東京から沖縄県宮古島に逃亡したあの日。ギターを弾けないくせに、何故かギターを背負ってやって来た島の小さな宿。そこで出会ったイケメン男子、ユースケとカイ。彼らとの偶然の島での出会いが、後の運命を大きく左右します。
飛んでるキャラで、その夏の島の皆を盛り上げた1人の女性客、物静かな性格でその女性に引っ張り回される実力派ギタリスト、カイ。二人のセッションの音色がやがて宮古の路上へと流れます。
宮古島での初バスキング、炎天下の中、自転車での宮古横断、そして珍事件。
宮古島でゆるやかに流れる時間の中、人はふれあい、語り合い、そして旅人達は新たな場所に旅立つため、別れます。
いつか、再び何処かで出会える日を信じて・・・
(以上、イントロダクションより)




2004年、はじめて人前で弾き語り演奏を披露した宮古島での出来事を綴りました。2005年の執筆です。若く拙い表現も多くお恥ずかしいですが、ご愛嬌にて。イギリス演奏へと繋がる、実の物語。始まり始まり。*登場人物名は仮名で執筆させて頂いております。

「ユースケとカイ」

懐かしい場所がある。

忘れられない場所がある。

絶望の中の出逢いだからなのか、それとも、直感で「誘われた」場所だからなのか。

「宮古島」。

私はなんとなくこの響きが好きだ。数ある沖縄の離島の中で、この「なんとなく」から足を踏み入れた島、宮古島。

私の小さな思い出のアルバムからひとつ。平良市にあるゲストハウス「H」の二人のナイスガイの話しをしたいと思う。

人は何かを忘れたい時、何かから逃げたい時、「南国」を求める。「開放されたい!」「パラダイスな気分になりたい!」と願う時、辛く厳しい冬の季節に北の海へと足を運ぶ人はあまり居ないだろう。

そう、心は南の空を求めている。癒しの海を求めている。そして、マンゴーとバナナケーキにも惹かれている。

そんな訳で私は、宮古名物マンゴーとバナナケーキを求めて宮古島へ降り立った。8月の蒸し暑い季節だ。

空から降りる時に眺める海は本当に素晴らしい。あぁ、南国に来たのだ、と叫びたくなる。

しかし、宮古空港から出たとたん、別の意味で本当に叫んでしまった。

いきなりの台風である。空港に降りた途端に、そこはすでに台風色した空、暴風域突入も目前といった様子であった。よく、空から降りれたものだ。

ちなみに、私がこの島に来たのは、絶望の真っ只中だった時であった。もう、やること成すこと全て上手く行かない時期であったからである。なら、全部放棄して、大好きな海でも見てのんびりするか、と、そんなとこだ。特段、大きな目的があったわけではない。

それなのに、いきなり台風かい?神様あんまりじゃあないか。

私はさらに絶望的になり、欠航便が相次ぐ中、閑古鳥が鳴いている宮古空港のレストランでおそらく2時間くらいアイスコーヒーの中の氷をストローでつついていた。

歩いて宿を探すつもりであったが、「この雨風の中、その荷物を持って短パン姿、流石に徒歩は無理だろう」と、空港に居た人達に止められ、泣く泣くタクシーに乗った。そう、私の背中には、ある大きなものを背負っていたのだ。

しかし、島のタクシーは遅い。

のんびりのんびりと走る。

とりあえず、宮古の一番栄えている町までお願いした。

平良市、ここが宮古のシティである。まだ行った事のない人のために、あまり詳しく書くのはよそう。とにかく、「一番活気のあるシティ」である事を頭にいれて足を踏み入れてほしい。そうとう驚くことだろう。

この町のど真ん中に、向日葵を連想させる黄色い建物の、ゲストハウス「H」がある。

「こんにちはー!」

入り口で大きく叫ぶ私。返って来る声はなし。ん?誰も居ない?

