現代では、社会、家族、友人、地域の人達との繋がりが稀少となっているにも関わらず、インターネットの普及、スマートフォンの必然化、SNSの常用、多様な情報の錯乱により、人との実質的な関わりがなくとも、常に人々の目や常識、周りの生き方を意識せざるを得ない状況であり、誰かを意識せずに暮らすと言うことが大変難しい時代であると感じます。

 

また、失われた20年を経て訪れた現代という未来の日本の中で、堅実に生きる素晴らしさを改めて実感した世代より影響を受けた現代の日本人は、幼少期より努力を続け、若い頃から貯蓄に励み、将来設計を立て、着実に歩み続けている人々が確実に増えていると感じます。

 

しかし、その一方では、規制が厳しくなり続ける世の中で、生きづらさを感じ、自らその箍から外れる者、社会という組織に属せずに自由に生きる者、何らかの事情により孤立し社会との繋がりを失っている者も多く存在します。

 

個人化の加速による無縁社会という問題です。

 

これは、家や仕事、ほしいものやその購入方法など、様々なことが個人で自由に選択できる便利で裕福な時代である、社会背景にも多少の問題があるとも言えます。

 

 

自由に生きるという事は、大好きなパブで、無限のビアサーバからエンドレスでビアを飲み続けるという事です。

 

自由に生きる道を選択するという事は、社会的存在価値や社会的繋がりを、自分で行動して設定しなければいけないという事です。

 

もしも、安易に自由を選択してしまった場合、一瞬先には、無縁社会という現実が待ち構えているかもしれない、綱渡り人生となります。

 

自由には、それなりの代償が大変多いような気がします。おそらく、本当の自由というものは、規制の中で暮らし続けてこそ、最後に訪れるものではないでしょうか。

 

理論的にはそんな風に解釈できる事なので、私も一時期、近い過去の事ですが、実験として、規制される事を目指し、自分の気持ちを抑制して仕事や人間関係に挑んだことがあります。

 

ところが、これらが全て、大失敗。

決して、失敗するための実験をしたわけではありません。成功するための実験として、これまで自分の思うままに自由に生きた事を(少し)反省し、逆説として、自分の意図しない事=自らの意見ではない事、これを、小さな組織や社会の中で行ってみるべきだと思ったからです。

 

自分がやってない事を試す方が正しいと、その時は思ったわけです。

しかし、皮肉にも、それが間違っていたという事に気付かされてしまう事になりました。

 

おそらく、生きている限り、それが確実な間違いという事はないのでしょう。違うかな、と思いながら続けていっても、それが無駄になるわけでもなく、どこかで大きな転機が訪れる可能性もあります。

 

 

私が最終的に「NO」として判断した基準は、単純なことでした。

「それをやっている期間」笑えたかどうか、それだけです。

 

その期間、笑顔がほとんどなかったのです。心から笑ったことがほとんどありませんでした。

それでも、人間はしぶとく執着する生き物なので、一度決めた事は、結果を出すまではなんとかしなきゃと粘るのです。

 

私は目が醒めるまで2年近くも無駄にしてしまいました。

 

本当に大事な事は、絶対に止めてははいけません。

しかし、違うかも・・と少しでも感じて、その気持ちを引きずっているならば、すぐに方向を変えたほうが良いです。

 

私は、自分が笑えない場所に未来はないと感じたので、金輪際、同じ選択をする事はないと思います。

 

私の試した実験を行ったところで、全ての人が同じ結果になるわけではありません。

 

人間は皆平等であり、努力すればした分、結果が出ます。そして、努力は才能となります。しかし、忘れてはいけないのは、人間にはまず個性、パーソナリティー(人格)があるという事です。

 

個性を把握する事は、難しいようで実は簡単です。

自分の気持ちと、行動が、その個性の向き不向きをわからせてくれます。

 

西に行けば気持ちがいい、東に行けば気分が重くなった、実はそれだけであったりするのです。

これを、「こっちの方がいいよ」なんていう情報に流されたり、「こっちの方がいいはずだ!」と、思い込んだりし、逆の方向に向かってしまい、気分が重いまま物事を進めていても、決して上手くいきません。

 

さて、皆さんは、自由を選びますか?