年の頃で言うと十代半ばくらいであろうか。

可愛いらしい顔をした男性ヨーロピアン観光客を、リージェント・ストリートを歩いている時に見かけた。

学校のホリデーを利用してロンドン観光、といったところか。ロンドン大好き、ロンドンに来れて嬉しい、そんなセリフがこちらまで聞こえてきそうな程のにこやかな顔をしている。嬉しそうに歩く、その、ストリートに沿って緩やかなカーブを描いた美しい建物を眺めている初々しいその顔に、私もつい目を奪われて清々しい気分になったのは、その彼が美男子だったからという事は言うまでもあるまい。

しかしながらふと目線をずらしたその時、ジャケットからちらり見えたTシャツの「東京」と言う文字に、

(違うだろ!)

そう思わず一人で突っ込んでしまった。イタリア旅行の際に、ユニオンジャックの帽子を被っているようなものではないか。メタリカのライブにワンダイレクションのTシャツを着ているものではないか。狙っているならかなりクールだ、狙っているのかいないのかどっちだ。私は一人で呟き続けた。

こういう時に、「東京」と言う文字が読める日本人の友達が近くに居ないという事実が、なんだかとても悲しい。

先日も、友人のスペイン人にパブで偶然会った時に、その彼が「デザインスニーカーがストリートの新潮流」と大きく書いてあるTシャツを着ていて、

「クールだろ?」

と、本人に言われ返答に困った事がある。本人が素晴らしいと思っているものに難癖をつけても仕様が無い。恐らく、それなりの金銭を払って購入した大切なTシャツであろう。

「素晴らしくクールですね。」

そう返しておいた。

英語圏の方々に置き返ると、時に、日本製のTシャツに英文字がプリントされているそのセンテンスが何やら可笑しい、という話しはよく聞くが、やはり我々日本語ネイティヴスピーカーからしても、和文字がプリントされているTシャツを見て「ん?」と、そのナンセンスさを愉快に思う事が多い。 いずれにせよ、日本語というキャラクターが世界に受け入れられているという事はとても嬉しい事だ。

さて今、世界的大都市のひとつロンドンの地下鉄では、日本語でお喋りする事がブームになっているらしい。

勿論、この情報は私がたった今作った情報だ。そうも言いたくはなるではないか、という程に、年々、この地下鉄構内にて日本語を耳にする事が増え来ている。

私は、バスカーと呼ばれる、直訳すると大道芸人、謂わばストリートミュージシャンでもあるのだが、英国政府より公式のライセンスを頂いて演奏し歌っている。国の許可が降りている場所は通称Tube(チューブ)と呼ばれるロンドンの地下鉄こと、Underground(アンダーグラウンド)の構内の指定位置のみである。

我々がパフォーマンスをする事を「バスキング」と言うのだが、バスキングは勿論誰にでも出来る事であり、ストリートでパフォーマンスをすれば、それが「バスキング」と言う動詞に当るのである。地上と地下でのバスキングの違いは、ポリスに追われるかもしれない(地上)、ポリスに守られている(地下)、だけの違いである。

バスキング歴史の長い英国ゆえ、地上でもポリスが黙認している場所も実は多数ある。しかし、それらは熟年バスカー達の面子によってこそのものであり、彼らの縄張りがある事に重々注意して頂きたいと思う。

ロンドンでバスキングを演りたいのだがどうすればよいか、と、日本人観光客だけではなく、ヨーロピアンの観光客も含めて聞かれる事が頻繁にある。答えは簡単で、地上のストリートに立ってプレイをするだけである。もしポリスに注意をされたらば、速やかに撤退するか必死で逃げるか、又は捕まるか。もしも不安であれば、バスカーが多く集まっている場所に行って紛れ込めばよい。

但し、そこにはおそらく縄張りがあるので、自分が演奏をする以前にバスカー達と仲良くなっておき、情報を頂くか彼らバスカー達に許可を頂いた方が無難である。国の許可が無くとも、他の許可が必要になる可能性が高く、許可関係に大変厳しい英国らしい事情である。しかしながら、上下関係や規律に厳しく育った日本人ならば、順応は極めて簡単ではないかと思う。