アノー、と、ゲスト用の居間らしきところに居た、お客さんらしきお兄ちゃんへと顔を覗かせた。こういった居間のようなくつろぎの場所を、ゆんたくルームと呼ぶらしい。

「あっ、すみません!聞こえなくって。」

お兄ちゃんはあわてて玄関に走ってきた。その音を聞いて、奥からもう一人お兄ちゃんが出てきた。どうやら、二人ともこの宿のスタッフらしい。

お兄ちゃん尽くしの歓迎だ。

「あの、お二人がコチラの宿の方?」

「そうです、僕らふたりでやってるんで、何かあったら何でも聞いてください。」

後で出てきたお兄ちゃんがユースケさん。関西から宮古へ出て来て、ゲストハウス「H」を経営するオーナーさんだ。先に居たのがカイさん。放浪旅の途中にこちらの宿にたどり着き、今はヘルパーさんとして働きながらお世話になってるんだそう。

しかし、私は男好きの姉ちゃんではないが、イイ男二人の宿となるとやはり、気分がいい。少し「ワル」の香り漂う男っぷりのいい硬派なユースケさん、愛らしい顔に実は芯の強そうなカイさん。全くブラボーな宿だ。宮古にして本当に良かった。台風なんて忘れてしまった瞬間だ。

背負っていたギターを下ろした時、カイさんの表情が少し変わった。

「ギターやってるんですか?」

「あ、はい。ハッタリです。」

即座に私は答えた。

そう、私はこの旅に、買ったばかりのギターを連れてきたのだ。台風の中、徒歩で市街地まで行かんとする私を引き止める住人が多かったのも、このギターが雨にさらされる事を不憫に思っての事に違いない。

このとき、私はギターを始めたばかりであり、と、いうよりもむしろ全く弾けなかった。簡単なコード弾きで一曲、かろうじて鳴らせるかどうかくらいのレベルであった。

何故ギターを持ってきたのかよく分らない。重くて邪魔になるだけではないか。実際にその時、ギターを持ってきた事を既に後悔していた。

だが、この「よく分らない勇気」こそが、私の運命が変わった瞬間なのであった。

宿に到着した頃には雨風は弱まっていて、空からは日差しが再び差しかけていた。私は、せっかくだから宿から歩いて10分のパイナガマビーチへと向かった。台風が来てるから止めた方がいい、と皆に止められたが、不思議な事にビーチに着くとかんかん照りの晴天になった。しかし、晴れそうな気配があったため、私はビーチへ向かっただけであるので、本当に雨風の中でビーチへ向かうことは、絶対にやめた方がいい。

その美しい海で、ビーチバレーをする見ず知らずのお兄ちゃん、お姉ちゃん達にちゃっかり混ざり、初日の宮古を満喫して宿に戻った。宿に戻ってしばらくすると、一緒にビーチバレーを楽しんだお兄ちゃん達に再び会った。そうか、同じ宿に宿泊する人たちだったのか。

そして、その夜から3日間、台風の上陸により、皆が宿に缶詰の状態となった。

3日分の時間と宿代を返して欲しいと思うところだが、一歩も外に出られない状況というのはなかなか楽しかった。宿泊客皆で集まり、たこ焼きパーティーをしたり、たこ焼きを食べたり、タコ無しのたこ焼きパーティーを楽しんだ。なぜか、たこ焼きパーティーの光景ばかりを思い出す。台風直撃を目前として、慌てて皆で買い出しに出かけたものの、そのほとんどの住人がビールや酎ハイばかりを買った結果である。食材不足を補うべく「粉物」がおおいに活躍した3日間であった。

ふと、ゆんたくルーム(居間)の隅から音が聞こえ、そちらを見ると、他の宿泊者がクラシックギターを弾いていた。

「実はこのギター、カイさんのギターなんですよ。」

その人は言った。

えっ、カイさんの?カイさんってスタッフの?

