渡英当初から半ば習慣的に行っていたジャムセッション巡り。

ロンドンには、ブルーズやジャズのライブセッションを行っている店が沢山有る。とりわけブルーズを演奏する店は歩けば棒にあたる確率で存在し、時代、世代を問わず、プロ、アマチュアの皆誰もが共存して楽しめる演奏会場が本当に沢山ある。しかしながら2007年頃を境に、ジャズを演奏できる店は激減して行き、その頃からすでに未来となった今では、老舗を覗くそのほとんどのジャズバーが店を畳んでいる状況である。

それでも、どの国にもディープなジャズファンや、クレバーなジャズミュージシャン達が沢山居るもので、彼らの心を揺さぶるような店は、小さくともその場所を残し続け、長くひっそりと輝き続けてそこに存在する。

ブルーズやジャズを演奏するためにミュージシャン達が集う店は、ライブハウスとは言いがたく、どちらかというとパブに近い。パブそのものを、曜日によってライブミュージックのプレイスにしてしまう店も沢山ある。

イギリスでのパブは社交場、と良く言うが、これは本当の話であり、パブで隣に居る人はその瞬間に皆家族になる。よく日本人留学生の二十歳くらいの女の子が、「昨日パブでナンパされて」などと言うのだが、それはナンパではなく、パブというイギリスが誇るべき素晴らしい社交場で、同じ場所、時間を共有している事で既に彼女は家族の一員となっているのだ。口説かれている訳ではなく、新しいファミリーへ向けての挨拶と考えた方が正しい。そして、それは執着される事もないので、適当に会話を終わらせれば、三分から五分程のご機嫌伺い程度の時間でお付き合いは終了される。

パブで隣人を愛せよ、とでも言うべきか。とにかく、パブでイギリス人に声をかけられても、怯む事無く挨拶を交わし、しばし会話を楽しんで欲しい。何を話して良いのか分からなければ、とにかく天気の事でも話しておけばよい。

イギリス人の友達を作るにはどうすればよいのか、そんな質問を何度も何度も日本人の留学生達に問われる事がある。しかし、短期でイギリス留学をしている日本人が、同じ日本人同士で行動をしていてはイギリス人の友達等できるはずがない。

そして、どんなに英語が得意であろうとも、お国や文化の違う者同士、そしてネイティヴスピーカーとそうでない者との壁というのは、そう瞬間的に越えられるものではない。我々がイギリスの文化に慣れ、そして長い時間をかけてネイティヴに近づいて行くほかないのだ。

大事な事は、ネイティヴスピーカーに、帰国子女でもなく、インターナショナルスクールにも通っていなかった日本人がなる事は、90%厳しいということを受け止め、訛りがあろうと、英語が下手であろうと、ネイティヴと付き合うという事を、一番に大事にする事だと、私は思う。

真面目で勤勉な我々日本人は、どうしても完璧を求めるが故、不完全かもしれないと思うと前に出れないという習性がある。日本人なのだからネイティヴスピーカーは無理、でも、英語はどんどん喋って、ネイティヴの人たちと付き合っていこう、そう考えていくと、イギリス人たちと時間を共にする事がどんどん楽しくなっていく。

とは言え、そう簡単に、いきなりネイティヴのお友達なんて作るのは無理、そう思うのが大半だと思う。しかし、簡単な方法がひとつだけある。それは、一人でパブに行く事だ。

これが、友達を作る一番の近道であると私は断言する。

パブはイギリスの社交場、と言われるだけあり、パブにはその客層の99パーセントがネイティブ英語を喋るイギリス人である。そして、孤独に彷徨う異邦人と同じく、一人でふらっと飲みに来ている者が大変多い。そういう場の中に溶け込み、大胆に会話を楽しんでみればよいのだ。ちなみに、これは成人向けの話しなので、当然ながら未成年はパブには入れない。予めそこはご了承を。

とはいえ、パブは、朝から夜まで延々と空いている。ランチをするビジネスマンも多い。カフェという感覚の方が近いだろう。

パブはスリにさえ気をつければ、比較的安全な場所である。パブ滞在中に、大抵一度や二度は挨拶程度の言葉を誰かが掛けてくれる事だろう。自分の身を自分で守れる位の余裕を持ってドリンクを楽しんでいれば、一人でも十分に楽しめる。