ちなみに、私が英国で初めてバスキングをしたのは英国リヴァプールの目抜き通り、マシューストリートであるが、リヴァプールもその後、ライセンス制度を導入したらしい。

私が当初リヴァプールで行った時は、ポリスに捕まるのを覚悟で挑んだ。しかしながら、リヴァプールカウンシル、ようは市役所の人間が、見窄らしいその女性のささやかな夢に協力したいと手を差し伸べてくれ、代わりに演奏の許可を取って下さった。

バスキングに挑戦したい方、心配はご無用。英国の人たちは案外優しい。

場所はロンドン地下鉄に移り、晴れて堂々とバスキングを出来る場所を得たわけであるが、その場所はイベントやギグ等と違ってセットリストもジャンルの規制なども無い。自分だけの自由なステージである。私は当初は延々と英語のナンバーを歌っていた。理由は、英語圏だからという以外に、元々洋楽が好きであった事、そして第一に、母国語で歌うと馬鹿にされるのである。

いつの時代も、日本は世界に誇れるべき日本の文化や技術があり、それらは有り難い事に外国圏の方々に評価して頂いている。しかし、それは世界の百パーセントの人達からの評価ではない。日本に住んでいると海外からフィードバックされた情報を受け取るわけで、日本が海外で評価されたという情報のその部分のみが印象に残ってしまう我々だが、いくら近年の日本食ブームやポップカルチャーの流行が盛んであっても、それらの話しが外国圏の全員に通じるわけではない。つまり、皆が皆「日本人だから」と言う理由で興味を持ってくれるわけではないのだ。

日本の文化を全く知らなければ、興味もない人だって沢山いる。我々がロンドンの街を歩いていても、日本人なのか、中国人なのか韓国人なのか、はたまたタイ人なのか、初見で見分けて下さるイギリス人は数少ない。

例えば、英国好きの日本人ならば、イギリス人のルックスや、英語のアクセント、そして仕草や文化、ファッション等を見抜く事が出来るであろう。しかしそうでない人間にとっては、金髪の青い目の外国人を見て、その人がイギリス人なのかアメリカ人なのか、はたまたフランス人なのかトルコ人なのか、そしてまた彼らの文化等となると、なかなか解らないのではないかと思う。英国が好きで憧れてロンドンに留学に来ました、と言う日本人留学生ですら、街行くロンドナーにアフリカ系の人が多い事に最初は驚いたと言う。

私も当初は、英語のナンバーを歌いながらも、時々は世界に誇るべき日本文化を利用して、と言うと言葉が悪いが、しかしまさにそれを利用して日本語で歌ってみたり、着物を来て演奏してみたりもした。しかし、残念ながら多くの人種が共存して暮らすロンドンでは、「違うもの」がそうそう珍しい訳でもなく無関心に通り過ぎる人がほとんどであり、酷い時は

「ここはイギリスだ、英語で歌え!」

と罵声を浴びせる人も居た。むしろ、そう言う人が五割であったと言っても過言ではない。

そして再び、英語の曲に戻し英語で歌ってみる。すると今度は、私のアクセントに笑うガキ・・・失礼、青少年が出てくるのである。

それでも、英語圏らしく英語の方で歌っていた方がまだ風当たりが弱い、そう感じた私は改めて英語のナンバーを弾き歌っていた訳だが、ある時、

(他のバスカー達が英語で歌っているのに、同じ事をやってもやはり意味がない。)

そう思い、バスキング活動の時は主に日本語で歌うと決め、受け入れ不許可の一部の通行人に向けて再び挑戦する事にした。

しかし、目の前で罵声を浴びせられたり批判されるというのは結構辛いもので、その要因を比較的減らすためにも、急がしそうな顔をして歩いている人達や、集団行動、酔っ払っている人達、そしてフーリガン等の姿が遠目に見えると、日本語の曲を速やかにビートルズのナンバーに変更してしまう事も多い。

例え英語でも、オリジナル曲や自分好みのナンバー等は人の好きずきがあるが、この国で演奏するにあたって、ビートルズだけは絶対に罵声を浴びせられる心配はない。これが、我々バスカーの奥の手である。これからイギリスで路上演奏に挑戦し、できれば怖い思いは避けたいと言う方は、是非、ビートルズのナンバーに挑戦して頂ければと思う。