ギター弾きが宿にいると知り、じゃあギター弾いて、ギター弾いて、と、大騒ぎする私に、カイさんは答えた。

「僕、人前であまり演らなくて。元々、目立つ事とか苦手なんです。」

何ということか。

私なんて、目立つ事だけが生きがいであるのに。皆が皆、目立ちたい人間ばかりではないという、自分の知らない世界を垣間見た瞬間であった。そして、ギターが聞きたいとお願いする私に、カイさんがその指を動かすことはなかった。

外は暴風域真っ只中の様子だ。宮古の台風は強烈で、上陸してしまったら最後、一歩も宿から出ることは出来ない。昼も夜も、泡盛で飲んだくれて騒ぐしかない。ツマミはもちろん、たこ焼きだ。

この時、宿泊客の中に、スティーブさんと言う海外からのゲストファミリーが居たのだが、日本語も喋れない様子にて、宿に缶詰状態。たいそう退屈そうな顔をしていたので、私は、台風の夜の余興にでもなれば、と、馴染んで間もないギターをモタモタと弾きながら、一曲歌い始めた。すると、その様子を見たカイさんが居てもたっても居られなくなったのか、私の歌の後ろでギターを弾き始めた。相当、私のギターが酷かったのだろう。

私は、歌いながら鳥肌がたってしまった。カイさんのギターの腕は本当に素晴らしく、いや、そればかりではない。「合う」のだ。初めてなのに、歌っていて、弾いていてとても心地よい。

「凄い!ビックリやなぁ。君もいい声やし、カイ、お前って凄いやん。今まで人前で絶対弾かへんかった癖に、むっちゃ上手いやんか!」

宿のオーナー、ユースケさんが拍手をしながら大きな声でそう言った。

他の常連のお客さんも、カイさんのギターは初めて聞いたのだそうだ。皆がその音に感動していた。誰か一人でもいい、私の歌にも感動してくれ。

演奏は夜通し続き、大盛り上がりとなった。途中、ビートルズの曲を披露している際に、気分が高まった私は、

「半年後、私はリヴァプールに行って、演奏するんだ!」

思わず、そんなハッタリをかましてしまった。

周りの誰もがハッタリだと思ったであろうが、「頑張れー!」「そうだ、イギリスに行け!」と、声援を送ってくれ、最後には皆でビートルズの大合唱となった。

その日以降、私とカイさんは、寝る時間以外はずっと一緒にギターセッションを楽しんだ。譜面こそ何も無かったが、互いの思い出した曲を教えあって、本当に楽しい時間だった。これも台風のおかげだ。台風が直撃してなければ、宿にこもってなんかいなかっただろう。

私達が一番最初にセッションして仕上げた曲。それは、私の大好きな「WAVE」と言う曲だった。アントニオカルロスジョビンの名作だ。宮古に台風が上陸したその3日間、「WAVE」がゲストハウス「H」の中で何度も響いていた。



台風が去った翌日、8月の、それはそれは素晴らしく晴れた金曜日の事だ。

私はユースケさんに自転車を借り「宮古の端」である東平安名崎を目指し、周辺のビーチを探検する事にした。しかし、宿スタッフご一行はあまりおすすめをしていない様子である。やめたほうがいい、皆がそう口々に、これから訪れるであろう苦境を私に忠告した。しかし、気にはしない。私はこれでも、自転車漕ぎの早さには自信がある。

私は朝一番に出発した。そして、3時間後に早くも後悔をするのであった。

この照りかえるような暑さにも関わらず、販売機も売店も食堂も一向に現れない。もう3時間以上も経つというのに。どうなっとんねん、私は自転車を猛スピードで漕ぎながら叫び続けた。叫んだところで、そこには道が続くのみ。周りには何もなければ、人すら見当たらない。何時に出たのかはっきり覚えていないが、そろそろ5時間くらい経つような気がする。

時々、30分~1時間に一度のレベルで、島のおじいやおばあを見かける時もある。次に誰か人を見かけたら声をかけてみよう、そう心に決めていたところ、遠くにご高齢の女性の影が見えた。

そのおばあに訪ねてみる。この道は正しいのか、東平安名崎にたどり着くのか。どこまで行けば水が飲めるのか。

おばあは、優しい笑顔で私に答えを返した。

しかし何を言ってるのか理解ができない。私は西日本出身なので方言を喋る。そうか、方言というものは、他県の人間が聞くとこんな感じなのか。改めて方言の威力に驚いた。下手をすれば英語より難しい。

