「アーティストの街」と呼ばれるようになる。

私が2006年にイーストロンドンに住み始めた頃は、90年代に数々のヒットを出したアシッドジャズ界を代表するイギリスのバンド、ジャミロクワイが、イーストロンドンのブリックレーン近くに住居を構えている、と言う噂もあった。著名人が住んでいる、いないに関わらず、「イーストロンドンに住む」と言う事が、いわば、新進アーティストのステイタスにもなり、それはやがて、一般の多くの人達に広がり、イースト=クールと言う図式が誕生し、東ロンドン住人の肩書きとも呼べる「イーストエンダー」と言う言葉が生まれたのである。

2006年頃には、物騒なイーストの街に警戒しながらも、そのクールでアーティスティックな匂いのするイーストロンドンに住む日本人も増え始めていた。しかし、そこには「危険である」と言う前提がつきものであった。実際に、夜の物騒さは、いわゆる女性らしい女性やサラリーマン風の日本人には絶対にお勧めできない雰囲気であり、現地人であるイギリス人でも、イーストには住みたくないと言う人が多かった。しかし、当時にイーストに移り住む人々は、その「危険なスラム」と言う雰囲気があってこそ、イーストを選び、イーストを愛したのである。私もその一人だった。

そして、2008年頃から2010年頃にかけて急激にイーストブームが海を超えて拡大し始め、日本でも「今、イーストが熱い!」等と謳われるようになり、日本人の留学生達にとっても憧れの街の一つとなった。当然ながら、フラットの家賃もどんどん高くなり、それまでは見かけなかったような、ポッシュ、つまりお金持ち風でクールな人たちを街で普通に見かけるようになった。そして、現在では「イーストロンドン」という言葉はひとつのブランドとなり、以前のように「イーストロンドン」=「家賃が安い」=「新進アーティストがスタジオを持ちやすいエリア」という図式は成立しなくなった。当初からイーストに住んでいた人たちにとっては、刺激も減り、ミーハー感が溢れてしまい、なんとなくつまらない街となってしまった。私がセントラルへ引っ越したのもその頃だ。

しかしながら、イーストロンドンに住みたがる若者は後を絶たない。

すっかりお洒落で住みやすい街になったイーストロンドンだが、やはり、その雰囲気はクールで独特のものがある。また、物価が上がり富裕層の移住者も増えた他、日本人も増えた事で我々にとっては治安も随分良くなったことで、生活も格段と便利になった。そして実際には今でもアーティストが多く住み、スタジオやアトリエを構えているのが現状だ。また、若者が住みたがる理由の一つには、そういったイーストブランドの他にも、ナイトクラブが多いという事も関係しているかと思う。

ロンドンの夜はとても早い。夜遊びが好きな方や、都心に在住の日本人ならば、ロンドンに住んでまず幻滅する事は、夜中に飲食をする店や、遊ぶ場所はとても少ないと言う事だ。日本人的には「さあ、これからだぞ!」という飲み体制に入った瞬間に、パブの照明がここぞとばかりに明るくなり、一気に店は閉店ムードに突入する。ロンドンの繁華街であるSOHOには、夜遅くまで営業するバーやクラブなどがあれども、そのエントラスチャージは驚く程高い。そこで、イーストである。

イーストロンドンには多くのクラブや深夜営業の店がある。そして、それらの店のほとんどが低価格のチャージであったり、ノーチャージの店も多い。特にお金を節約したい学生達にとっては恰好の遊び場である。

しかし、夜が賑やかなことは良い面ばかりではない。私がイーストロンドンに住んでいた頃、イースト界隈で三回程フラットを引っ越したのだが、その内の二つのフラットが、ショーディッチという、まさにイーストロンドンの主要エリアであった。それらのフラットの一つが、運悪くクラブの真上に建っていたのだ。三階(日本で言うと四階)に住んでいたにも関わらず、一晩中テクノの重低音が響いていて眠れなかった。