バスカーにもイギリスが母国ではない人も多いが、それぞれの国の文化を披露し珍しさで声援を乞う事はできない。イギリス人は皆が考えているよりも平等だ。

英国の地の上で行われている事ならば英国の標準的な目線でそれを見る。更に個人の好みも反映される。もしも、不特定多数の人へ向けたバスキングと言う舞台に安住の地を求めるならば、歌い手ならばビートルズを、奏者ならばクラッシックを演奏すれば精神がへこむことなく一日を終える事ができよう。

私はこの「日本語からビートルズへ変換」の発射ボタンを、罵声の恐怖心に煽られた時以外に、初めて挑戦する曲を演奏する時にも行う事がある。間違えたりコードを忘れるような事があれば、流れるようにビートルズのコードに移動するのである。我々は延々と演奏を止める事ができないので、そういった間違いにもその場を通った人からすかさず突っ込みが入るため、誤摩化しのテクニックは大変重要である。

ロンドンで、イギリス人相手に日本語教師をやってる日本の友人が居るのだが、彼女曰く、実際の生徒さんが私の誤摩化し術である「これ」(日本語からビートルズの曲へ変換の技)をリアルに体験したそうだ。

ある日のこと。それは私がバスキングを始めてまだ数ヶ月くらいの新人の頃だ。彼女は日本語の会話練習の際に、生徒達に向かってこう話したそうだ。以下、彼女の発言を忠実に再現させて頂く。

「せんせいのおともだちが、ちかてつでバスキングをやっています。くるくるのパーマの、おんなのひとです。みかけたら みなさんこえをかけてください。そして、おかねをあげてください。」

持つべき者は友である。

そして、翌日の事。

「ワタシハ、センセ ノ オトモダチ ヲ ロンドンブリッジエキ デ ミマシター。クルクルパー ノ オンナノヒト デシタ。ニホンゴ ウタテタ ノデ、ウレシクテ キコウ ト シマシタ。
デモ ワタシガ チカヅイタラ、ビートルズ ニ カワリマシタ。
ニホンゴ キキタカタ ノデ スコシ、ザンネン デース!」

生徒の一人がそう発言した。

「そうですか、にほんごのきょくをきけなくて、すこしざんねんでしたね。」

そう言った日本語講師こと友人に、生徒は

「ハイ、デモ、ワタシ ハ オカネ オ イレマシタ!」

日本語を勉強するそのイギリス人生徒は、私が歌う日本語の曲を聞き取れた事が嬉しく、私に近づいてみたところ、例の如く批判を恐れた当初の私は、慌ててビートルズに切り替えてしまったらしい。しかし、その生徒さんはそのままやって来て、私のギターケースにチップを入れて去って行ったとの事。

「そうですか、それはたいへんよいことです!」

友人は生徒を褒め称えた。持つべきものは友だ。

この話しを聞いて、自分の小細工がまざまざと見られていた事の恥ずかしさ以前に、そういう方も居るんだ、日本語を学び、そして聞きたいと思う者もいるのだと、心が暖かくなった。

そういえば、確かにバスキング中、たまにではあるが、イギリス人が立ち止まり

「ソレ ハ、ニホンゴ ノ キョク デスネ!?ワタシ、ベンキョ シテ、スコシ ワカリマスネー。ナノデ ウレシデスネ!」

そんな事を言う人も居たので、興味を持って頂ける方達のためにも日本語で歌う意味も少しはある、そう感じた瞬間であった。

その後、私は、罵声が声援の倍以上に返ってくる、日本語の歌、つまり彼らにとっては外国の曲を歌い続けることに挑戦する事にした。

日本語で歌い始めて三ヶ月くらい経った頃であろうか。明らかに罵声が減って来た。慈善を施する国民性が出て来たとでも言うべきか、しぶとく路上に立ち母国を思い歌い続けている(ように映る)バスカーに慈悲の心で見て下さる人が増えたのであろうか。

その頃から私は、今度は演奏時間を増やしてみた。一日四時間バスキングをしていたのを、八時間、時には十時間のバスキングに挑んでみた。場所を移動するものの、これはかなりしつこいのではないかと思う。

