イギリスの住まいとして選択される暮らし方に、フラットシェアが一般的なのはよく知られている。

イギリスでは、マンションやアパートのことを「フラット」と呼ぶ。読んで字の如く、フラットを他人とシェアして暮らす事である。

現代の日本でも、既に暮らしの選択肢としてメイジャーになっている「シェアハウス」、これと全く同じことがフラットシェア。しかし、日本の人々がシェアハウスで暮らす目的と、イギリスのフラットシェアでは、その選択の趣旨が多少違う。

まず、日本のシェアハウスについて、主観で述べたいと思う。

日本でシェアハウスを選択する人々には、他人との共同生活をわざわざ好んで入居している人が多い。実際に、日本のシェアハウスで住んでいる知人の意見では「一人じゃ寂しいから」「友達が増えるから」「楽しそうだから」という、非常に前向きな興味を持って入居している。

中には、実際は一人の方が気楽ではあるんだけども「独身なので(病気や天災など)何かあった際の事を思うと、一人では不安なので」という、堅実なのか後ろ向きなのか分からない理由でシェアハウスを選択している知人もいる。現代の個人化の加速による無縁社会を懸念している人の不安を補うべく、シェアハウスという新たな日本の住居文化がマッチングしていることは素晴らしい。

しかし、概ね日本のシェアハウスは、日本語でパリピ(死語)と呼ばれるとっても賑やかな、あるいは他者との交流や出会い好むピープルのパーセンテージが大きい。その華やかそうな日常生活に憧れを抱く若者が多いせいか、日本のシェアハウスの家賃はかなり立派なお値段であり、一人でマンションを借りた方がよほどお安く、広い部屋を持て、自由もプライバシーも確保される。それにも関わらず人気なのは、やはりシェアハウスという言葉にポジティブなインパクトがあるからである。

その中にごく僅かではあるが、「立派なお値段ではあるが仕方がなくシェアハウスに暮らす」、という人もいる。先に例に挙げたように、独身者であり先々の孤独を懸念して共同生活を選ぶ人の他に、海外からの短期滞在、就業状況が安定していない、あるいは保証人の問題など、マンションを借りることが難しい状況にある人々だ。まず、日本には、一般的に2年更新とされる契約期間の縛りという問題がある他、マンションなどに入居する際には、家具、電化製品を一式揃え、ネット環境なども準備しなければならないという大きな壁がある。これは、一時的に日本に移住している外国人や、移動の多い日本人、仕事の拠点が定まっていないものにとってはなかなかハードルが高い。若干、家賃がかかり、自由が奪われても、入居、退去が比較的楽に行えるシェアハウスを選ぶ方が打倒という結論に至るのだ。

私も、東京に短期滞在をした際に少しだけ日本のシェアハウスを体験した。23区内でアクセスはそこそこ良いが、部屋は3畳。キッチン、バス、トイレは共同であり、冷蔵庫や調理道具の調達の必要はないが、共有リビングといった落ち着くスペースは無し。部屋は3畳なのでもちろんベッドもなければタンス等もない。窓もなく、まるで独房にいる気分であったが、空調機はあったので、そこは快適であった。まさに寝床のみといったその部屋に、布団をAmazonで購入して持ち込み、スーツケースから直に服を取り出す生活である。

私は基本的に寝ることができれば、例え空港のベンチであろうがかまわないので、狭いのは全く問題ない。むしろ、狭いと部屋の隅から隅のものまで手が届くため、日常の作業が楽で快適な生活とも言える。だが、この3畳の城を出れば全くプライバシーは確保されない。これで家賃が77000円は頂けない。しかし、これでも安く探した方であり、一般的な広さの部屋(6、8畳以上)で、なおかつ、皆のイメージにあるような、立派な共有リビングやバルコニーなどがあるシェアハウスやお洒落なエリアで綺麗な物件を探そうものなら、10万〜15万などはザラである。その値段を出すならば、マンションを借りた方が確実に良い。

私が短期借りていたシェアハウスの住人も、見る限り、私以外は皆、定職についている普通の社会人や大学生ばかりであった。長期間東京で暮らすのに、なぜ、高いお金を出してわざわざ見ず知らずの人たちとの共同生活を選ぶのか、私には理解に苦しむのだが、結論はやはり、日本でのシェアハウスは、他者との交流を求めている人々が多いというところに尽きるのである。

ポジティブな言葉で言うと社交性のある人々が社会的交流を求めて集まる場所であり、悪い言い方をすれば構ってちゃんが所々に混じって存在している面倒くさい場所である。

日本人の良いところは、綺麗好きが多く、繊細であり、他人を気にかける精神を持ちながらも、時に謙虚で控えめで、その胸のうちに不満の言葉は秘めてグッと堪える所である。この良いところが、見事に悪く反映されるのが、シェアハウスでの共同生活だ。

残念ながら、その少ない滞在期間で、此れと言って日本のシェアハウスを素晴らしいと思った事は一つもない。勿論、もっと良いシェアハウスを選ぶ事が出来ていれば感想も違ったかもしれないのだが、どんな良いシェアハウスを選んだとしても、その時期、その時期によって必ず感想は異なると思うのだ。

一つ言えるのは、「宿」と呼ばれるところには人の入れ替わりがある。そして、いくら入念な審査をしようとも、結果として宿は来る人を選べない。生活を始めるまでは、その人がどんな人なのかを推測することは不可能である。そしてまた、住人同士の相性もある。静かな生活を好む人にとって、無愛想で無頓着な新入居者はウェルカムであり、騒がしく常に人と喋っていたい人にとっては、家に戻れば、玄関の前で待ち伏せ、一日の出来事を語ろうとする新入居者に何の抵抗もない。同じ価値観を持つもの同士が暮らせば、そこはたちまち素晴らしい出会いの場、快適な住居となる。しかし、ここにズレが生じると、一気に不愉快な生活へと突入する。これは、日本だろうが、イギリスだろうが、どの国でも同じである。