もう一つのフラットは、十四階(日本で言うと十五階)建ての最上階に住んでいた。ここなら大丈夫だろう、と思いきや、一晩中、表で騒ぎ立てる若者の声や銃声音らしき激しい音、パトカーの鳴り響く音等でやはり騒がしい事に変わりはなかった。

しかし、私は基本的にイーストロンドンが嫌いではなかった。最初にショーディッチ・ハイ・ストリートを歩いた時に「ここだ!」と魅了されて住んだくらいなので、今でも想いは強くあり、練習もイーストロンドンのスタジオまで通うほどである。

東がテクノ、と呼ばれる理由は、やはりナイトクラブの多さにあるのではないかと思う。テクノ、クラブミュージック好きな者ならば、心躍る街であろう。実際に、DJ達も多く住むエリアだ。

テクノ、クラブミュージック好き、そして若きデザイナーやミュージシャン等のアーチスト達やそれらに憧れて東に住む者を、いつしか「イーストエンダー」と呼ぶようになった。この、「イーストエンダー」に対抗する者達が「サウスエンダー」である。

サウスエンダー、という言葉は一般的にはあまり使われていない。正しく言うと、サウスロンドンに住む人達は、サウスエンダーなどとお洒落に言わず、「俺は南だ!(アイム サウス!)」と、誇らしげに言う人が多い。

私はジャムセッションが好きで、東西南北のジャムセッション・プレイスに顔を出す。セッションのジャンルは、ブルーズかジャズだ。

ブルーズのセッション・プレイスは至る所にある。セントラル、東、西、南、そして北。ロンドンは実はブルーズのメッカなのである。故に、ブルーズの音楽セッションを楽しみたいと考えた時、その場所は、歩けば棒に当たるほどに見つけ易い。ブルーズの話しはいずれまたお話しできればと思う。

しかしながら、ロンドンで「ジャズ」のセッションが出来る場所は非常に少ない。セントラルと呼ばれる繁華街エリアにも時に見かける事があるが、数少ないジャズのセッションプレイスは、基本的に南、そう、サウスロンドンにその場所を構えている事が多い。そして、それらの店を転々としていると、似たような面子ばかりなのだ。ロンドンのジャズ界は狭い。

それらのセッションプレイスは、パブかバーの一角にステージを構えている事がほとんどなので、音楽目当ての客のみならず、ただドリンクを飲みに来ているだけの客も多数居る。ジャム参加目的のミュージシャン達は楽器を手に現れるので一目瞭然だ。

我々は、ドリンクをまず頼み、適当に席に着く、あるいは立ったまま飲みながら、ただただライブセッション開始の時を待つ。私のようなボーカリストは、楽器を持たず、譜面しか持参していないため、ミュージシャン達に自分がボーカルだと言う事をアピールしておくことも重要だ。ジャムセッションの時間になり、オーガナイザーに名前を呼ばれるまでは誰がどの楽器を演奏するのか等全く解らない、即興のセッションである。演奏までの僅かばかりの時間に、ドリンク片手に楽器を持つ演奏者に声をかけ顔を売っておくのも大事だ。互いを知る者と知らない者では、バンドの音のまとまり感が違う。ミュージシャンシップはやはり大切である。

初めて会うミュージシャンとの会話は、大抵、今日の天気の話しから始まり、それから自身の楽器のパートを伝え、好きな音楽等を語る。ミュージシャン同士の言語は音楽、と言われるだけあり、どの国の人間だろうとも音楽の話題だけで成り立つからとても楽だ。

しかし、ジャズミュージシャンには、天気の話し程度で止めていた方が良い場合もある。調子に乗ってうっかり音楽話しを熱く振ってしまっては大変だ。ジャズのジャムセッションには、そこそこの音楽エリートが集う。近所に住んでるので暇つぶしにブルーズを歌いに来ました、という親父は、ブルーズセッションには割と多い。しかし、ジャズには、腕慣らしか、腕自慢か、どちらかしかない。ほんのお楽しみ感覚のジャムの日にも関わらず、かなりの高レベルの人たちが揃う。うっかり「私、ジャズは素人なんですよ」なんて謙虚に話しけると、もう大変。