ロンドナーも中々順応能力の高い方達のようで、それらの歌が日本語であると気付き始めた様子であり、この頃から片言の日本語で声を掛けられる事が増えた。

当初は一日に一回であったのが、一年後には一日に3~4回、三年後には二時間に2回、現在では平均一時間あたり1人~3人に日本語で声を掛けられる。

都合の良い様に解釈すると、

「何だか日本人が駅で歌ってるから、日本語を覚えて練習するチャンス!」

なんて人が、私がバスキングを始めた頃から勉強を始め、最近になってマスターしかけているという現象ではないか、と思ったりもするが、それは言い過ぎか。

英語圏の人達は英語を喋るのが普通で、彼らはどの国へ行っても母国語で押し通す事が出来る。日本国内でも、日本人が英語圏の人に合わせて英語で喋ろうとする姿が普通だが、ここは日本なのに何故こちらが弱気で英語を喋ろうと努力してしまうのだろうと、何だか割に合わないような気分の時もある。

しかしながら、それは世界共通語の英語をネイティヴで喋れる人の最大の武器であり、そしてまた、我々が英語をマスターする事によって、どの国で旅をしようとも生活しようとも、ぶつかる壁は激減しそして皆と共存できる事が出来る。

しかし、ことロンドンの地下鉄構内に限っては、「皆さん」が私に合わせてくれる。

イギリスで日本語会話が流行ったら、私も小さく貢献した一人だと思って頂けたら嬉しい。

「スゴイネー」
「ガンバッテ クダサーイ!」
「アリガトー」
「コンニチワー」
「スシ!」

私が歌っている最中、これらの言葉を聞くのは日常茶飯事である。

これらの単語は日本語勉強中の初級の方達か、全く日本語が解らない人かのどちらかである。これから世界に出て行く方は「スシ」と呼ばれる機会が増える事を覚悟しておいてほしい。

しかし、これは彼らの日本語への第一歩である。その言葉は挨拶ではない、等と説明するなんて面倒な事はやめよう。彼らの日本語習得への意欲が薄れてしまう。

そう、「スシ!」も、コミュニケーションの言葉の一つなのだ。

日本語が解らない人は取りあえず叫んでいるだけの可能性が高いが、勉強中の初級の方の場合、どきまぎしながら決死の覚悟で声を掛けている人がほとんどだ。これらの返しには、英語や、美しい日本語発音では返してはならない。彼らが聞き取る事ができ、そして自信を持ってもらうよう、返答するのだ。自らも外国人が日本語を喋るような気持ちになり、

「アリガトー、サヨナーラ!」

そう、カタカナで返そう。

彼らは、(わっ、つ・・・通じたあ!)というような顔をし、

「ド・・・ドイタシマシテ!」
「マ・・・マタネー」

等、若干の自信をつけて去ってゆく。

このように、世界共通にもなりつつある基本の日本単語を私に向かって「試す」人も居れば、中には少し風変わりな中級者も居る。例としては、

「ソレハ、アナタノ シメイダカラ!(それは貴方の使命だから)」
「ワタシ、エドコ スキヨ!(私江戸っ子、好きよ)」

などなど、わざわざそんな言い回しを覚える必要性がない事を言う方も居る。更に強者では、

「チョット、カワタ カオ シテルヨー!(ちょっと変わった顔してるよー)」
「ニホンジン ノ カオ ジャ ナイネー アナタ、タイランド デショ!(日本人の顔じゃないね、あなた、タイでしょ!)」

と言われ、その後タイ語で話しかけてくる者も居る。しかし、タイ人だと思うならば何故最初からタイ語で話しかけないのかと不思議に思う。おそらく最初から私をおちょくっているのだろう。

更には、

「カオガ、シブヤノ プータローケイ ダヨネ、チャパツダシ!(顔が渋谷のプータロー系だよね、茶髪だし!)」

などと言われた事もあった。これについては少々反論させて頂いた。

「渋谷のプータロー系の茶髪」というのは「ギャル系の茶髪」の間違いでは、と言う事。更に、渋谷=無職ではないとも伝えたのだが、その方は「プータロー系」という言葉は「渋谷系」と同語だと解釈していたようで、東京そして渋谷を愛する者として、その間違いを丁重に訂正させて頂いた。

しかしながら、私が無職の人間の顔に見えたという事実には変わりない。

もちろん上級者もおり、その中にウェブサイト伝にメールを送って来た方がいるのだが、タイトルが「変な外人より」からはじまり、

>今日は忙しい時に話しかけてごめんね。あのあとに演奏するピカデリー駅には間に合った?

>歌よかったですよ。ウェブを見ました。音楽も聴きました。じゃ、またね。頑張ってね!