反対に、クラブには大変注意してほしい。

クラブが大好きなイギリス人はとても多い。しかしながら、外国人の客も多く、ほぼ半分はヨーロッパやアジア等からの旅行客や滞在者というのが、ロンドンのクラブの客層である。

ヨーロッパやアジアの人々が多い、という部分は別に良い。少々注意が必要なのは、それが旅行者、という事である。旅の恥はかき捨てとも言うように、人間は自分の従来の居場所ではなく離れた場所へ行くと、それが善かれ悪しかれ、大胆な行動を取れてしまう事が多い。

日本の女子にありがちな落とし穴は、イギリス英語をリアルに学ぶためにボーイフレンドでも作りたいわあ、なんて思っていたところ、クラブで青い目に金髪の男子に声をかけられ、つい良い気分になりその夜のお供をしてしまう。これも英語を学ぶため、英語圏のボーイフレンドを作るためと気が緩んだにも関わらず、実はそれが英語圏出身ではない、非英語圏の金髪ボーイだったということが、朝起きて気付くという悲しい現実が待ち受けている。

我々には、白人ルックスは白人ルックスであり、何処の国出身か等とは中々見抜く事ができない。ヨーロッパの人々でも良い人々ばかりではなく、中には、我々が英語を学ぶために英語圏の友達を作りたい、という純真な心につけ込み、不埒な心を持って夜遊びに来ている者だって居る筈だ。これが何より危険なので注意したい。

実際に私は、クラブで声を掛けられて悲しい目に遭った日本人女子を何人か知っている。残念な事に、男性のほとんどが、訛りのある英語を喋っていることに後日気づいたそうだ。しかし、それをクラブのような爆音が流れる場所で、英語圏の英語かどうかを聞き分けるなんてナンセンスな話しでもある。そう、無理だ。

もし、クラブで好みの異性に声をかけられたならば、次回のデートの約束だけにしておこう。そして、一緒にクラブへ向かった仲間の元へ戻り、大勢ではしゃいでその夜を楽しんで欲しいと思う。

偏見ではあるかもしれないが、純粋に音楽やダンスを楽しむならばクラブへ、そして純粋に会話を楽しむならばパブをお勧めしたい。

先に言った様に、ブルーズやジャズのジャムセッションに行くと、その場所の雰囲気はまさにパブそのものであると共に、客層もパブのそれにとても近いものがある。友達同士でドリンクを楽しみ、音楽を楽しむというよりは、ふらりと一人で客席で飲んでいる者が多い。そしてその内の半分の客は、毎週同じ曜日、時間帯に現れる常連客であり、この辺もパブの客層事情ととても似ている。

そんな客席には、自分の演奏の出番を待つミュージシャン達も紛れ込んでいるので、板の上の人達も客席の人達もその敷居が全くなく、皆が入り乱れている。というよりもむしろ、その店に居る全員が知り合い、といった空気になる。

ふとした時そこが恋しくなり、何故かその場所へと戻りたい、という衝動に駆られる。

腕ならしに、なんて言葉を使ってジャムセッションに訪れるミュージシャン達だが、実はそれはただの名目上で、その場に訪れるミュージシャン仲間やお客さんにまた会いたいと言う気持ちで、皆が何年も何年も、同じ板の上で演奏を続けているのではないだろうか。

もし、海外で演奏をしてみたいと考えているなら、是非一度、パブで行われているセッションに参加して欲しい。参加しなくても、顔を覗かせるだけでも良いかと思う。音楽繋がりの仲間が増えていくであろうし、もしかしたら、隣にいたクールなロックおじさんが、実はあの超有名なUKバンドのギタリストだった・・・なんて事も、ロンドンのパブでは起こり得る事だ。

そんな、ブルーズやジャズセッションの場で知り合った仲間は沢山居るが、それらのジャズプレイスの中のひとつにて知り合ったお客さんに、面白いイギリス男性がいる。

名前は、デイビッド、通称デイブ。(仮名)

職業はジャーナリスト。ミュージシャンではないので、演奏したステージ上で知り合ったミュージシャン仲間ではなく、ステージを降りて客席で騒いでいた時に知り合った仲間である。

どんな記事を書いているの?と尋ねたところ、あまり言いたくは無いという答えが返って来た。人生色々、生活のためになさっている事もきっとあるのだろう。

デイブと話す時は、いつもジャズバーの薄暗い店内である。周りにはジャズの生演奏や、ドリンクを飲み騒ぐ人達の声等が大きく響いており、当然皆が陽気になっている。こういう場所でいつも会う人に、偶然明るい場所で会ってしまうと恥ずかしいような気がするのは何故だろう。夜の仕事仲間に昼間にあったような気分である。