「JAZZは勉強したほうがいいよ。あの転回を消化しておけば自由になれるよ。僕なんてスタンダートは全部やったけど、基本はテーマ決めないでやるのが好きだもの。あ、そうだ!僕が勉強した教本いっぱいあるから今度あげるよ!あと譜面の書き方も、キー変えるならこうしたほうが・・・」

そう熱く語り始め、酒の席にも関わらず、テーブルに譜面やら文房具やらを出し、こちらに指導を始め、そのうち大勉強会と化し、ライブ演奏どころではなくなる。

そして話しが弾んだ頃に、大抵がこういう質問に流れる。

「ところで君、何処に住んでるの?」

この質問に対して、互いにイースト在住者同士や、サウス在住者同士であれば、話しが更に盛り上がる。しかし、イーストVSサウス、という事が発覚すると、少々気まずい雰囲気になり、話題が他へと逸れる事になる。なぜか、ウエスト、そしてノースの在住者は論外になる事が多い。日本人駐在員も多く住む西と北は比較的閑静で、高級な住宅街も多く、落ち着いたイメージがするせいであろうか。はなからミュージシャンのような自由業を持つ人間は、ウエストやノースには住んでいないと勝手な解釈をされてしまう。

ジャズのセッション・プレイスに訪れるミュージシャンは、サウスに住んでいる者が圧倒的に多い。それは、サウスにジャズを演奏できる場所が多いというのが、理由の一つである。

自己紹介の際の「アイム サウス!」というこの台詞は、ジャズのセッション・プレイスでの掴みワードである。周りに「アイム サウス トゥー!」と、共鳴し合える仲間が沢山居るのである。

スタンダートを深く追求し、アナログに徹して演奏するジャズミュージシャン達が多く住む街、サウス。より新しい未来の音へと、テクノロジーを主体に新開拓を続けるテクノミュージシャン達が多く住む街、イースト。かなり、バチバチの対決である。余談だが、ジャズやブルーズのプレイスで出会うミュージシャン達は「テクノロジー」という言葉を嫌う人が、この2010年代も終わりを告げる現代でも、いまだに多い。

サウスロンドン在住の友人の一人に、ヴィタ(仮名)という姉さんが居る。ウズベキスタン出身のジャズシンガーだ。抜けるような白い肌に、ダークブラウンの髪と端正できつい顔立ちが特徴である。

彼女とは、フラン(仮名)という、ガーナ出身のベーシストとレコーディングをしている時に出会った。ヴィタはフランの多くの作品で歌っているお抱えボーカリストであった。

初めて会った時、ヴィタは大変感じの悪い女性であった。

実は、フランとのレコーディングをした時は、渡英してまだ一ヶ月程であったのだ。私は英語もあまり満足に喋れず、できれば、英語圏の方には、仕事も食事も誘って頂きたくないという思いも多少あった。大抵の人は、ゆっくり喋っていいんだよ、という風な顔で相手をしてくれるのだが、その空気が正直苦痛であり、相手が気を使ってくれている事で、自分の不甲斐無さを感じる、それが辛かったのだ。

しかし、ヴィタは英語も満足に喋れなかった私に対して、全く気を使ってくれない。気を使って欲しくないと思いつつも、全く気を使われないと、それはそれで腹がたつのだから人間は欲張りだ。こちらが数少ないボギャブラリーを屈指して一生懸命伝えても、フーン、というアクションを取り真顔でスルーしたり、時に英語のアクセントに「ぷっ」と笑ったりする。この女、殴ったろうかと心の中で何度か思うこともあった。

しかし、そんなヴィタと私は、半年後にはベストフレンドになっていた。

ヴィタはジャズシンガーなので、ジャズセッションに向かうと、その会場で頻繁に会う。彼女はジャズシンガーとしての経験も豊富だ。どの会場でも顔であり、多くのミュージシャンとの交流がある。