と、普通にメールを打っていたので驚いた。漢字も使いこなし文法も正しいとは、恐らく相当な上級者である。

この方は20代のイギリス人男性で、メールを頂いた後にもバスキング中にお会いしたので、平仮名、片仮名の使い分けでなく、漢字も流暢に使いこなすそのメールの見事な日本語タイピングに感動した旨を伝えたのだが、彼曰く、

「いやあ、僕なんてまだまだ。全然漢字を覚えていないよ。メールならまだしも、書く時はちょー苦戦するよ。”鬱”って漢字なんて、未だに間違うからね!本当に日本語は難しいよ。」

そう笑顔で返された。

鬱なんて漢字は、私だって書けない。

わざわざそこへ行くか、そう驚かされる事の多い日本語チャレンジャー達は本当に沢山居るのである。

一番微笑ましい上級者は、日本の土地の方言を交えながら喋る方だ。

二回程会った事があるスリランカ人の女性が居る。初めて会った時の事だ。顔つきが祖母に少し似ている女性がじいっとこちらを見ており、それが彼女であった。

目の悪い私は、一瞬祖母かと思ったのだが、近づいてくるとその顔の彫りは深く、そして肌の色が若干浅黒い。どうやら日本人ではないらしい。

その時は、「ニホンジンデスカ?」くらいの挨拶程度で終わったのだが、その一年後に再び彼女に出会った。彼女は、また遠目からじいっとこちらを見ていたようで、しばらくして私に近づいて来た。

その瞬間は、私も以前に会った彼女と同一人物とは気付かなかった。何処かで会った気がすると言う程度であった。だって一年が経っている。思い出すことはできるが、一瞬でいつ何処で会った人か、見抜くことは難しい。そして、彼女はこう言った。

「ワタシな、”コノオンナ、同じオンナ?”と、アナタ見て思うてな、そこでずっとアナタのウタ聴いてたんヤケド、アナタ、前会った時と違うオンナみたいねー!顔がゼンゼン違うヨー!」

老けた、と言われたような気がしてならない。しかしそこはスルーしよう。

彼女は旦那様が日本人らしい。恐らく西日本方面の方であろう事が、彼女の日本語の訛りから推測できる。現在は離れて暮らしているらしいが、秋に旦那様とお子様が英国に移住するそうだ。スリランカ人の彼女は嫁いで日本で暮らすも、早々と日本を出ており、現在はイギリスに一人で暮らしているという。

「日本は外国人のワタシハ住むのが大変ヤッタカラね。ワタシも昔は苦労したワ。アンタも大変ヤロ?ワカルワ。」

日本で暮らし始めてからも、なかなか異国のその地に馴染む事ができなかった彼女は、若い頃住んでいた英国に戻る事を選択し、長い間家族と離れて暮らす事になる。一年に一度、お互いに行き来する生活をしていたが、息子がロンドンの大学へ進学するのを機会に、彼の父親、つまり旦那様は、自分もイギリスへと渡り、ロンドンで再び家族で一緒に暮らすいう道の選択をする。

私はふと、息子はそのためにロンドンの大学を選んだのではないかと思った。

「ワタシナ、結局日本のミンナに馴染めずナ、負けたんヤ。でもナ、日本が恋しくてたまに日本に行くんやデ。でも、ムカシ、馴染めんかったのが今も悔やんでるワ。ドーセ、ワタシは外国人やー言うて、自分から線を引いてるところもあったんヤ。でもな、アンタはガンバリ!ワタシみたいに、土地に馴染めんからとドリョクせずに、逃げたらアカンノヤデ!」

彼女は、若干違和感のある西訛りの日本語を機関銃のように喋り続けながら、馴染めんかった、馴染めんかった事を後悔してる、そう何度も私に言った。

しかし、彼女の日本語アクセントと、ほぼ初対面の私に向かって話し続ける、その機関銃のような喋りの量を聞く限り、実は十分日本で馴染んでいたのではないかと推測する。

日本でも、英国でも、母国圏外の人間が他の国に住むには様々な壁や苦労があるだろう。しかし、多国籍文化の英国では、比較的多くの人種が共存し易い国であるとも言える。彼女が暮らすには、日本では少々目立つ存在になるが、英国では目立つ存在にはならない。日本人の私でも、ロンドンを歩いていると、普通にイギリス人に道を聞かれる事がよくある。しかし、日本で日本人がスリランカ人に道を聞く事は確かにあまりないかもしれない。