そう、ピカデリーラインのグリーンパークという駅にてバスキングをしていた時に、私は偶然にもデイブに遭遇してしまったのだ。しかし、いつもと違う場所へと現れたその姿に、私は一瞬それが誰だかピンと来なかった。

目の前に現れたデイブを見て、それがデイブと気づくのにしばらく時間がかかってしまった。何故なら、これまではパブという社交場にて、夕方以降の時間帯にしかお見かけした事がなかったからである。

地下鉄の構内は、かなり明るい。イギリスの灯りは基本的に暗いのに、公共施設は煌々としている。

イギリスでフラット生活を始めると、日本人はまずその部屋の暗さに驚くようだ。六畳程度のシングルルームであれば40Wというのが標準的なワット数であり、もし60Wの電球がついていたならばそれはラッキーであり、かなり明るい部屋に住んでいるという事になる。

勉強をするためにロンドンにやって来た人の他、読書やコンピューターワーク等が好きな人は、自身でデスクランプ等を購入したり等、注意していないとあっと言う間に目が悪くなる。もちろん、フラットに限らず、お店等の照明も暗めが主流。しかしこの暗さ加減が、年を重ねて来た女性にとっては大変有り難い美肌効果をもたらす事もあり、ちょっと嬉しいところである。よってその批評は賛否両論である。

それにも関わらず、ロンドンの地下鉄構内や車両の中、デッカバスの二階の照明だけは異常に明るい。車内で覗いた手鏡に写る自分の姿に、日本ではあんなに過剰になって処理を怠らなかった鼻下の産毛が、ロンドンの照明のせいでいつしか放置され、とてもナチュラルな口元に戻っている事に気付く。恐るべし照明効果である。

そういった諸事情を含め、明るい場所で、暗い場所の仲間に突然会うとピンと来ないものだ。

ある日の夜の事、いつものように構内が煌煌とするグリーンパーク駅でバスキングをしていたところ、眼鏡をかけた金髪のイギリス人が「Oyabin?」と声を掛けて来たのだが、私は三秒程無視してしまった。

ふと我に返り、頭の中で知る限りのイギリス知人をぐるぐると巡らせてみた。

この、無表情で真面目そうなルックス、そして穏やかそうな雰囲気は・・・もしやデイブ?

「イエー、デイブだよ。酷いな、気付かないんだもんな。」

そりゃあそうだ、私が知っているデイブはいつもドリンク片手に騒いでいる。

「ステージでいつも聞いてた、君らしき歌声が聞こえたから、まさかと思って音のする方へ近づいてみたんだ。やっぱり君だった。」

そう笑ったデイブの口元は、うっすら金色の無精髭で覆われており、以前に気付かなかったその髭面の一面に、またしても照明効果の偉大さを私はしみじみと実感していた。

「今日は何処に行ってたの?いつもこの駅で見かけないけど、取材?」

私は、ジャーナリストを職業とするデイブにそう尋ねた。

「今日は友人と会っていてね、この近くでお笑いの稽古してたんだよ。」

お笑い?

ジャーナリストだと思っていたデイブは、実はお笑い芸人だと言うのだ。という事は、もしかしたらこのデイブは他のデイブ、もしや違うデイブなのか。

「イエー、知らなかったっけ。僕はコメディアンなんだよ。ジャーナリストは生きるためさ!」

以前に気付かなかったその内面まで知らされるとは、恐るべし照明効果である。

いつもパブでは騒いでいたデイブ。目の前にいるその真面目そうなルックスと表情の無さ、そして表向きの職業からは想像もつかなかった。人間、本当に色々である。

聞けば、本当はコメディアン一本で食べて行きたいそうなのだが、収入は無きに等しいためジャーナリストとして身を立てているそうだ。もしもコメディアンだけで生活して行けるのならば、いつジャーナリストを辞めても全く問題無いそうで、それくらいお笑いの世界が好きなんだと、無表情のまま熱く語られてしまった。

しかし、私もお笑いは大好きだ。嫌いな人なんて世の中にそうそう居ないであろう。誰だって笑いたい。そして、笑わせてくれる存在というものはとても有り難いし、尊敬する。

私は、デイブがコメディアンであると言う発言に大変興味を持ち、その話題に若干の嘘を混ぜて食らいついた。

「お笑い好きなんだね。実は私もコメディアンになりたかったんだよ!」

私はデイブにそう言った。もちろん大嘘である。コメディアンには憧れる。しかし、私にとって全く無知の世界であるゆえ、なりたいだなんて大それた事を思っていたと言うのは全くの嘘だ。