しかし、どうやら彼女は、ジャズセッションを、腕慣らしの場としてだけではなく、男を探すという目的も果たそうとしているらしい。会場で会うと、「どう?いい男、居る?」という会話から始まる。

ヴィタは、新顔のミュージシャンを見かけると、新しい恋を夢見て自ら挨拶に行く。そしてまず相手に、

「アイム サウス。あなたどこ?」

そう言って、何処に住んでいるかをまず尋ねる。サウス在住でなければ、残念ながら、ご縁がなかったという事らしい。

次に彼女はアフリカ系かどうかのルックスにこだわっているようだ。ヴィタは彼らのルックスやスタイルに対して強く憧れを抱いていると言う。従って、サウスロンドン在住でありアフリカ系のジャズミュージシャンであれば、概ね誰でも良いらしい。

合格した恋の相手を落とすためにヴィタが次に起こす行動は、ジャムセッションが始まる前に、オーガナイザーに頼みこみ、気に入った相手とステージでセッションを組ませてもらうように根回しをする事である。

ジャムセッションは所謂、即興演奏のため、通常はオーガナイザーが無作為にバンドメンバーを組み、演奏の直前に、ボーカリストとバンドの各パート奏者の名前を読み上げてステージに招く。そこで初めてセッションで組む相手が解るのである。

初めて参加する者は、まずオーガナイザーに名前や顔を覚えてもらう事が第一である。オーガナイザーに挨拶無しでは、永遠と自分の名前が呼ばれることは、当然ながら無い。しかし、常時参加している面子や、有名無名関わらず、プロのミュージシャンであれば、その顔や名前は大抵オーガナイザーに知られている。会場に顔を出すだけでもチェックされているので、わざわざ挨拶しなくとも、その辺で飲んでるだけで、ステージに呼んでもらえる。オーガナイザーは会場に集まったミュージシャンの顔ぶれを見て、その技量やキャリア等を考えながら、上手くバランスを取ってバンドを構成する。なので、本来は、このメンバーリスト作成の場に一参加者がしゃしゃり出るなんて事は、ルール違反でもあるのだ。しかし、ジャズのセッションの場合は、その辺の融通が利くことが多い。

ブルーズは違う。ブルーズの場合は、その最大の見せ場がギターのソロ回しである。しかし、セッションとなった時にバンマスになるのはボーカルである。ばりばりブルーズのギタリスト兼ボーカリストであれば、ウェルカムだが、歌のみのボーカル、特に女性の場合は、ジャムに入る事を嫌がられる場合も時としてある。ブルーズジャムに歌だけで参加したい場合は、自分・歌い手のキーではなく、自分が歌いたい曲ばかりではなく、ギターがソロを楽しみ易いキーに合わせること、そしてブルーズマンが好きな曲、好きな転回をバンド面子に願い出る事が大事である。ハープがいる場合は、ハープのキーに合わせることも大事だ。ブルーズマンには、ブルーズマンに合わせた曲を持参しないと、ステージ場で「そんなもんやれない」と、却下される。

しかし、ジャズのセッションの場合ではボーカリストが最優先の権限を持つ。もちろん、インストのセッションをやりたい奏者は多いので、ボーカルいねえ方がいいなあ、なんて人は皆無ではない。しかし彼らの場合は、「はいはい、やりますよ、ええ、何でもやれますから!」と、ボーカルが自分本位の曲を持参してこようと、面倒臭そうなキーに変更しようと、ジャスメンは嫌な事すら、逆に喜んでやろうとする、ボーカリストにとっては嬉しい変態じみた一面がある。無理をいえば言うほど、彼らは喜ぶ。しかし、セッション中のソロ回しが5分以上終わらない等、ステージ上での無謀なフリや仕返しもあるので気をつけた方が良い。