しかし、どんなに現地やその生活に馴染んでいようとも、どれだけ日本語で声掛けて頂ける機会が増えようとも、こうして日本語を使った曲を公共の場で歌うとその批評は様々であり、明らかに英国用語以外を認めないと言う目で見る者も未だ大勢居る。場所が何処であれど、皆同じ、やはり母国語圏以外では越えられない壁だって出てくる。

それでも日本を愛して下さる方が居る限り、バスカー基、日本語会話練習台として、頑張らなければと思う。日本でもイギリスでも、どの国であろうとも、日本語文化を大切にし、日本を愛する外国人の助けになる一面があれば、何よりも幸せだと思う。そして、国籍、民族、言語関わらず、平等に暮らし、共に生きていきたいと心から思う。

以前に、その場でなぐり書きしたメッセージをギターケースに残して下さった男性が居る。

「ロンドン地下鉄で
日本人女の人へ
頑張って下さい」

私はそのメッセージが日本語であると演奏中には気付かず、日本語でお礼の言葉を掛ける事ができなかった。

一週間後、悔やんでいた私の元へ、違う駅での演奏にも関わらず、偶然にも再び同じ男性が現れた。

アメリカから旅行でロンドンに来たという、アフリカ系アメリカ人のその男性がメッセージをギターケースに残そうとしたその時、私は急いで日本語で声を掛けた。厳つい顔つきをしながらも、優しい物言いのその男性は、以前に日本で短期間ながら滞在したことがあり、その時の日本の思い出が忘れられず、再び日本に戻ることを夢見てアメリカで日夜、日本語の勉強をしているという。

そんな時、私の日本語の歌が聞こえ、懐かしさがたまらなく込み上げてきて、思わずメッセージを書いたのだと、彼は優しい顔をして私に伝えた。

私は前回、そして今回の即席メッセージのお礼を伝え、ほんの数分だが、日本の文化について楽しく会話をした後互いに記念写真を撮った。聞くと翌日にロンドンを発つと言う。まさに一期一会の良い出会いの一つであった。

後に、知人にその記念写真を見せた。ところが知人は、

「ちょっとー!危ない人には気をつけなよ!」

写真に写る厳つい風貌の男性を見た途端、私の話しも聞かず、怪訝な顔でそう言った。一体どういった意味なのだろう。知人はその人のことを何一つ知らないのに。

母国に帰る前に、地下鉄で偶然聞いた日本の歌に反応し、日本を想い、その場で日本語でメッセージを残す、その彼の気持ちを思うと私は何だか悲しい気持ちになった。

今、私達が考えなければいけない事は何なのだろうか。

「日本人女の人は地下鉄へ
元気ですか
今日楽しみに
ではまたね」

記念写真を撮った日、二度目に頂いたメッセージである。

一度目に頂いた時、お礼を言う事ができなかった程に、顔を見る間も無い瞬間の出来事にも関わらず、二度目に頂いた時にすぐさま気付いたのは何故だろう。

バスカー達はいつも、通り過ぎ行く人達の横顔、そして後ろ姿ばかり見ている事が多い。

声援をくれたり、チップを落としたり、そんな道行く人達にお礼を謂わんとする時には、すでに彼は我々の目の1メートル以上は先に行っているのである。

正面からその様子を窺う事はできない。そして例えどんなに正面から見て判断しても、人は我々の前を通り過ぎた瞬間、善かれ悪しかれ豹変する事もある。

私がこのバスキングという場所で記憶の頼りにしているのは、横顔、後ろ姿、そして人間の匂いである。

私は、これまで出会った多くの人達の後ろ姿、そしてメッセージを下さった彼の横顔や暖かな匂い、そして去り行く後ろ姿をこの先もきっと忘れないだろう。

たどたどしい日本語でメッセージを書き残してくれ、一緒に写真を撮ったあの男性。元気で暮らしているだろうか。

アメリカの空の下で話す彼の日本語は、今頃きっと上達しているだろう。

いつか再び、今度は日本の地で偶然に出会える日を願う。

地下鉄に 響く歌声 意味知らず
されど懐かし 故郷想いて

(終わり)