日本人との共同生活で少し厄介なのは、他人を非常に気にする人が多く、また、他人の行動と同じ行動をする人が多い事だ。

つまりは、同居人の帰宅時間を気にかけているのか、「あの人はいつも◯時頃に帰ってくる」「あの人の服装はこんな感じだから、きっとこんな職業だろう」と、他の住人の噂話に困らないほどの情報をいつの間にか得ている。自分も終始誰かに見られているのかと思うと、なんとなく気持ちが悪くなる時もしばしば。

また、綺麗好きな人が多いのは素晴らしいことではあるが、ちょっとした他人のミスを許せない人も多く、流し場にラーメンのカスが残っていたとか、トイレの取っ手が濡れていたので必ずタオルで手を拭いて取っ手を掴むようにとか、時には、トイレの紙は綺麗にちぎってください・・・などと言う小言が多く、なぜかそれらが「付箋紙」に書かれ、いたるところに貼られているのだ。もちろん、それらを書いた人は誰だか分からない。書いた人物は注意を払って正義の気分の反面、さぞかし鬱憤が溜まっていることだろう。見た者は、それぞれに容疑がかけられ、自分が疑われているのか、責められているような気がして良い気分はしない。

この解決方法はシンプルである。気付いた時に、「これ誰かしら?」「見かけたら注意しておいてね、てへ。」などとさりげなく気持ちを周囲に伝えれば良いだけの事だ。内に秘めて耐える根性精神が、間違った方向に働いて人間関係を面倒臭くしている。

あと特に多いのが、キッチンを使っていると、使っている最中に隣に来て調理を始める人がいること。朝の忙しい時間ならばキッチンに人が集中するのも分かるが、大抵は、非常にのんびりとした時間(わざわざ今アナタまで調理し始めなくても)という時が多い。

実際に私の場合、人々が食事をとる時間を外して、絶対に今の時間に晩飯は誰も作らんだろう!という時間にあえてキッチンを使用することが多いのだが、これは、共同生活には、住人同士の生活リズムが違っていた方が生活し易いため、自然に身についてしまった習慣である。イギリスのフラットシェアでは、国籍が様々な人たちと共同生活をするわけなので、驚くような文化が入り混じっているため、上記に挙げたような、ちょっとやそっとの面倒では済まない住人だっている。そこを回避するには、共有の時間を減らせば良いだけ。つまり、キッチンとバスの使用時間が被らなければ済む事である。ここで、自分ばかりが自分の時間を優先せず、余裕のある時には、相手にピークタイムを譲れば良い。イギリスではシェア文化がかなり長いため、実のところ、この辺の譲り合いのバランスを心得ている人が割と多く、こちらがキッチンを使っている時に、隣で調理を始める人を見たことがない。

ところが、あえて外した時間にキッチンを使っているにも関わらず、わざわざその時間に隣に来て「私もいいですかあ!?」と、鍋を振ってる横で野菜を切り始める日本人は結構多い。

人にもよると思うが、私の場合は、料理をしている横で、ベラベラ喋りかけられるのは苦手だ。

なぜ、わざわざ既に使用されているコンロのそばに来て、大して急いでもいない様子で真横で料理を始めようとするのだろうか。

冷めた目でその隣の調理人の様子を見ていても、手よりも口ばっかりが動いている。

集団生活で秩序を乱さず右へ倣えと教育を受けてきた習性が、またしても悪い方向に働いているか、構ってちゃんかの、どちらかなのか。何れにせよ、日本人は、他人との共同生活には向かないが、家族には向いているのかもしれない。これが、身近な人間であれば、さぞ可愛いだろうと思う。2日前に知り合ったばかりの全く素性も知らない赤の他人だからイラっとしてしまうのだろう。

一人で暮らしたい人はやはりマンションを、人との触れ合いを求めるなら、わざわざ高い家賃を払ってシェアハウスで暮らさずとも、事情が許せば実家で暮らした方が良いのではと思う時がある。その方が、他人のためにもなる。

しかし、そこは日本である。日本のシェアハウスで暮らす人の中に混じれば、私の方が変人だと思うので、ここは私の意見を通す場ではない。

これまでの数々の意見を心から詫びる。

人々はシェアをしたいのだ。住む場所をシェアをして、喜びも悲しみも苛立ちも共有したいのだ。今まで育った環境もまるで違う人たちが出入りする中、不特定多数の人たちと触れ合っても動じない強さ、それよりも、多く出会いたいと思う冒険心。それはつまり、日本人は人間が好きなのであろう。

それに比べて、イギリスは何だ。ロンドナーは、何なのだ。

ロンドナーは、別段、誰かと時間や感情を共有したいわけでも、なんでも無い。フラットシェアしか選択肢がないからフラットシェアをしているだけだ。他人にも興味もなければ、興味を持っていただきたくもないという精神で生活を共にしている。

その精神こそが、共同生活に必要不可欠であると考えていたが、裏を返せば、薄情で人情味がないように思えてならない。

しかしやはり、構ってちゃんより、無頓着の方が共同生活には向いていることは、間違いない。

次の章では、イギリスのフラットシェアに目を向けたいと思う。

つづく。

シェア文化を生き抜く Vo.2シェアせざるを得ないわたしたち 〜単純思考に習うインディペンデントな暮らし方〜