それからも私は、自分を信じ続けて自転車を漕ぐしかなかった。途中、あまりに寂しくなり、友人にメールを打つ。だが、返事は来ない。またしても絶望だ。私は宮古で脱水症状を起こし、間もなく息絶えるであろう。

しかし、希望は捨てない。きっとこの先に東平安名崎は存在する筈だ。

しばらくすると、一軒の建物の影をようやく発見した。どうやら、馬小屋らしい。

「おお、神様」

馬小屋はそこそこ立派な構えであったので、馬だけではなかろう。きっと人間もいるに違いない。そう確信した私は、この馬小屋を管理するお宅でアイスコーヒーでもお呼ばれしようと決意した。すいませーん!助けてください!大きな声で叫んで小屋を覗き込むと、作業服を着た金髪のかっこいいお姉さんが小屋の奥から出てきた。

「どうされました?」

「アイスコーヒーを・・・アイスコーヒーを頂けませんでしょうか!」

人間、切羽詰まっていると心に正直になる。私は遠慮もせず、アイスコーヒーをおねだりした。この数時間、頭の中にはアイスコーヒーのことしかなかったのだ。いつか私が生涯を終えるとき、きっと、最後にアイスコーヒーの事を思い出すのだろう。私はぼんやりとそんな事を思いながら、虚ろな目をして、アイスコーヒーを待った。

「お嬢さん、島の人?もしかして観光の方?」

「はい、観光です。東平安名崎へ向かおうと・・私は、たどり着けるのでしょうか?」

「短パンで自転車に乗ってるから、島の人かと思った。色も黒くて顔も濃いから・・・。女の子が、なんでわざわざ自転車に乗って暑い中遠出を?宮古島って大きいのよ、平良を抜けると本当に何もないから。でも、このまままっすぐ行くと、東平安名崎にたどり着くわよ。あと2時間もすれば大丈夫!」

「2時間・・・ですか。」

どうやら、ここでしばらく休息したほうが良さそうである。

しかし、偶然ながらも、この場所がなかなか素晴らしい場所であったようだ。ここは、世界に6馬しか生存しないと言われる「宮古馬」を拝見することができる馬小屋であった。この場所こそが、実は有名な「宮古乗馬センター」だったのである。

やたら、アイスコーヒーが衝撃的に美味しいと思ったのは、私の衰退しきった体だけのせいではなかったのだ。時折、宮古馬を求めて訪れる観光客のために、小さなカフェを開いているのだ。どうりで、馬小屋の側の休憩場にしては、お洒落な雰囲気が漂っていると思った。そして、作業服をお洒落に着こなし、カッコイイ金髪のそのお姉さん。ずいぶん垢抜けていると思ったら、カフェの名物姉さんという事だったのか。

私は、しばらくそのお姉さんと世間話を楽しみ、後ろ髪を引かれながらも再び旅立つ決意をした。宮古乗馬センターとお別れの時だ。

見送りの際に、お姉さんと共に、息子さんらしきかなり若い少年も奥から出てきて声をかけてくれた。二人から、せっかくここまできたのだから、東シナ海である「吉野海岸」まで行ってはどうか、と勧められた。

「本当にね、本当に、綺麗なのよ。もう、宮古一、綺麗な海と言っても過言ではないわ。それに、市街地がら少し離れているでしょう、海岸には車で来る人たちくらいしか居ないから、人もそんなに多くないし。あの海だけはね、本当に見て欲しい。」

そこまで言われたら行くしかない。私は、道を尋ねた。

「この先しばらく行ったところをね、左に曲がって・・・そうね、40分くらい走ると着くわよ。」

「40分・・・ですか。」

厄介なことに、吉野海岸は、東平安名崎までの道のりの途中にあるわけではない。途中で左折し、そこから40分。ということは、そこから引き返し、さらに40分。そして再び、東平安名崎へと進路を変えて向かうとなると、私が東平安名崎にたどり着けるのは、一体いつになるのだ。

私は、途中で裏切りの気持ちが若干芽生えたが、一度決めた約束。やはり、行くしかないと、途中で左折し、吉野海岸を目指して再び自転車のスピードをあげた。

40分くらい経った頃。海岸へ下るような抜け道が見えた。その先が吉野海岸。

その海の透明度は言葉では伝わらない程に素晴らしかった。まさに、吉野海岸を見るために私は宮古島にきたのではないかと思うほどに、沖縄各所を回っても見たことのないような海であった。