ブルーズは、12小節3コードという決まったルールがあるため、ボーカリストが準備して指示する事は、キーと曲目とテンポだけである。もちろん、譜面なんて持参する必要はない。決まった転回でやるのが絶対であるため、キーだけ決めて、テンポは当日の自分の気持ち次第で、的確なテンポの指示をすれば良いだけだ。それさえきちんとできれば、暇つぶしに立ち寄りましたとばかりに、何の準備もせずに参加しても良いし、酔っ払って歌が無茶苦茶になろうとも、ブルーズのルールさえ守っていれば周りに何も言われる事はない。それもブルーズである、と、逆にウケるであろう。また、前のセッションバンドと同じ曲になろうとも、毎回、同じ曲で参加しようとも全く問題はない。ブルーズジャムでは、同じ曲が一晩に何回も演奏される事はザラである。

ジャズの場合は、ある程度の事前の準備は必要不可欠だ。ボーカリストは最低でも一曲につき、三枚の譜面の持参が必要である。楽譜の三枚は、ピアノ用、ベース用、そしてもう一枚はエクストラ楽器の譜面、つまり、サックスやギター等が入ってきた場合の予備だ。必ず、自分のキーに合わせた譜面を解りやすく(できれば一枚に収まるよう)書きまとめておき、ステージに上がってから各パートに渡し、細かな指示を出し、即興演奏のスタートとなる。

ちなみに、この楽譜持参は、バンマス=ボーカル(またはギターやサックスなどの曲のリードを取る人間)が準備すべき事であり、ベース、ドラム、ピアノは、組んだボーカルに渡された曲を即興で演奏する。ジャズのセッションに参加する奏者は、スタンダートのナンバーはほとんど消化しているため、「この曲、知りません、できません」ということはまずない。

即興とはいえど、事前にどういう曲をやるのかという準備をしてから参加をするのがジャズセッションだ。そして、飲みに来ているだけのお客さんが見ても、ジャズのショウであると思えるようなプログラムを、オーガナイザーは仕立てていく。そのために、予めボーカルに持参の曲を訊ねておき、セッションの全体像を考えながら、演奏の順番を考えていくのだ。ボーカルは、他のボーカリストが持参した曲と被らないよう、複数曲の候補を持参することも必要であるので、レパートリーの楽譜は常に持ち歩くくらいでも良い。

以上のように、ブルーズの場合は、ボーカリストはステージに呼ばれてから、その場で即興で曲目とキーとテンポをバンドに伝える。ジャズの場合は、ステージに上がる前、つまり、到着と同時に予め歌う曲をオーガナイザーに申請しておく必要がある。その曲目を見て、オーガナイザーが会場の面子から適切なメンバーを決めて、ステージに呼ぶのだ。ジャズのセッションは、何は無くとも、ボーカリストが何の曲を歌いたいか、歌えるか、というところから始まるわけである。ジャズボーカリストがオーガナイザーに曲目を申請する際に、奏者はこの人がいい!と、リクエストをしておけば、自分好みの奏者とのセッション、リクエスト通りの組み合わせになることも不可能ではないのだ。

ヴィタは、それを利用し、ある程度目星をつけた殿方とジャムセッションできるよう予め根回しし、偶然を装い、同じステージに立つという演出を、毎回行なっているのである。

そして、ドキドキさながらのステージを終え、雑談をしながらその殿方と交流のひと時。

「アイム サウス。あなたは何処に住んでる?」

「僕はイーストエンダーだよ。」

相手からのその一言で、ヴィタ姉さんの恋はすぐさま結末を迎えるのである。

一体、誰が言い始めた都市伝説なのか謎だが、実際に、ロンドンの東と南には、特定のジャンルのミュージシャンが比較的集まりやすい。

自分の好きなジャンルの音楽と近い友人を持つには、半ば謎の多い都市伝説を信じてみるのも面白いかもしれない。

そして、その伝説を信じるがあまりに、ヴィタ姉さんは今日も、音楽と恋を求めて歌い続けている。

(つづく)