しかし、英語でつい、そう言ってしまったんだから仕様が無い。しばらく話しを続けるしかない。

ひっこみがつかず、次の話しの展開に迷っていた私に、デイブは突然両手と肩を上下に揺らし始め、こう言った。

「へえ、そうなんだ。君もコメディアンを。・・・じゃあ君は日本人だから”こんな事”もやれるの?」

その時、デイブが真面目な顔して無表情で踊りだしたのは、なんと日本で有名な昭和のお笑い芸術、ヒゲダンスであった。

「僕は好きなんだ。コレ。」

と、デイブは再び両手と肩を上下に揺らし始めた。

日本人のコメディアン志望者が、皆ヒゲダンスをやるものだと思っている事に少々疑問を感じるが、しかし何故イギリス人が、私の前でヒゲダンスを踊り始める必要があるのか、全くナンセンスだ。

しかしながら、私もつられて

「コレ、踊ってたの?」

と、負けずに自分の両手と肩を上下に揺らし、ヒゲダンスをしながらデイブに言った。

「そうそう、コレ。」

デイブは表情を全く崩さないまま踊り続け、「コレ」ができるなんてやはりコメディアンを目指していただけあるじゃん、と私に言うと、デイブは気分が良くなったのか、彼のダンスの動きは徐々に激しくなっていった。

「・・・あれでしょ、コレ・・・やりながらさ、・・・で、剣に・・・投げるんだよな、リンゴかなんかを。」

若干息が乱れた台詞を私に言いながら、デイブは両手と肩を上下に激しく揺らしながらも、その片方の手でリンゴを投げるような仕草をした。

「そうそう、こうやるんだよ。」

私はそう言いながら、見えない剣を手に持ち、デイブのエアーリンゴがその剣に刺さるよう、動きながら踊り続けた。

「ダダダダ~ダッダッダ」

「ダッダッダ、ダダ~」

「ダダダダ~ダッダ~ダ」

「ダッダッダ、ダダ~」

私とデイブは、ヒゲダンスのテーマソングこと、テディ・ペンダーグラスの「Do me」を二人で交互に歌いながら、しばらくの間ヒゲダンスを夢中になって踊り狂った。勿論、私の肩からはギターがぶら下がったままである。

グリーンパーク駅構内を歩く通行人達は、不思議そうに我々を見ていたが、もう我々はそれどころではなかった。私もこうなったらバスキングどころではない。今宵はエアーヒゲダンスを思う存分楽しもう。

そう思った矢先。

「いやあ、楽しかった。また。」

デイブはヒゲダンスを踊り続ける私を残し、いつものように無表情のまま淡々とした流暢な英語でそう言うと、颯爽と私の元を去っていった。

その後のバスキング活動中、私の頭の中に「Do me」の数小節が延々とループされていたのは言うまでもない。

翌日、デイブからテキストメッセージが届いた。

その内容は、デイブのお笑いライブに招待してくれると言うものであった。デイブ曰く、コメディアンを目指す勉強にもなるだろう、との事。

しまった。ヒゲダンスに夢中で、あれは冗談だったと伝えるのを忘れていた。

後日、私はそのお笑いライブに足を運び、あれは私の口から出任せだ、お笑いは好きだが私はコメディアンの勉強はしていないと伝えた。罪の意識から逃れた私は、思う存分デイブのお笑いライブを楽しんだ。

しかし、想像以上に高度でクレバーなネタであり、展開も口調も速いお笑い劇ゆえ、それらの英語を聞き取るのに精一杯で、笑いながら常に妙な汗が流れていたというのが正直なところだ。言葉の壁というのは何年経ってもゴールというものがない。母国語とは本当に有り難いものだ。でもせっかくだから、ライブ鑑賞で拾ったコミック単語の一つでもノートにメモしておくか。

イギリス人のユーモアのセンスは決して侮れない。

毎日毎日がネタを見ているように飽きないロンドンと言う街も、彼らのセンスが発せられているからこそ、愉快にそして魅力的に、我々の目に映るのであろう。

ヒゲダンス

我が思い出の ヒゲダンス

永久に流れる

君の心に

(終わり)