透明なのだ。水、ただの水ではないかと思うほど。ブルーでも、エメラルドブルーでもない。なんの色も付いていない、透明中の透明なのだ。ちょっと思考を変えると、温泉にでも入っているような気分になる。

ああ、来てよかった。生きててよかった。

調子に乗って海で遊び過ぎるところであったが、帰りの時間の問題もある。私は早々と切り上げ、再び東平安名崎を目指す事にした。

そして、一本道に突入。有名な、東平安名崎の灯台が見えてくる。もうすぐたどり着くなんて思ったら大間違い。これがもの凄く長い道のりなのだ。いつになったらあの灯台に近づくのか。

やっとの思いでたどり着いた灯台のふもと。そこは、左に東シナ海、右に太平洋という景色。素晴らしい。私は、東平安名崎を見るために宮古島に来たのではないかと、そう思った。

ちょうど、移動売店が来ていたので、そこで生マンゴージュースを頼んだ。

「姉ちゃん、自転車で来る人はあまり見ないよ。根性あるね。」

売店のお兄ちゃんはそう私に言って、金額を少しサービスしてくれた。そういえば、ここへ来るまでの道のりの中でも、通る車からTシャツを声援と共に投げて与えてくれたり、姉ちゃん、頑張れー!という声を車の中からもらう事が度々あった。自転車で来るということは、そんなに珍しいことだったのか。

そして、帰路へと向かった。怖いくらい何もない海沿いの道を何時間も自転車で走り続けた。さっさと帰れば良いものを、せっかくだから与那覇前浜にも寄ろうと考え、そこで夕日を眺めながら感傷に浸ってしまった。

ちなみに、吉野海岸、与那覇前浜では車に乗って移動するスティーブ一家に遭遇した。

私の悪魔の声が、ユースケさんに借りたこの自転車を捨てて、スティーブの車に乗り込め、乗り込めと何度も囁いたが、天使の私がそれを許さなかった。私は、人間である事を誇らしく思った。

そこから平良市まで、果たして何時間自転車を漕いだのか、わからない。すでに外は真っ暗け、何もない道を走り、周りは真っ暗なのだから、もちろん何も見えない。途中で、公道が無くなってしまい、田んぼのあぜ道らしきところを経由して、ようやく公道にたどり着いた。そこから先も、ひたすらに自転車を漕ぐのみ。

しかし、道を迷うことはなかった。なぜなら、私は、街頭すらないような真っ暗な道を、自分の漕ぐ自転車の明かりだけで走っていたので、うっすらと遠くに見える、あの明かりが灯る方へ行けば良いだけだったからだ。光が多く見える場所、そこが市街であることには間違いない。

ようやく平良市内の賑やかな通りに着くと、私は居酒屋らしき店に飛び込み、泡盛と郷土料理をオーダーしまくり、それらをがぶ飲みし、むしゃぶりつくように食事を頂いた。無心で自転車を漕ぎすぎて、悟りを開くどころか退化してしまったようで、ほとんど野獣化している。

宿に着く頃にはすっかり22時をまわっていた。私は、ヨタつく足を踏ん張りながら、自転車を押し、宿の門をくぐった。

「ねえさん、路上演奏に行こうや!!」

宿の玄関で私の帰りを待ち構えていたように、他の宿泊客の男の子が言った。一緒にたこ焼きパーティーを楽しんだ仲の男の子であり、私とカイさんのギター演奏を一番盛り上げていた子である。

「路上で演奏しようや!これから、行こう、行こう!俺、付いていくから!」

ふざけたことを言う奴だ。私は今、命かながら東平安名崎から戻ってきたばかりなのだ。

「堪忍してや、疲れてるねん・・・って、ほな行こうか。」

私は、すぐさま気持ちが変わり、そう答えた。

よくよく考えると、今日は大変無謀な1日であった。こういう時こそ、無謀を追求し、やけのやんぱちを徹底させるべきではないか。そう考えたからだ。私は、自転車を置いてギターを背負った。

「・・・カイ呼べや!カイ!」

私は、ギターの上手い、宿のカイさんを連れてこいと、その男の子に伝えた。

「せやな、カイさんいた方が絶対いいわ。呼んでくる!」

私たちは嫌がるカイさんを半ば拉致し、引きずりながら、平良市の目抜き通りらしき場所へと向かった。その様子を見ていた男気溢れるオーナー、ユースケさんは、「これから二人が路上演奏をするらしい」と、宿泊客全員に声をかけ、私たちの演奏にも同行してくれた。

そして、私とカイさんは足元にギターケースを広げ、そして演奏を始めた。WAVEの他に、ビートルズの曲や、沖縄の有名な歌謡曲など、即興のセッションであったが、心優しい地元住人が足を止めてくれ、時には一緒に歌い始める人や、手に持っていた三線を取り出し、セッションに参加する人もいた。チップ入れとして足元に置いたギターケースの中に、一番最初に入ったチップは千円札であった。お札には不思議な効果があり、札を見た人は、それをチップの相場と判断するのか、その後も札がギターケースに落とされていった。

あんなに人前での演奏を嫌がってたカイさんも、道行く人に拍手やチップをもらったりしているうちに気分が乗ってきた様子で、最後の方には、私たちがそろそろ止めようと伝えても、一人で弾き続けるほどであった。

ギターもまともに弾けなかった私。もしかして、これが私の、路上演奏デビューということになるのだろうか?不思議な気分であった。

ユースケさんは、通行人の皆さんに頂いたチップを手に、ジャズバーで祝杯をあげようと、提案した。私たちは皆で、打ち上げをかねてそのジャズバーへと向かった。ステージが備え付けてある店だったので、私はマスターに、

「私たち、さっき路上で演奏してきたんですけど、ここでもやっていい?」

そうおもわず交渉してしまった。オーナーは即オッケーの返事。そして、ここでも飛び込みライブ演奏をする事になった。

「俺はもうやらないからね!」

そう言ってたカイさんも、最後にはステージに乱入。本当はものすごく人前での演奏が好きか、私の演奏が相当酷くて見ていられなかったかの、どちらかだろう。

すっかり真夜中となった帰り道、ユースケさんが「先に帰ってて」と、急に道に座り込んだ。

笑顔でそう誤魔化しながら言うものだから、私は、女と約束でもあるのかと思っていたのだが、翌日に聞いたところ、この日、彼は熱があり、具合が相当良くなかったらしい。なんとも男らしい。そんな素振りの欠片も見せず、彼は、ひたすらに、私やカイさんの演奏を応援し、宿泊客を連れて路上演奏に、バーにと連れて皆を盛り上げ続けた。最後の最後に、エンジンを切らし、しかしながら周りを気遣い、その姿も見せぬように途中で一人になったのだ。彼の男っぷりに思わず惚れてしまった瞬間であった。

偶然にも、その男っぷりのいいユースケさんの誕生日が近いと聞いた。その日は、私が宮古を離れることを決意し、宿泊最後となる日であった。カイさんはじめ、私たち宿の宿泊客は、その夜にサプライズでユースケさんの誕生パーティーを開いた。そして、ユースケさんに、この宿で出会った皆に心を込めて、カイさんとの最後のギターセッション。

私は明日の早朝便の飛行機に乗る。かなり早い時間だから、きっと皆寝てるだろう。だから、このパーティーの夜が皆とのお別れだ。

夜が更けて、パーティーも終わり、皆がそれぞれの部屋に戻っていく。ギターを片付けようとしている私に向かって、カイさんがこう言った。

「明日、こっそり出て行かないで下さいね。挨拶もできず会えなくなるのは寂しいから。」

カイさんは、ハッタリでギターを背負って宮古島にやって来た私の、初めてのセッションパートナーだった。同時に、私が弾けないコードを教えてくれ、誰かと一緒に演奏を楽しむ事を教えてくれた。自分は人前に立って演奏するのが嫌いだからと言いながらも、私が演奏していると、すっとサポートに入ってくれる。気が優しく、控えめすぎるけど、それらは、まるで私の師匠か先生のようだった。

私は、カイと出会ってなかったら、宮古でギターを弾くことはなかったかもしれない。本当に、背負ってきただけのハッタリで終わっていたかもしれない。もしかしたら、そのままギターを弾くことを諦めてしまっていたかもしれない。

「もし出発する時に俺が寝てたら、起こしてね。でも、絶対起きるから、それはないと思うけど。」

最後に演奏しよっか、と、私達は「WAVE」を弾いた。なんだが、瞼がしょっぱかった。

私は、ジョーパスのスコアブックをカイに渡した。ジョーパスとは、ジャズ界で有名な、超人技の伝説のギタリストである。私はジョーパスのファンなので、買っただけである。弾けるはずがないのに、持ってきていたのだ。何のためにか、よくわからない。

しかし、このまま持っていても弾けるわけでもないので、同じくジョーパスが好きだと言っていたカイにプレゼントした。

「私が持ってても弾けないままだろうから。ギター、弾き続けてね。お互い、イギリス進出に向けて頑張ろう!」

「イギリスは君だろう?俺はいいよ、人前で演奏するのは・・」

カイは、苦笑いをしながらそう言うと、ありがとう、嬉しいよと言って、ジョーパスのスコアブックを受け取った。

翌日。

男らしいユースケさんはやはり早起きで、私が宿の玄関を出ると、すでにそこにユースケさんが立っていた。そして私にこう言った。

「東京に疲れたら宮古に移住しいや。皆待ってるから。カイも本当の自分を発見できたと思う。元気ではつらつとした、カイとは全く違うタイプの君のおかげや。いい出会いやったと思う。」

その肝心のカイは、まだ爆睡していたようだ。私は遠慮せずたたき起こしに行った。私は、いくぞ!そう一言カイに声をかけて、宿の門を出た。

寝ぼけ眼のまま、ボサボサの頭で走り出てきたカイさんは、マンゴーとバナナケーキのお土産袋を持った後ろ姿の私に叫びかけた。

「また、演りましょうね、絶対に!」

振り返ると、ユースケさんとカイのほか、宿泊客の全員が門の前に立っていた。皆が手を振り、見送ってくれている。

足が重い。再び後ろを振り返り、たくさんの笑顔が見えるあの門へ戻れば、この足は軽くなるのだろうか。

しかし、前に進まなければならない。飛行機は朝一番に飛び立つ。私は、居心地の良いこの場所を離れ、その便で飛び立たなければならない。

その後、東京へ戻った私は、それからもゲストハウス「H」には何度か連絡した。宿のオーナー、ユースケさんとは、メールや電話で近況を伝え合う良き友となった。時々カイに電話を代わってくれ、カイとはギターの話しでよく盛り上がった。

そして、宮古島の台風の夜から約半年後、翌年の2月に、私はイギリス・リヴァプールで演奏をする事が出来た。

イギリスへでの演奏の夢の応援をしてくれたのも、彼らだった。私がイギリス行きを迷っている時、「君はイギリスへ行くべきだ」そう強い一言で背中を押してくれたのは、カイだった。

イギリスライブを終えて連絡した時、カイはゲストハウス「H」には居なかった。ユースケさんの話しだと、再び旅に出た彼は「今は吉野海岸あたりにいるらしい」と。

私もまた、ひとり、旅を続けている。

そして、その旅の背中には、くたびれたギターをいつも連れている。

彼らの出会いなくして今の自分は語れない。オーナーとして宿を切り盛りし、その男っぷりの良さで宿泊客皆を幸せにし続けているユースケさん。そしてカイ。君は今どんな旅をしているのだろう。

君もギター片手に旅を続け、誰かにそのメロディーを奏でているのだろうか。

いつかきっと、彼と何処かで再び演奏できる日が来る気がする。

私の手元には、一枚の絵葉書がある。

懐かしい、珊瑚の海の絵。その海からは「WAVE」が聞こえてくる。

そこにはこう書かれている。

「イギリスライブに向けて、お互いがんばろう! カイより」

送り主の住所はない。

(おわり)

宮古島のアルバムより。